ガダバブー(ロバの旦那さま)の夢

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あるとき、インドのシャンティ二ケタンの地へ、カルカッタから一人の日本人の若者がやってきました。名前はなんでも「アキヒト」とか言いました。彼は大きな夢を持っているというのです。なんでもその夢の実現のためにマグロ漁船に1年間乗って働き、お金を貯めたというのですが、彼の夢とはロバの背にまたがり、カルカッタ(現在コルカタ)からパリまで陸路で旅をするというのです。目的地がどうしてパリなのか、よくわかりませんが、それはどうでもいいことでした。とにかく歴史上、まだ誰も実現したことがない陸路の旅であること、ロバに乗ってのんびりと行くのというのが、彼の夢の核心部分でした。

丁度1年前、私はパリからカルカッタまでバスや船や汽車を乗り継ぐ陸路の旅をしていたので、シルクロードの旅といってもなんでもないことだったのですが、乗り物はロバでパリを目ざすというのはなんとも痛快のように思えたのです。ロバはなんといっても愛嬌のある家畜ですからね。あの断末魔のような鳴き声を別にすればね(笑)。

ある日、夕食に彼を招いたところ、彼はマグロ漁船で、どのようにして働いていたか、どうやってお金を貯めたかということなど、漁船での最盛期の働きぶりをかれはおもしろおかしく実演してくれました。大きなマグロがどんどん捕れる時、どのように必死に大きな縄をたぐり寄せるのか、その表情には、夢を実現するために賭けた熱意のすべてがこもっているようでした。それだけの熱意があればどのような夢の実現も可能のように見えました。

彼は、カルカッタの周辺でロバを探したそうですが、どうしても見つからず、そこで日本人の留学生もいるシャンティ二ケタンの地にやって来て、みんなの協力を得てロバを探そうとしていたのですが、やっと苦労して手に入れることの出来たのは「クリーニング屋」で働いていた一頭のロバでした。クリーニング屋のロバは、衣類を洗濯するため、近くの沼まで10頭ぐらいがそれぞれ山のような衣類を背中に載せて毎日運んでいるのですが、そのロバを分けてもらうことにしたのです。彼は大喜び大喜び・・・・まるで夢が実現したかのように興奮しました。

しかしこのロバは、クリーニング屋の親父の叱責ではよく働いても、異国からやってきた見知らぬ男の下では決して働こうとしません。購入したとたんにロバは全く動かなくなったそうです。環境の激変を嫌ったのでしょう。インドからパリまで行こうとするのですからね。しかし若い男は、みんなの助けを借りて、懸命にロバを引っ張り引っ張り、安ホテルまで連れてきたそうですが、帰り道、力の強いロバの足蹴りで何度も男は蹴倒されたそうです。それを見た沿道の子どもたちは、炎天下でロバを必死に引っ張る男を、馬鹿にして「ガダバブー」(ろばのだんなさま)と囃(はや)したそうです。ちょうどその時期は、メラ(祭り)の季節でしたから、実にたくさんの子どもたちが集まっていたそうです。
彼は人からなんと囃されようともものともせず、意志をますます固くはしたのですが、肝心のロバはどうしても思うように動いてくれません。私が彼と出会ったのは、ロバを木の下に繋いで、一生懸命悩み考えている時でした。ロバは何も知らない顔をして黙って木の下で草を食べていました。ロバは、彼の夢の実現には全く関心がなかったのでしょうね。

その夜、私も相談を受け、どうしたら彼がパリまで行けるか?ロバをどうやって調教したらよいかが大きな課題でした。大金をはたいて購入したロバが思うように動かなかったら、彼の夢の実現はいったいどうなるのか・・・。その夜、いろいろ議論しましたがいい案は思い浮かばず、結局、結論は、翌朝、ロバを売り戻すということでした。私は大変残念な気持ちでした。彼がロバに乗って、いくつも国を越えてパリまで行くという夢は、なんとも素晴らしい夢想のように思えたからです。・・・・・しかしロバの足蹴りが続くと、彼自身の命の保障だってありませんからね。
ロバは安心してクリーニング屋へ帰っていったそうですが、帰っていくときのロバの足はとても速かったそうです。クリーニング屋の親父は、売却時の値段では頑として受け入れず、結局半値で引き取ったそうです。

