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zoom RSS 全共闘運動が求めたもの、遺したもの

<<   作成日時 : 2016/11/25 07:54   >>

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1968年頃、全共闘運動という学生運動が存在していた。全共闘運動は、当時まるで熱病のように全国の大学に波及し、「全共闘の学生でなければ学生にあらじ」といった感があった。

1968年のある秋の暮、当時、お茶の水駅のすぐ側にある中央大学の駿河台校舎の中庭で、ベトナム反戦のための「全共闘全国総決起集会」が開かれ、私もノンポリラジカルで、どこのセクトにも属さない自由な立場で集会に参加していた。林立する角材や赤白黒の色とりどりのヘルメットをかぶった全国からの学生に囲まれた壇上に、羽仁五郎という政治思想家が招かれスピーチを始めた。全国から集った学生は、約5000名とも思われ、会場はものすごい熱気に包まれていた。そして名高いアジテーターである羽仁五郎の口から、どのような言葉がほとばしり、この熱気をさらに盛り上げてくれるか、学生たちは高揚感の中で彼の言葉を待った。これまでの弁士も、学生たちを熱血的に鼓舞していていたからである。

しかし彼は開口一番。「諸君!諸君のこの闘いはやがて、敗れるであろう!」と言ったのである。熱い言葉を待っていた学生たちは驚愕した。そしてその瞬間、驚きの声が会場を走った後にすぐに「ナンセンス!ナンセンス!ナンセンス!」というすさまじい怒号が羽仁五郎に向かって投げ付けられたのであった。「寝ぼけ老人、なにをしゃべっている!われわれが敗北だと?・・・お前はどこの党派に属しているのだ。これだけたくさんの学生が集った全国総決起集会で、そのような馬鹿な言葉をしゃべるのは許しがたい。けしからん。馬鹿にしている。」怒号の内容は、おそらくそのような趣旨であっただろう。

すると羽仁五郎は冷静な口調でしゃべり続けた。
「諸君、・・・・権力というものは甘くない。諸君がいかにゲバ棒をもって闘っても、かれらの力は強大なのだ。・・・しかし諸君、諸君がたとえ敗北しようと、こうした闘いを経験した者が、これからの日本の市民になっていくことが大切なのだ。諸君!未来の市民社会とは、君たちのような経験者によってこそ、たくましく形成されていくものである。」と、このような趣旨を説得するようにしゃべったのであった。

かれは時代を見据えていた。学生たちがゲバ棒という”軍事力”に酔いしれている存在を痛烈に批判したのでもあった。「都市の論理」の思想家でもある彼の言動はさすがであった。彼は時にはユーモアを交え、いつも笑顔でしゃべってはいたが、目は決して笑ってはいなかった。厳しい前途を予感していたのであろう。この場の発言ではないが、彼は戦争について、「戦争は今の君の心が起こすのだ。多くの人が平和を望んでいるに違いない。戦争はいやだ、あんな悲惨な思いをするのはもうたくさんだ、と思っているのだろう。それでも、戦争は君の心から起こるのだ。」と警告している。これはユネスコの平和宣言から来ているのかも知れないが、イデオロギーにとらわれない自由な社会運動家であった。


全共闘には、さまざまな流れがあったが、中国での文革の影響も実に大きなものがあった。後年、文革は中国国内での政治権力闘争として認識されたが、その当時に「知識人よ!お前たちはなにものか?」という知識人の社会的な役割を厳しく問うものから、「自己批判」という実存的な問いかけを行った誠実な個人や運動体もあった。そこにはソ連という硬直した官僚主義の社会主義国への強い反発も存在していた。


