日本人の歴史感覚とは?ー朝鮮人特攻隊員の祈念碑ではなく、日本の侵略謝罪碑として建立すべきもの!

やはりどこか間違っているのが、日本人の現在の歴史感覚ではないか。5月10日、朝日新聞の見出しに「朝鮮人特攻隊員の祈念碑、撤去へ、「親日」に韓国で反発」そして、毎日新聞の見出しに、「韓国:朝鮮人特攻隊員慰霊碑の除幕式中止…地元団体抗議で」とあるが、朝鮮人の特攻隊員の若者の慰霊碑ををなぜ、韓国の地に建立しようとしたのか?日本軍の特攻隊員として戦死した朝鮮人青年を慰霊するために、なぜ3000坪の土地に5メートルの石碑が建てられようとしたのか?そしてなぜ多くの反対に会ったのか?この背後のある問題点をよく考えてみたい。

2007年8月18日の朝日新聞に、慰霊建立についての趣旨が掲載されているが、黒田福美さんが、朝鮮人特攻隊員の卓庚鉉(タクキョンヒョン)(享年24)さんを知るきっかけは、16年前に宿泊先で見た「夢」だったという。青年が現れ、「死んだことに悔いはないが、朝鮮人なのに日本人の名前で死んだことが残念だ」と告げたそうだ。意味が分からず、頭から離れなかったそうが、やがて「特攻兵では」と思い始めたという。1945年の出撃前夜、朝鮮民謡アリランを歌い、知覧(鹿児島県)基地から飛び立ったことなどにも感動し、彼の故郷の地に慰霊碑を建てることを思い立ったのが発端らしい。そして黒田さんは、韓国の特攻隊員という考えを超えて、国籍にかかわらず沖縄戦の全犠牲者の名を刻む「平和の礎」のような施設を目指していたともいう。

しかし韓国では除幕式の直前、多数のグループや人々の大反対に合って、結局、断念したらしいが、これは深く考えてみると、韓国の人々の悲痛な植民地体験や戦争被害者の視点から考えると極めて当然のことのように思える。もし、黒田さんが植民地にされた韓国の出身であったならば、この祈念碑建立に賛成していていたであろうか?もしも兄弟が日本の軍国主義に協力して、特攻隊員として、飛び立っていたならば・・・・それは家族として喜ぶべきことであったろうか?悲しむべきことであったろうか?つまりすべて歴史の物事は、常にあらゆる角度から見なければならないし、感じなければならない。

とくに日本と韓国という最もデリケートな感情が介在する「悲痛に生きている歴史空間」には最大限配慮しなければならない。もしこれを韓国の卓さんの親族が建立するにならば、意味は異なってくるし、それは自由である。しかし親日の人だけとは限らないのだ。特攻で亡くなった韓国青年の祈念碑を、日本人が率先して、韓国の地に建立しようとするのは、左翼右翼の思想をもった人々だけでなく、一般の人々にも実にデリケートな悲痛な気持ちになるのは当然である。もしこの碑が、朝鮮独立のために殺された一般人や植民地支配で犠牲になった軍人を含めての人々への謝罪と慰霊であるならば、韓国の人々もこうまでは反対はすまい。

しかし、韓国の地に朝鮮人特攻隊員の慰霊碑を建てることは、それ自体当時の軍国主義日本の特攻隊を美化することにつながったり、そしてそれが当時の日本のために戦った朝鮮の若者の戦争協力につながると、韓国の人々が考えるのは、極めて当然なのではあるまいか。そして、もし特攻隊員の卓さんに心からの謝罪と感謝をこめて慰霊するのなら、なぜその慰霊碑を日本の地に立てないのか?それがまず最初になすすべきことなのでは?これは帰郷祈念碑なのか?慰霊碑なのか?それとも謝罪碑なのか?彼の魂が故郷に帰郷するという祈念碑?それが目的なのか?

