田島伸二 と ヒューマン・リテラシー

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zoom RSS ガダバブー(ロバのだんなさま)は、とても勇敢だったが・・・・

<<   作成日時 : 2015/05/27 13:44   >>

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ガダバブー(ロバのだんなさま)の話
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私が、その昔、インドの西ベンガル州のシャンティ二ケタンで学生時代を送っている時、カルカッタから一人の若い男が訪ねてきました。名前はなんでも秋人(アキヒト)とか言いました。彼は大きな夢を持っているというのです。なんでもその夢の実現のためにマグロ漁船に2年間乗って働き、お金を貯めたというのですが、彼の夢とはインドの「ロバ」に乗って、カルカッタからパリまで陸路で旅をするというのです。歴史上、まだ誰もまだ実現したことがないということや、ロバに乗ってのんびりと行くのというのが、夢の核心部分でした。

私自身もロバは大好きだし、シルクロードをロバで行くという大ロマンには考えただけでもぞくぞくして、そこである晩、彼を夕食に招いたところ、彼がマグロ漁船で、どのようにして働いていたか、どうやってお金を貯めたかということなど最盛期の働きぶりをかれは実演してくれました。大きなマグロが次々と捕れた時、どのように必死に大きな縄をたぐり寄せるか、その表情には、夢を実現するための熱意のすべてがこもっているようでした。その熱意があればどのような夢の実現も可能のように見えました。私はそれだけでも感心してしまいました。

彼は、大都会のカルカッタの周辺でロバを探したそうですが、どうしても見つからず、そこで日本人の留学生もいるタゴールの設立した学園のあるシャンティ二ケタンの地で、日本人の協力を得てロバを探そうとしていたのですが、やっと苦労して手に入れたロバは「クリーニング屋」で働いていたロバでした。クリーニング屋のロバとは、衣類を洗濯するため、近くの沼まで10頭ぐらいが毎日山のような衣類を運ぶのです。そのロバを譲ってもらうことにしたのです。彼は大喜び大喜び・・・・まるで夢が実現したかのように興奮しました。

しかしこのロバは、クリーニング屋の主人の厳しい叱責で働いても、異国からやってきた見知らぬ男の下では決して働こうとしません。アキヒトさんの性格はなんとなくのんびりしているのです。購入したとたんに全くロバは歩かなくなったというのです。しかし彼は、みんなの助けを借りて、懸命に引っ張り引っ張り安ホテルまで帰っていったそうですが、力の強いこのロバの足蹴りで何度も彼は蹴倒されたそうです。それを見た沿道の子どもたちは、炎天下でロバを必死に引っ張る男を、「ガダバブー」(ろばのだんなさま)と囃(はや)したそうです。ちょうどその頃はメラ(祭り)の季節でしたから、たくさんの子どもが集まって大声で馬鹿にしたそうです。

しかし彼は人からなんと囃されようとものともせず、意志をますます硬くしたのですが、クリーニング屋のロバはどうしても思うように動いてくれません。私が彼に初めて出会ったのは、ロバを木の下に繋いで、一生懸命に悩み考えている時でした。彼はひたすらに彼の夢の実現を考えていたのです。私も相談を受け、どうしたらいいか、ロバをどうやって調教するかが大きな課題でした。しかしロバは黙って木の下で草を食べていました。彼の夢なんかに協力するわけにはいかないと。

大金をはたいて購入したロバが思うように歩いてくれなかったら、彼の夢の実現はいったいどうなるのか・・・。その夜、彼は大変苦悩しているようでしたが、結論は、翌朝、ロバを売り戻すということでした。ロバの足蹴りが続くと、彼の命の保障だってありませんからね。しかしクリーニング屋の主人は、売却時の値段では引き取らず、結局半値になったのでした。私は、彼には是非ロバにまたがって、シルクロードを歩んで欲しかったのですが、そういうわけにもいきません。それはロバの脚蹴りをお見舞いされていない者の発想でしたからね。