こうした運動が存在していた当時、考えてもみれば、世界はアメリカによるベトナム戦争の真っ只中にあった。日本の沖縄の米軍基地からは、北ベトナムに向けて、連日爆撃機が飛び立っていたし、新宿駅の深夜には戦闘機や爆撃機のジェット燃料などが貨車で運ばれていた。アメリカは戦争をし続けることに生きていくことができる戦争国家として認識されていたし、冷戦の最中では、いつ米ソの核戦争が起きても不思議ではない深刻で不安な政治状況が、当時の世界情勢だったのだ。


大学は、団塊の世代を受け入れようと、雨後のたけのこのように増設され、内容の薄いマスプロ授業が行われ始めていたし、教授たちの多くも教育者の顔ではなく、商売人の顔をもったエセ知識人でもあった。大学で人間疎外が始まった時期でもあり多数の矛盾を抱えていた。全国学園闘争に火をつけた日大闘争が起きたのは、学校を私物化している「20億円使途不明金」の問題が端を発しているし、学内の雇われ教授たちでは解決能力は全くなかった。学生たちは、学校という現場から正義と学校改革を求めていたのである。また東大医学部闘争は医学部の中の諸矛盾と構造的な腐敗が教授たちや国家体制から流れ出てきていたのである。こうしたことへの自浄努力は既成政党ではできないし、やろうともしていなかった。東大医学部の台(うてな)教授は、戦争中には大陸での人体実験などを行っていたことで知られるが、こうした罪悪は初めて糾弾されたのである。戦後の政治家だけではなく、知識人の役割や意識が厳しく問われた時期だったのである。


世界的にはフランスの5月革命などの学生運動の嵐がカルチェラタンで吹いていた。人間が、世界経済の高度成長社会の中で、物のように消費されていく走りであった。こうした世界の経済体制に「人間的な顔を持とうと大きな待った」をかけたのがこうした動きの中にあった。そこにはベトナム戦争によるアメリカやソ連などの硬直した官僚主義などが厳しい批判にもあっていたのである。それはチェコスロバキアやポーランドなど東欧での大きな社会変革を引き起こしていった。


しかし、それからの日本の学生運動は、浅間山荘事件や連合赤軍などの内ゲバなど悲惨な事件によって象徴され、そしてあっという間に大衆的な支えを失って下火になっていった。つまり過激派によるセクト間の争いでやがて自滅していったのだが、こうした過激的な運動を導いたのはあらゆる意味で、全共闘運動とは本質的には関係のない学生たちであったが、それは結局全共闘運動を滅ぼす始まりとなった。日本の全共闘運動は、結局はセクト間やセクト内での「暴力」や「内ゲバ」によって、本質的な支えを失い滅びていったのである。こうした本質的な反省なしには、フェニックスとなるのは難しい。非暴力の運動を徹底して身につけられるかが、日本の学生運動の再生の鍵であろう。羽仁五郎が、ゲバ棒をもった学生たちを、叱ったのも、こうした予感を示したものであったろう。
またたそこには、全共闘運動の最終的な目的や課題が明確に示されていないこともあった。


そのため学生たちが中途退学をしたり、卒業したりするとそこにはもはや全共闘という言葉は存在していなかったのである。世論もマスコミも、全共闘運動を、赤軍と同じような扱いで面白半分に評し、それから一挙に関心や興味を失ってしまった。全共闘に属していた学生たちは目的を喪失し、大学を中退したり、卒業したり、あるいは就職したりであっという間に社会に放り出されていった。しかしドイツでは、こうした学生運動の経験者たちは、社会の隅々に地道に根を張って働き、社会という大地に種を蒔き、やがて「緑の党」を結成して、ドイツの政治を大きく塗り替えていった。


その点、日本ではどうであったか?日本では、ドイツのような大きな政治運動にならなかったものの、社会に出て行った数多くの学生の中から市民運動が形成されたり、環境問題を考えるグループ、消費者運動なども結成され、無数の市民活動が始まっていくきっかけになった。特に全共闘運動の影響を直接・間接に受けた女子学生たちは、こうした市民運動や消費者運動を各地で直接・間接的に導いていったことを決して忘れてはならない。それらはすべて1970年前後から始まっているのである。つまり全共闘運動に参加したときの批判精神や高揚感は、醒めることもなく、学生から多くの市民に引き継がれていっていたのである。考えてみると、その時代から早や45年が過ぎようとしているが、今、静かに全共闘運動とはどういう意味があったのか考えてみたい。