戦争中に、日本に点在していた強制連行の地ー鉱山には、いくつかの慰霊碑が立っている。北海道や九州の炭鉱地や私は足尾銅山でそれを見た。中国大陸から、朝鮮半島から強制連行されたたくさんの若者たちが、強制労働や逃亡を図ったという罪で無惨に殺されていた。そうした人々の慰霊碑を見たことがあるだろうか?これらの人々は、特攻機が飛び立つ燃料や鉱物資源を供給するために酷使されたのであるが、今日では、ほとんどが見向きもされていない。特攻隊として花と散ったわけではない。それどころか、従軍慰安婦の人々の歴史事実まで否定する流れがある日本だから・・・・

黒田さんが、もしも、こうした慰霊碑を建てたいのなら、それは韓国の地ではなく、まず特攻隊機の出撃地である知覧(鹿児島県)の地に立てるべきなのでは? そして犠牲になった韓国や中国の若者に、まず心からの謝罪を慰霊碑には刻まなけばならないのでは。そしてその上で、心から彼らの魂に慰霊をすべきなのではあるまいか?しかし、知覧の地とは、決して侵略戦争を美化するものであってはならない。植民地からの多くの若者が動員され、戦争を遂行した歴史的事実を、日本の若者たちにきちんと伝えていく地でないといけない。戦争は、余りにも無惨に若者たちの命を奪ったことを忘れてはならない。かっこいいのではない・・・彼らは悲痛な思いの中で人生の幕を閉じたのだ。私の親戚はほとんどがそうであった。

いいですか!踏まれた国の人々は忘れないのある。しかし他国を踏みにじった者は、今日では歴史的事実をきちんと継承しようともしていない。ただ行雲のように流れすぎ、事実が風化するのを待っているだけなのだ。今日、日本の地にどれだけ戦争を謝罪する慰霊碑があるだろううか?ほとんど皆無である。
しかし「憲法九条を世界に紹介する」運動など、無色無党派の人々によって多くの努力がなされているのも事実である。素晴らしいことだ。「憲法九条の会」などの動きが、ますます深く日本や世界の地に根を下ろしていくことが、これからの大きな希望だろうと思う。

私は、かってドイツのベルリンの街角で、驚いたことがある。それはユダヤ人がナチスの迫害にあって、それぞれの家々から連行されたこと、その事実を忘れまいと街角の道路などには鉄のプレートに刻み込んで、歴史を継承していっている。町全体に歴史の記憶が残されていること。こうして街角から、歴史の掘り起こしと謝罪が行われたドイツに比べ、歴史に対してどれだけ真摯な努力が、日本で行われているか?考えてみる必要があるが、今ではこうした慰霊碑を日本の国内に立てることもできないのではないか。

もし、今日、戦争に対して「謝罪」でも行おうものなら、マスコミや街宣車に囲まれて身動きができなくなるのが、昨今の日本の厳しい現状なのである。こうした厳しい現状を忘れ、韓国の地に特攻隊員の慰霊碑の建立を求めたのは、余りにも歴史の事実や国民感情を知らなすぎるのでは?考えてもらいたい。原爆の地の広島で被爆したたくさんの朝鮮や中国の人々に対して、これまで謝罪を含めた慰霊がきちんと行われたとお考えですか?そして被爆した高齢者でご存命の方々にきちんと補償でもしたでしょうか?原爆手帳も満足に手渡してきたでしょうか?まずは生きている方々を優先にすべきなのです。

結論ですが、こうした特攻で亡くなった韓国朝鮮の若者に対しては、まずは日本の地にきちんと謝罪と慰霊の碑を建立して、次世代に歴史を継承していくのが、歴史を生きる「われわれの責務」ではないでしょうか? 歴史とは過去の行為を意味するものでだけはなく、未来にたいする平和への祈りを明確に示さないといけないのです。

踏んだ者には、踏まれた者の考えや感情は永久にわかりません。踏まれて初めてその意味や感情がわかるものです。石碑を建てるのは実は簡単なことですが、しかし平和を具合的に作っていくのは、容易ではありません。だれにも祝福される石碑の建立でないと、3000坪の土地の石碑が泣いてしまうのではないですか?

世界史に比べ、忘却する時間が余りにも早い日本史にとって・・・・・・・・韓国の地ではなく、日本の地でやるべきことがまだたくさんあると思うのです。        
                                                        


毎日新聞 2008年5月10日 19時41分(最終更新 5月11日 0時03分)