結局、そのお金で彼は「リヤカー」を製作・購入し、彼の持ち物一切を、とは言ってもなにも大したものはなかったのですが、木工屋で特製の木箱を注文したのです。そこに一切合切のものを入れて、準備が整うとシャンティ二ケタンから颯爽とパリ目指して出発したのでした。

季節は雨季でしたが天気のいい日でした。彼を見送りにシュリニケタン(希望の地)まで仲間たちと一緒に行きましたが、彼が引っ張るリヤカーの箱の上にはみんなが寄贈した美しい花が飾られてあったので、まるで彼は棺おけを運んでいるような奇妙な光景でした。

「元気でね!」とみんなで手を千切れるほどに振ったのですが、彼は緊張の余り表情を変えることなく首に手ぬぐいをしっかり巻いてから、にこっと笑って元気に歩み出したのです。それは大したものです。彼の夢の達成を、ロバの努力ではなく、彼自身の足で歩み出したわけですから。その様子を、シャンティ二ケタンの地で知り合ったオーストリアのチベット仏教を学んでいた留学生のガールフレンドも心配そうに見つめていました。名前をアンドレアといいましたが、今思い出すと、まるで昨日のことのようですね。

それから・・・・1ヶ月が過ぎたころ郵便局の前で、アンドレアに会ったとき、彼女は1通の手紙を私に差し出しました。それは彼からの手紙で、日本語の文面を英語に翻訳して欲しいというものでした。文面には彼女への思いがせつせつ書いてありましたが、旅の途中に立ち寄る地方の郵便局から投函したものと思われます。とにかく彼は元気に歩いているようなので安心しました。しかしアンドレアの恋も、相当に執念深いようにも見えました。


それから2ヶ月が過ぎたころ、驚いたことに、私の家の前に広がっているロトンポリの荒野で、凧(たこ)を揚げている二人連れを見かけたのです。なんとびっくり、アキヒトとアンドレアなのです。
「ありゃ!!どうしたの?あんた、パリに向かったんじゃないの?」

びっくりして尋ねると、彼は恥かしそうに、
「いえ、デリーまでは2ヶ月かけて歩いたのですが・・」と言ったあと

「アンドレアが言うのには、アフガニスタンのカイバル峠では必ず山賊が出て、命を落とすだろうから、このような危険な旅は止めて、それよりも一緒に、彼女のオーストリアへ行きましょう」と強い説得を受けたというのです。アンドレアは、彼がデリーに入る前にデリーに先回りして待っていたのだそうです。そして、彼を飛行機に一緒に乗せてカルカッタまで帰ってきたというのです。そして

「デリーまでの行く先々の道々では、村の子どもや大人たちからずいぶん馬鹿にされました。インドの村では、見知らぬ風袋の異邦人は、みんなから囃されて馬鹿にされるのですから」と口惜しそうに言うのです。

「・・・・なあんだ!パリ行きの夢の実現は、アンドレアの夢に摘み取られたわけですか」そう言って私は大笑いした。アンドレアはなんとなく恥ずかしそうな笑みを浮かべていたが、嬉しそうでもあった。そうか、アキヒトさんのパリまで行くという夢は「ウイーン」に変更されたということか。そういう意味では、祝福していいのかもしれないが・・・と思いながらも、私としては、なんとしてでも彼にはリヤカーを引っ張って、一路パリを目指して歩んでほしかったと願ったものである。これは世紀の大ロマンなのだから・・・・

その数年後、毎日新聞の紙上で、大学の探検部に属する学生たちが、いろいろ冒険譚を語っているのを読んだことがあるが、その中である学生が「なんでも、ある若者がロバに乗って、カルカッタからパリに向かったという話を聞いたことがあるが、その後彼はどうなったのだろうか」としゃべっていた。

その記事を読んで私は苦笑した。彼の行き先は変更となったこと、行き先がパリではなくて、ウイーンとなったこと・・そしてロバの背中に跨ってではなく、ロバのように頑固な奥さんに掴まったしまったことなどなど・・・・そういう意味では彼は現在もアンドレアというロバに乗って旅しているのかも知れません。蹴られなければいいのですが(笑)

「そう、本物のロバに乗って夢を達成するのは、本当に難しいことなのです。」

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