全共闘運動とは、一言で言えば、それは社会や人生のありかたについて「異議申し立て」を求める運動ではなかったのかと思う。つまり団塊の世代は、あらゆる社会に対して、社会不正を憎み正義を求めて、不平不満を数多く表現し、初めて厳しい批判を行った世代なのである。これが今日の若い世代と大きく異なる点だろう。それは、人生や社会において、「批判することによって真実を見分け、そしてその結果に責任を果たそうとした真摯な生き方」のことではなかったかと思う。当時は好景気であり、職も多数あり、自由な批判も許される社会的環境にあったし、批判する精神や魂をもった学生たちは、卒業後も、心にはいつも闘志を秘めて社会の中で批判的に生きていこうとしていた世代なのであった。もちろん企業や体制の中に食い込まれて、まるで子羊のように働き、やがて狼となっていた人間も多数いる。企業の尖兵たちもたくさん誕生して日本の高度成長経済が支えられていったのである。



この「この本質的に怒れる団塊」という世代によって、1970年以降の日本の確かな骨格が築かれ、豊かで新鮮な血液が脈々と形成されていったのは確かである。こうした精神性を決して忘れてはならない時期が、再びやってきているので、私は警鐘をこめて、敢えて全共闘運動について自由な立場から今回筆をとったのである。
21世紀の現在を生きている全共闘世代は、還暦も越えて、ますます老いていくにしても、今も心の中には全共闘魂を燃やしてたくましく生きている世代なのである。闘うことを放棄しない世代なのである。それは酒場で酒を飲むときだけでなく、中途半端にしか社会改革に関わることができなかった自分を、心の奥底から悔いながらも、自分の生きる具体的な社会現場で、さまざまな社会と関わりながらも、自分たちの人生の形をたくましく作っていこうとしたたくましい世代なのである。これが無責任とは言われたノンセクトラジカルの実体ではないだろうか。


ノンセクトラジカルー彼らこそが全共闘運動の本質を担ったのである。あなたの周りにもいませんか?元気のいいおばさんやおじさんたちが・・・・・かれらこそ、人生や社会において、常に不正義を憎み、格差や抑圧のない理想社会を実現したいと夢見て生きてきた「全共闘」の人たちなのですーそれが私の知っている全共闘の本当の姿でもあるのです。そこには、もうヘルメットもなければ、さまざまな色の旗もない。つまり全共闘が人生で残したものは、内村鑑三の言葉のように、「たくましく生きようとする生涯」そのものだったのである。こうした運動を語り継がなければならない時期にさしかかっている。回顧やノスタルジャではなく、現在形を語り継がなければならない。


その灯は、今も心の中で激しく燃え続けている。もちろんこれまで数え切れない灰色と絶望の時代を数々経験しながら・・・・・・・とは言うもののの、これではちょっとカッコ良すぎる。しかしこうしたカッコ良さを求めていたのも全共闘の特徴ではあったね。よく考えてみると・・・・しかし結論として言えるのは、全共闘運動とは、社会に対する本質的な懐疑や問題提起をしたという意味で、若者たちにとっても社会全体にとっても最も重要な社会参加でもあったように思うのである。






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日本が危ない!
評論家・ジャーナリスト・立花隆
2009.3.10 02:50(サンケイニュース)