韓国:朝鮮人特攻隊員慰霊碑の除幕式中止…地元団体抗議で

韓国南部・泗川市内に建てられた朝鮮人特攻隊慰霊碑の手前で、反対派住民に阻止され、手を合わせる黒田福美さん(中央)=2008年5月10日、堀山明子撮影 【泗川(サチョン)(韓国南部)堀山明子】韓国通で知られる女優の黒田福美さんが建立に奔走、泗川市で10日に除幕される予定だった朝鮮人特攻隊員、卓庚鉉(タクキョンヒョン)さん(享年24)の慰霊碑に地元団体が「特攻隊は日本軍協力者だ」と強く抗議。除幕式が中止されたうえ、協力してきた同市が一転、撤去の方向で検討に入った。黒田さんは「特攻隊員も犠牲者」と説得する構えだが、日韓の隔たりは大きそうだ。卓さんは1945年の出撃前夜、朝鮮民謡アリランを歌い、知覧(鹿児島県)基地から飛び立ち、映画「ホタル」のモデルになった。
朝鮮人特攻隊員に興味を持った黒田さんが韓国で用地を探し、昨年、金守英(キムスヨン)泗川市長が土地提供を申し出た。卓さんの命日前日にあたる10日の除幕式に参加するため知覧出身の霜出勘平・南九州市長や日本人観光客27人が現地入りしていた。
反対派は「公聴会も開かずに土地を提供した」と金市長を批判。市長は7日になって、除幕式中止と慰霊碑撤去の方向で努力すると表明。9日夜に黒田さんも中止に同意した。同市当局者は10日、日本人への説明会で「一部住民の反対が強かった。壊される可能性があるので撤去して保存したい」と語った。説明会後、黒田さんら一行は「せめてお参りだけでも」と慰霊碑に向かったが、反対派住民約50人が待ち受け、機動隊まで出動して物々しい雰囲気に。抗議のシュプレヒコールが続く中、一行は慰霊碑の100メートル手前で手を合わせ引き返した。黒田さんは「今回の試みは無駄足ではなく歴史的な一歩。今後も理解を求める努力を続け、韓国の答えを待ちたい」と話している。

アサヒコム

朝鮮人特攻隊員の祈念碑、撤去へ 「親日」に韓国で反発
2008年05月11日00時01分

【泗川(韓国南部)=箱田哲也】日本軍の特攻隊員として戦死した朝鮮人青年を慰霊するため、韓国通の女優、黒田福美さんらが韓国・泗川市で10日に予定していた祈念碑の除幕式が、直前に中止になった。左右両派の団体が「日本のために死んだ者を称賛できない」などと反発。同市は祈念碑をいったん撤去して保管する方針だ。
女優の黒田福美さん
黒田さんは、戦争の犠牲になった朝鮮の若者の名前を故郷に刻もうと日韓を奔走。特攻隊員として沖縄周辺の海で24歳で戦死した卓庚鉉(タク・キョンヒョン)(日本名・光山文博)さんがいたことがわかった。卓さんの地元、泗川市が3千坪の土地を提供。5メートルの石碑も完成し、10日午前に除幕式を開くことが決まった。
だが、除幕式が近づくと、植民地時代の独立運動にかかわった人々らでつくる右派の光復会が「韓国人であっても特攻隊員は天皇に忠誠を誓った人物」と祈念碑への反対を表明。韓国政府の依頼で、植民地時代の「親日人名辞典」のリスト作成を進める民族問題研究所も「侵略戦争の犠牲者だが、連合軍からみれば加害者でもある」と除幕式の延期を主張した。左派系団体からも同様の声が出た。

 泗川市は混乱を回避するため、市長の式典欠席を決定。9日、黒田さんらに式典の中止を要請するとともに謝罪したという。日本からも約30人がツアーを組んで参加し、除幕式に合わせてシンポジウムを開く予定だったが中止に。10日昼には黒田さんや参加者らが現場に向かったものの、光復会のメンバーらに道を阻まれ、石碑に近づくことすらできなかった。 黒田さんは、国籍にかかわらず沖縄戦の全犠牲者の名を刻む「平和の礎」のような施設を目指していた。「創氏改名で日本人とされて死んでいった人たちの魂が帰れる場所を作りたい、という一心でやってきた。今回の問題の答えは、後に韓国社会自身が出してくれると信じている。



朝日新聞 (2007年8月18日)

