アジアと私

アジアと私

 ある日、私はそれまで1年間暮らしていたドイツのミュンヘンを発って、インドに向けて旅立った。イスタンブール急行というヨーロッパからアジアの国々へと横断する国際列車に、三日間ゆられ、はじめてトルコのイスタンブールの地を踏んだとき、なんという感動が全身にこみあげてきたことだろう。トルコに着くとアジア大陸が始まるのである。東西文明の十字路ともいわれるイスタンブールで、目にし、耳にし、臭いをかいだのは、ヨーロッパ社会の時間や空間とはまるで異なった、ごちゃごちゃの活気ある世界と生活であった。あらゆるものが生(なま)の形で動き、生き、笑い、愛し、哀しむひとびとの生活がそこにあった。

南の国特有の灼熱の太陽と、照り返す路上の熱気のなかで、ひとびとのすさまじいかけ声やののしりあいや叫び声を聞いた。イスラム教のモスクからは、コーランの読経が天空にこだまし、何百年も全く同じ鉄のハンマーで打っていたのではないかと思えるかじ屋のハンマーの音。羊の腸に水を入れて運ぶ男たちの群れ。きゅうりを十字にさいて、塩をふりかけながら売り歩く少年たち。黒煙を吐きながらけたたましく走りゆくポンコツ自動車……。


およそあらゆる存在が、生きのびようと必死にもがいて、自分の存在を主張している。しかし私は鼻の穴をまっ黒にさせながらも、全身でホッとするものを感じていた。この世界は、いかにもヨーロッパの文明人らしくかまえることもなく、きびしくきめられた姿勢や役割りを行儀よく演じることもいらず、ただ自然に人生に参加してゆくだけで十分なのだ。つまりアジアへの入口で、私は本当にくつろいだ人間的な時間や空間を感じたのだ。あとでふりかえる時、この明るく生き生きした体験は、じつに幸せなアジア体験のはじまりではなかったかと思える。

ドイツやフランスの冷たく暗く長い冬のなかで、ヨーロッパがもっているある種の冷たさは、一体どこからくるのか、終始考えていた。ミュンヘンの雪の朝には、スペイン、ギリシャなどの南の地からやってきた黄色いゼッケンを着けた外国人労働者が、悲しげな表情で雪かきをしていた。

そのそばを毛皮をはおったひとびとがベンツで静かに通りすぎてゆく。ヨーロッパはたえず、気持ちのいい空間を求めているのだ。いかなるものを犠牲にしても。ドイツの犬は、余りにも行儀がいい。オペラの見物に連れてゆかれても人間以上にきちんとした態度で鑑賞している。これは驚異だ。犬は元来ほえるものだということを忘れてしまったのだろうか。

ミュンヘンの街角でみかけた上品な骨とう屋。ショーウインドーのなかには、世界各地から集められたアンティークの人形が無表情に大きく目を見開き、買い手がつくのを待っていた。そこには、インドネシアの農村から運ばれたにちがいない大量のワヤンクリ(影絵人形)が無造作に積みあげられてあった。これだけのワヤンクリが村から運び去られると今、その村では影絵は消えてしまったのだろうか。文化財は売られていくのだ。買われていくのだ。

そんなことを漠然と考えながら、やがてトルコから黒海を船で横切ったとき、船中でトルコの落下さん部隊に所属する兵士がさかんに落下さんで飛びおりる時の話をしてくれる。千人空から飛びおりると一人や二人はパラシュートが開かなくて大地にたたきつけられて死ぬという。そういいながらみんなでけたたましく大笑いする。そして、そのあとシーンと黙りこんでしまう。重たい沈黙であった。彼らは兵役が終わったら、郵便局の配達員やパン屋の親父になって働くといって人生を夢見ている若い兵士たち。



けわしい山岳地域をもつイランを越え、アフガニスタンへと一人旅はつづいた。とつぜん、砂漠に銭湯の煙突のようなものが見えてきた。ターバンを巻いた老人が、あれは中世のモスクの尖塔の遺跡だと教えてくれる。焼けつくような砂漠のなかでひとふさのぶどうをくれた老人―それにしても一人旅はじつにさまざまな事を経験させてくれる。
そこはへラートいう地名だと教えてくれる。

ホンコン映画のスター。ブルースリーは日本人だと思われ、とつぜん、若者たちから決闘を申し込まれたり、占星学の教授とおたがいの運命についてつばきを飛ばして議論したり、とにもかくインドへインドへと旅をつづけた。インドへ向かった理由は、実は西ベンガル州に詩聖とも呼ばれるロビンドロナート・タゴールの設立したシャンティニケタン(平和の地)の学園で哲学を学ぼうと考えていた。その地では大きな菩提樹やバニヤンの木の下でまあるくなって伝統的な授業がおこなわれている。

