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海亀の帰郷を通じて「文明の廃害」を鮮明に描く 三年前に亡くなった私の母親は世の中が良くなったという話をよくしていた。家事の負担が少なくなって、自身でやらなければならなかった仕事が減ったとか、あるいは目下の人たちの挨拶が疎遠になっていると見受けられる時にも、このような言葉を度々くりかえしていた。そのときの母親の声にはやるせない自嘲的な響きに聞こえた。しかしながら、真夏のある日のこと、電気保温釜に2−3日もの間忘れられていたご飯に気づいた時や、濡れた紙おしめの表面がカラカラに乾いているのを眺めながら、世の中がよくなったなどと言うのを目にするのは、まさに驚嘆そのものだった。 母親が驚くほどに、現代は速い速度で人間の便宜を発達させた。神が中心におかれた社会であった中世の抑圧の時代に受けた歴史的な経験が、人間を最大限の安楽と便利を追求することが当然の権利であると感じさせてしまったのかもしれない。とにかく我々は、なんでも望むものがあれば、たやすく得られる時代に生きているといえる。 現代の人間が追及するのは、人間自身の本当の幸福であるということを、ことさらに指摘したい。人間の幸福をあまりにも尊重し、他の側面を無視するようになり、却って人間自身を害するような結果に至るということを否定せざるをえない。我等は自らを万物の霊長といいながら、専ら人間だけの為の発展に力を傾けてきた。 母親が言うように、便利な時代に住んでいることを、一日に何度も実感する。遠大な思想をもって始めた人間性の回復という夢は、今や既に傲慢ともいえる程のあつかましい自身だけの幸福を求めるようにひきおろされた。幸福に対する追求は、むしろ極に達した感がある。お互いに有利な高地を占めようとするごとくに人間たちは、絶え間なく文明を発達させた。そしてその代わりに得た結果は、道理なき自然環境の破壊であった。 日本の「ガウディエパダ(大亀ガウディの海)」(初版翻訳韓国・精神世界社刊)を読みおえると、我等は文明の発達に絶え間なく驚嘆し、それが与える便利な生活方式を葛藤なしに受入れてきたわけだが、もうこれまで満足し得てきた幸福をこれ以上享受することはできないことがわかる。もちろん世界の一部で既に宇宙の摂理を自覚し、人間は宇宙においてそのごくごく一部であるとの認識が芽生えていることも事実ではあるが、それをこのように鮮明で単純な話として描くことができるというのが、驚くべきことといえる。 30年間水族館に住んだ大亀ガウディがもどった海は、その間に既に生存を圧迫されるほどに汚染されていた。かろうじて探し出した場所が、南太平洋のスーリヤ海、そのスーリヤ海で人間が核実験をすることを知り、ガウディは召命のごとく、自身の体を投じて核実験用の電線を切断する。十五夜の月光をたっぷりと浴びた美しい南太平洋の波の中に、ガウディの子亀達がガウディが黄泉の世界に旅立ったスーリヤ海に向かう場面では、胸が感動で濡れるのを憶える。 サン・テグジュペリの「星の王子さま」が、人間の心性にむけて幸福の定義を具現する童話であるならば、大亀ガウデイの海(ガウディエパダ)は、宇宙の摂理の中で我々が一緒に存在しえる時に到達する事ができる人の真実を反芻させる大人の童話である。 韓国・東亜日報 書評欄 (1991年12月17日) 韓貞姫 翻訳 金聖哉 (一志社社長) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979986832 韓国語版の初版「大亀ガウディの海」(精神世界社刊行) |
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