戦争法案を支持した同志社大学と立教大学とはなにか?

7月13日、衆院特別委の中央公聴会で「安保法制」を積極的に肯定する意見を述べた同志社大学の村田学長に、私は愕然(がくぜん)とすると同時に大きなショックを受けました。多くの方も同様に感じたことでしょう。そして私は「このような愚かな意見を述べる学長のいる学校は、もはや大学に値せず」とさえ思い、「同志社大学の著しい質の低下」を嘆いたものでした。「安保法制」が、どれだけ日本の安全や平和を損なうものか知らぬわけでもありますまい。特に多くの学生を預かる身の学長であるならなおさらです。もはや学長の資格はないのです。


ところが大学とは、決して学校名ではなく、個人の人物そのものだと感じたのは、「安保法制に」反対するSEALDsの同志社大学2回生の斎藤りんさんのスピーチを聞いた時でした。斎藤さんは渋谷駅前で、実に鮮烈で感動的なスピーチを行い並み居る聴衆を感動させました。彼女は自分自身の生き方を振り返りながらも、安倍首相の怖ろしい暴走に厳しい批判を行ったのです。実に訴えるものがありました。村田学長には、彼女の垢でも煎じて、飲ませたいほどでした。辛うじて同志社の名誉は守られたようです。


そして民意が下ったのです。もちろん学内選挙の結果ですが、村田学長の再選は叶わなかったのです。当然でしょう。もしも村田学長が再選されていたら、同志社大学は、もはや大学には値せず、内部から崩壊して行くのは明白なことだったのです。そんなことは学生だって知っています。渋谷での、りんさんのスピーチには、そのような怒りを含んでいるように感じました。


近くは「立教大学」が、安保法制に反対する「学者の会」に、会場を貸すのを拒否したことも、私たち日本国民は絶対に忘れません。これは絶対に許しません。立教大学は、会場の貸与を学者の会が「政治的」であると言って拒否したのです。なんということでしょう。こうした姿勢は、安保法案を支持しているのと全く同じです。日本が今置かれている危機的な状況の中で、自らだけが、大学だけが無難に、安全に切り抜けようとするその精神は、キリスト教の精神からしても腐りに腐っているとしか言えません。もはや立大は、ボランティア活動などを広言せず、決して活動を展開しないでいただきたい。公明党が、平和や国際を標ぼうしながら、実は腐りに腐っていたのは、だれもがよく知っている事実でしたが、利権がそんなに甘いものとは国民はよく知らなかったことですね。 現在、多くの日本の大学は、自由や批判精神を失くし、どんどん「親方日の丸」の「御用大学」となり果てている悲惨な状況にありますからね。


ところが、斎藤りんさんのように「たくましい若者」が、今、日本で育っているのも事実です。決してこれら大学人のような腐り果てた精神や行動とは大きく異なるのです。。。。。。時代が混迷を深める中で、若者たちは、なにが「真実」で、なにが「希望か」、よく知っているのです。立ちあがるのは時間の問題です。がんばれ、みんな!!


https://www.youtube.com/watch?v=WrWlfP_IMj4 (斎藤りんさんのスピーチ)

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