「朝鮮人特攻兵の石碑を故郷に 女優の黒田福美さんら計画」

特攻隊員として死んだ朝鮮人青年の名を、故郷の石碑に刻みたい――。女優の黒田福美さんが、長年の念願を果たそうとしている。きっかけは小さな出来事だったが、「両国の人に戦争の悲劇を考えてもらえれば」と黒田さんは語る。その特攻隊員は、卓庚鉉(タク・キョンヒョン)さん。日本名は「光山文博」。鹿児島の知覧特攻平和会館の記録では、1945年5月、沖縄周辺の洋上で戦死した。当時24歳。特攻を描いた映画「ホタル」で、出撃前夜に「アリラン」を歌う隊員のモデルとされる。黒田さんが卓さんを知るきっかけは、16年前に宿泊先で見た「夢」だった。青年が現れ、「死んだことに悔いはないが、朝鮮人なのに日本人の名前で死んだことが残念だ」と告げる。意味が分からないが、頭から離れなかった。やがて「特攻兵では」と思い始める。ソウル五輪のころから韓国通で知られ、韓国ブームの中でテレビのコメンテーターとしても活躍していたが、特攻隊に朝鮮出身者がいたことは、それまで知らなかった。95年に新聞のコラムに夢の話を書いたことで、靖国神社から連絡があり、卓さんの遺影を初めて見た。知覧基地近くの食堂の娘だった赤羽礼子さんと知り合い、韓国の親族とも交流するうちに「夢の青年」と信じるようになる。00年夏、沖縄県糸満市の「平和の礎(いしじ)」を訪ねた。沖縄戦の犠牲者らの名を刻む石碑に卓さんの名も刻まれていた。
沖縄で犠牲になった朝鮮人には強制連行された軍属が多いが、日本への協力を知られることをいやがる親族から刻銘の同意を得るのは簡単ではない。黒田さんは、犠牲者の調査を続ける韓国・明知大学教授の洪鍾●(●はにんべんに必、ホン・ジョンピル)さん(71)と出会う。 洪さんの兄は海軍兵だった。各地を歩いて遺族を探し、礎への刻銘の許諾を得るという地道な作業の中で、洪さんは卓さんの本家に当たる親族を探し当てていた。昨年、二人で卓さんの故郷、韓国南部の西浦(ソッポ)を訪ねた。黒田さんによると、卓さんの墓はないという。「石碑を故郷に建てたい」という黒田さんに村の人が問いかけた。「戦争で大勢が死んだのに、なぜその人だけ?」洪さんによると、その町でも多くの人が戦争で犠牲になったとみられるという。「卓さんへの思いを通して、多くの人が巻き込まれた戦争の悲劇に思いをいたす」――それが黒田さんがたどり着いた結論だった。
年内にも建立したいという碑の表には、卓さんへの追悼、裏面は戦争の犠牲者を悼む言葉を刻む。黒田さんは「日本から訪ねてくれる人がいたらうれしい」。洪さんは「日韓の過去の歴史を学ぶ場になったらいい」と語る。


この碑文を見て私は驚いた。これは韓国に建立されるものなのに韓国の文字のハングルではなくて日本語で書かれているのだ。特攻で亡くなった彼は、日本語で祀って欲しかっただろうか?これはだれを対象に書いたものなのだ。要するに将来訪れる日本からの観光客を対象に考えていたのだろうか?そうに違いない。しかもいかにもこの碑は私が建てたと「黒田福美」と名前を大きく書いている。これはたくさんの人々の善意による寄付ではなかったのか?これはいったいなんなんだ。


売名行為ではないのか?こうした日韓に関するデリケートな歴史事情に関しては、自らの名前を出さないのが、歴史の常識と言えるものだが、ここには売名的な色合いが極めて濃い。なぜ5メートルもの壮大な記念碑を日本人として特攻で亡くなった卓さんのために彼の故郷に建立される必要があるのか?残念なことだ。黒田は、夢に出てきたといって、いかにも素朴な感情表現を装いながらも、自分の名前までも歴史の中に刻み込もうとする。少なくても自分の名前ぐらいは削っておくべきなのだ。

日本人観光客に褒めてもらおうとするのであろうか?ああ、本当に嫌なことをやってくれるね。私が韓国人であったらならば、絶対にこうのようなものは建てさせないよ。国際関係では、よく周囲の事情を知らずに行ってはならないのだ。価値観も体験も異なるのに、自らの感情だけで歴史の中に押し付けをする驚くべき日本人ーこれが日本人の傲慢さでなくしてなんだろうか?もしそうでないなら、5メートルの碑ではなくて、50センチの碑でもいいから、人知れず卓さんのために建てるべきだろう。そぼくな感情は素朴に育てるげきなのだ。朝鮮半島の人々全体に謝罪しなければならないのは、日本人全体なのだから。これだけの大きな碑は、謝罪碑として、日本政府が国民の名前において建てるならそれは自然なことなのだ。

特攻で亡くなった一人の韓国人を英雄にするのではなく、そしてその碑の建立を呼びかけた人間を褒め称えるのではなく、戦争で亡くなった多くの人々を心から追悼しなけらばならない。そしてそこにはハングルの文字できちんと日本人全体の侵略戦争に対する謝罪を書かないといけないと思う。
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この記事へのコメント

  • 歴史は検証され事実は事実として認めて語り継ぎ嘘は嘘として認めて改めて事実を語り継いでいくべきです。
    2019年07月18日 20:58