タゴールがかつて呼びかけた“人類の岸辺に集まれ”に応えてはるばるシャンティ二ケタンの地までかけていったわけだが、しかしいつの時代も学園とは、うつわや形だけで成立するものではない。人間らしい人間がいてはじめて成立するものだけに、タゴールなきあとの魂のぬけたとうな哲学の講義には何の興味ももてず、ベンガルの農村をブラブラ回るのを私の日課とした。ベンガルの村には、ベンガル人とは違うサンタールという少数民族が住んでいた。

インドの多様性、インドはじつに興味深い世界であった。人間と自然が混然一体となって生きている。ドイツでは犬も人間もしっかり区別されていたが、インドでは区別はないかわりに、カースト制度の差別構造が村の生活のすみずみまで根を下していた。そのなかで声にならない声を出そうとしていたのが少数民族のサンタールのひとびとであった。しかし彼らは、誇りをもって古代からの無限の時間のなかを豊かな文化とともに生きつづけているようにみえた。しかし一般のベンガル人は彼らにきびしい差別意識をもっていた。アンタチャブルの人以上に、少数民族は差別されているのだ。


私の住む家のまわりには、赤茶けた砂でできた砂漠が広がっていた。毎朝太陽が昇るとその砂漠を、就学せず、家系を助けるために働いている六歳から八歳の子どもたちが牛ややぎを連れて異動してくる。片手に竹の笛をもち、その音色が響いてくると私はきまって砂漠に飛び出した。

そして子どもたちと一緒に「砂漠の学校:なるものをつくった。砂漠で見つけた良質の年度で牛ややぎなどさまざまな動物を創ったり、タゴールが作詞作曲した歌を歌ったりして暮らした。子どもたちが生まれてはじめてつくった牛ややぎは、子どもたちが生活のなかで知り尽くしているだけにじつに感動的だった。粘土のかたまりが、彼らの手にかかると命のかたまりのように表現された。

またある時、町で買ってきたベンガル語版の美しい絵本を子どもたちに見せたことがある。絵本には満月の夜、白い象と黒い馬が月の光を浴びながら楽しく踊っている絵が画かれてあった。その絵本を子どもたちは、まるで魂でも奪われたかのように見入っていた。


やがてインドでの滞在を終え帰国し、私はユネスコ活動を開始したとき、「本の飢餓」に苦しむ子どもたちは、インドだけでなく中国やベトナムやイランやモンゴルなど、日本や韓国などを除いたほとんどのアジアの国々において深刻な状況にある事を知った。そしてそこで、アジア・太平洋地域に二十五か国と児童書や絵本や識字教材などを多数共同開発に従事した。

しかしアジアやアフリカなど現実はきびしく、今学校にいけずに文字の読み書きのできない子どもたちは激増している。アジアには約七億人にのぼる文字の読み書きのできない大人がいるが、就学していない児童は一億人にのぼっている。その数は人口爆発により激増している。大人の文字の読めないひとびとが増加することは、つまり父母の生き方がその子どもに大きな影響を与えるのである。飽食の日本の現状からどうしても見えないさまざまな現実がアジアには深く広がっている。どのように日本の子どもたちに、この光と影をせまった現実を伝えてゆくか。二十一世紀を前に私たちは大きな責任と課題を背おっている。

仕事をしながら私は一つの夢をもっていた。ドイツやインドにいた時にかきためていた創作童話を出版する事、一九八八年に英文で”The Legend of Planet Surprise”(「びっくり星の伝説」)を自費で刊行した。これからのアジアの子どもたちに自分自身の気持ちを寓話のスタイルで伝えたかった。

驚いたことにこの本は二年もたたないうちにアジアの十か国で十五言語で翻訳出版された。ラオス語版では、この本を刊行するために募金運動がおこり、二万部が無償でラオスの小学校に配られた。タイでは五万部が刊行され、マレーシアでは国立文学研究所(デワン・バハーサ・ダン・ブスタカ)で七百名のひとびとが出版記念会を開いてくれた。私は喜びで胸がはりさけるような気持ちになりながらも、一体どういう事かと自問自答した。するとラオスやベトナムの友人が「あなたの物語りの中には、私たちの生活が生写しになっている」といった言葉を思い返した。

びっくり星の伝説」のなかで、私は人間の手と言葉がつくり出した文明を追求してみたかった。あふれる言葉と何ともいいようのない巧みな人間の手が共同で、一体いかなる世界を創り出しているのか。幸せになることよりも不幸せになるものばかりをつくり出しているのでは。


アジアは今大きな変動のなかにある。二十一世紀を生きる子どもたちにアジアの現実を、その光と影をどう伝えてゆくべきか。かつてシャンティニケタンの地でこう考えた。

すべての子どもたちに関係するひとびとよ、口にくわえて食べている子どもたちの存在を、一刻も早くテーブルの上にもどしてくれ。いやテーブルの上ではなく、土の上に、大地の上に、自然の上に、思い切り返してくれ。自然のなかにいてはじめて子どもたちは人間らしくなる。

「自然に生きることこそ、人間は学ばねばならぬ。」と。

(たじましんじ)

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