歴史を忘れないのは憎しみを維持するためではない。今の幸せな生活の大切さを深く感じるため・・・・・・・

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朝日新聞によると、旧日本軍が中国東北部の撫順近郊で多数の住民を虐殺したとされる「平頂山事件」から75周年を迎えた2007年10月16日、事件現場に建てられた記念碑前に両国の市民ら約2000人が集まり、追悼式典が開かれたという。

周忠軒・撫順市委員会書記は式典で「歴史を忘れないのは憎しみを維持するためではない。今の幸せな生活の大切さを深く感じるためだ」と訴えたという。これは なんという含蓄のある言葉であろうか?歴史を知ろうとするものの最も誠実な態度というべきではないだろうか?
こういう態度で歴史に向き合っている中国に比べ、日本人の多くは、歴史の真実を必死になって無視しようとしたり、忘れたりしようとしている。これはよその国に対してだけではない。自国民にも同じような立場を貫いている。

ウイキペディアによると、「平頂山事件」の誘因となったのは、1932年9月15日の反満抗日ゲリラ「遼寧民衆自衛軍」による、撫順炭鉱襲撃である。この背景には、満州国の建国宣言(1932年3月1日)以来活発化していた、反満抗日運動の存在がある。この襲撃で、日本側は、炭鉱所所長含む死者5名、負傷者6名、総額21万8,125円の被害を受けたと伝えられる。

撫順守備隊は、襲撃事件の報復として、平頂山集落がゲリラと通じていたとの判断の下に集落を包囲、掃討を行なった。掃討の方法は、平頂山部落の、その時部落にいたほぼ全住民(女性・子供・赤ん坊を含む)を集めて機関銃を掃射し、それでも死ななかったものを銃剣で刺し、殺害した死体には重油をかけて焼却するというものである。その後、崖をダイナマイトで爆破して死体を土石の下に埋めたが、これは事件を隠蔽するためと見られている。

虐殺人数については諸説があり、中国側は、発掘死体の数などを根拠に3,000人を主張している。また、守備隊の中隊長であった川上精一大尉の親族である田辺敏雄氏は、自著の中で、虐殺に参加した兵士の証言などをもとに犠牲者数を400-800人と推定している。なお当時、平頂山集落の人口は約1,400人、犠牲者数600人前後とする資料もある。ジュネーヴでの国際連盟理事会では、中国側の被害者は死者700、重傷6~70、軽傷者約130名と報告されている。

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