トピックス:団塊の世代
 ■科学技術衰退 人口減が直撃


 「このままでは日本はダメになる」。時の権力や巨大組織に徹底した取材で立ち向かい、日本のジャーナリズムに影響を与えた立花隆氏が、わが国の将来に警鐘を鳴らす。
 −−先月、小林誠、益川敏英両氏のノーベル物理学賞受賞記念シンポジウムで、日本の将来を危惧(きぐ)していました
 立花 今回、物理と化学の2分野で一度に4人もの日本人がノーベル賞を受賞するなんて前代未聞の快挙でした。しかし日本がこれからも科学技術大国たりえるかといったら、はなはだ疑わしい。そんな危機感を持っているからです。
 −−なぜですか
 立花 まず人材不足です。これから急速に進む人口減。いま日本の研究者や技術者は約270万人いますが、2050年は政府予測でも100万人減り、170万人になります。量的減少だけでなく、質もどんどん低下し、現在の技術社会の維持すら怪しくなるでしょう。少子高齢化社会による人口減問題は、科学技術の世界に一番響いてくるのです。
 1990年代でしょうか、私は『東大生はバカになったか』などの“知的亡国論”を書いた時期がありました。80年代から始まった日本の教育レベル、知的水準の低下は、いまなお進行中です。
 −−どんな背景が
 立花 団塊の世代時代、受験競争批判が行き過ぎ、80年代に入ると、大学入試をどんどん楽にする方向に、官民ともに走りました。大学受験科目は削減され、推薦入学などの無試験入学制度が広まった。大学受験の質が下がれば、受験させる側の高校の教育の質も下がります。
 それに“理科離れ”と“ゆとり教育”が追い打ちをかけ、大学生の質が著しく低下した。国立大学の受験科目はいまだに(7課目から)5課目に減ったまま。履修制度も変わったので、かつて高校生の8、9割がとっていた物理は今や2、3割です。物理はあらゆるサイエンスの基本ですから、駒場(東大教養)では理系の学生の必修です。ところが、高校でやってこない連中が多いから既修組と未修組とにクラス分けして高校の補修をしている。そんなバカな話はないと思います。
 −−確かに
 立花 人材教育には20年から30年の時間が必要ですが、その間の小、中、高、大学の一貫した教育が大事です。それがいま、ガタガタになっている。
 −−危機感のほかの理由は
 立花 やる気がないということです。チャレンジ精神が希薄になっている問題があります。例えば、大学や研究機関に所属する研究者でも、欧米への留学のチャンスがあっても嫌う連中が増えている。貧しい時代と違い、いまの日本にはインフラも資金もある。しかもポストもある。日本にいたほうが楽なんです。若者にチャレンジ精神がなくなり、楽な道を選ぼうとする国に未来はありません。
 明治維新や今大戦の敗戦を経験した日本がここまでこられたのは、欧米に必死に学ぼうというチャレンジ精神があったからでしょう。


 ≪支える団塊の世代≫
 私は最近、立教大学のセカンドステージコースで、中高年の方に教えることもしていますが、彼らのほうがはるかにチャレンジ精神がありますよ。とくに団塊の世代は頑張っています。彼らは子供のころから競争、競争でもまれ続けてきたから老いてもチャレンジ精神を失わない。
 −−団塊の世代は元気だと


 立花 彼らのエネルギーが日本をここまで牽引(けんいん)してきましたが、私はこれからの日本は、しばらくは彼らのエネルギーを頼りにせざるを得ないとみています。
 出版界はいま大不況ですが、これまでの出版界を支えてきたのは中高年でした。ところが今の若い人は本を読まない。教育レベルが下がり、本は読まない。しかもチャレンジ精神もなくなれば、日本はどんどん衰退します。
 団塊の世代が完全にリタイアすればさらに拍車がかかり、日本全体が大変なことになると思います。
 −−世代間の引き継ぎができていない


 立花 内閣府特命の少子化担当大臣なども何もしていないに等しい。科学技術や文化の問題だけでなく、福祉や年金などこれからあらゆる問題を少子高齢化の人口減問題が直撃します。


https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1223999210949806

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