そして、取り戻した半値で、中くらいの「リヤカー」を購入することに決めたのです。そして特製の木箱を受注し彼の持ち物一切を、とは言ってもなにも大したものは持っていなかったのですが、そこに入れて、準備が整うとシャンティ二ケタンからさっそうとパリを目指して出発したのです。雨季の季節でしたが、その日は天気のいい日でした。彼を見送りにシュリニケタン(希望の地)まで行きましたが、彼が引っ張るリヤカーの箱はこの上もなく美しい花も飾られていたので、まるで彼は棺おけを運んでいるような光景でした。

「元気でね!」とみんなで笑いながらも、手を千切れるほどに振ったのですが、彼は最初は緊張の余り表情を少しも変えません。首に手ぬぐいをしっかり巻いてから、初めてにこっと笑って元気に歩み出したのです。夢の達成は、ロバの力ではなく、彼自身の力と足で作り出そうというわけですから、とにかくすっかり自信を取り戻したのです。その様子を、シャンティ二ケタンの地で知り合ったオーストリアでのチベット仏教を学んでいた留学生のガールフレンドが心配そうに見つめていました。名前をアンドレアとかいいましたが、今思い出すと、まるで昨日のことのようですね。

それから・・・・1ヶ月が過ぎたころ、郵便局の前で、アンドレアに会ったとき、彼女は1通の手紙を私に差し出しました。それは彼からの手紙で、日本語から英語に翻訳して欲しいというものでした。彼は英語がほとんで出来なかったので、手紙はすべて日本語で彼女への思いをせつせつ書いているものでした。アンドレアも、もちろん日本語はできません。とにかくこの手紙は、旅の途中に地方の郵便局から投函したものと思われます。とにかく彼は元気に歩いているようなので安心していました。

そして3ヶ月が過ぎたころ、驚くことが起きたのです。ある日のこと、
家の前に広がっているロトンポリの荒野で、一緒に凧(たこ)を揚げている若者ととアンドレアの二人を見かけたのです。
「ありゃ!!どうしたの? あなた、パリに行ったんじゃないの?」とびっくりして尋ねると、彼は恥かしそうに、
「いえ、デリーまでは2ヶ月かけて歩いて行ったのですが・・・・」と言ったあと
「アンドレアが言うのには、アフガニスタンのカイバル峠では山賊が出て、必ず命を落とすことになるから、このような危険な旅は止めて、それよりも私と一緒にオーストリアへ行きましょう」
と説得を受けたというのです。そして嬉しそうに、
「僕、来月アンドレアと一緒にオーストリアへ行きます」と言うのです。聞くところではアンドレアは、彼がデリーに入る前、先回りしてデリーで待っていたそうです。そして彼を飛行機に乗せて一緒にカルカッタまで舞い戻ってきたというのです。彼女も自分の夢の実現を図っていたのですね。

「なあんだ!パリ行きの夢は結局アンドレアに摘み取られたというわけですか」そう言って私は大笑いした。彼は苦笑したが、いかにも満足そうだった。2ヶ月かかってでもデリーまでリヤカーを引っ張って歩いたのはいい経験になったようでした。ただし沿道では、何度も石をぶっつけられたり馬鹿にされたのが悔しかったと言っていました。インドの村では、見知らぬ風変わりの者をみんなで迫害するというのです。

とにかく彼の夢の目的地が今は「ウイーン」に変更されたということですが、パリには近づいたのだから祝していいのかもしれないなと思いながらも・・・・・・しかし私の脳裏には、今でも彼が、ロバに乗ってさっそうとパリを目指しているたくましい姿が浮かんでくるのです。ロバに乗ってカイバル峠を越えている「アキヒト」さん、もっともそれはロバに蹴られていない者の夢想ではあるかもしれませんが・・・・・・。

誰か風の便りにつぶやいていました。「アンドレアって、きれいな人だったけど、性格は頑固なロバのようだったね」・・・・・・・・・ということは、結局彼は、夢見ていたロバに乗って、ヨーロッパはパリではなく音楽の都ウイーンに向かったということになるのでしょうか。そうです。そうです。彼は夢を実現したのです。

その後、おふたりがどのような人生を送ったのか、誰も知るものはおりません。

1975年の実話です。







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