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zoom RSS 全共闘運動が時代に求めたもの、遺したもの<ベトナム戦争終結の意味> 永遠なる全共闘・・・・・・

<<   作成日時 : 2018/01/19 19:04   >>

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1968年頃、全共闘運動という学生運動が存在していた。全共闘運動は、当時まるで熱病のように全国の大学に波及し、「全共闘の学生でなければ学生にあらじ」といった感があった。

1968年のある秋の暮、当時、お茶の水駅のすぐ側にある中央大学の駿河台校舎の中庭で、ベトナム反戦のための「全共闘全国総決起集会」が開かれ、私もノンポリラジカルで、どこのセクトにも属さない自由な立場で集会に参加していた。林立する角材や赤白黒の色とりどりのヘルメットをかぶった全国からの学生に囲まれた壇上に、羽仁五郎という政治思想家が招かれスピーチを始めた。全国から集った学生は、約5000名とも思われ、会場はものすごい熱気に包まれていた。そして名高いアジテーターである羽仁五郎の口から、どのような言葉がほとばしり、この熱気をさらに盛り上げてくれるか、学生たちは高揚感の中で彼の言葉を待った。これまでの弁士も、学生たちを熱血的に鼓舞していていたからである。

しかし彼は開口一番。「諸君!諸君のこの闘いはやがて、敗れるであろう!」と言ったのである。熱い言葉を待っていた学生たちは驚愕した。そしてその瞬間、驚きの声が会場を走った後にすぐに「ナンセンス!ナンセンス!ナンセンス!」というすさまじい怒号が羽仁五郎に向かって投げ付けられたのであった。「寝ぼけ老人、なにをしゃべっている!われわれが敗北だと?・・・お前はどこの党派に属しているのだ。これだけたくさんの学生が集った全国総決起集会で、そのような馬鹿な言葉をしゃべるのは許しがたい。けしからん。馬鹿にしている。」怒号の内容は、おそらくそのような趣旨であっただろう。

すると羽仁五郎は冷静な口調でしゃべり続けた。
「諸君、・・・・権力というものは甘くない。諸君がいかにゲバ棒をもって闘っても、かれらの力は強大なのだ。・・・しかし諸君、諸君がたとえ敗北しようと、こうした闘いを経験した者が、これからの日本の市民になっていくことが大切なのだ。諸君!未来の市民社会とは、君たちのような経験者によってこそ、たくましく形成されていくものである。」と、このような趣旨を説得するようにしゃべったのであった。


かれは時代を見据えていた。学生たちがゲバ棒という”軍事力”に酔いしれている存在を痛烈に批判したのでもあった。「都市の論理」の思想家でもある彼の言動はさすがであった。彼は時にはユーモアを交え、いつも笑顔でしゃべってはいたが、目は決して笑ってはいなかった。厳しい前途を予感していたのであろう。この場の発言ではないが、彼は戦争について、「戦争は今の君の心が起こすのだ。多くの人が平和を望んでいるに違いない。戦争はいやだ、あんな悲惨な思いをするのはもうたくさんだ、と思っているのだろう。それでも、戦争は君の心から起こるのだ。」と警告している。これはユネスコの平和宣言から来ているのかも知れないが、イデオロギーにとらわれない自由な社会運動家であった。

全共闘には、さまざまな流れがあったが、中国での文革の影響も実に大きなものがあった。後年、文革は中国国内での政治権力闘争として認識されたが、その当時に「知識人よ!お前たちはなにものか?」という知識人の社会的な役割を厳しく問うものから、「自己批判」という実存的な問いかけを行った誠実な個人や運動体もあった。そこにはソ連という硬直した官僚主義の社会主義国への強い反発も存在していた。こうした運動が存在していた当時、考えてもみれば、世界はアメリカによるベトナム戦争の真っ只中にあった。日本の沖縄の米軍基地からは、北ベトナムに向けて、連日爆撃機が飛び立っていたし、新宿駅の深夜には戦闘機や爆撃機のジェット燃料などが貨車で運ばれていた。アメリカは戦争をし続けることに生きていくことができる戦争国家として認識されていたし、冷戦の最中では、いつ米ソの核戦争が起きても不思議ではない深刻で不安な政治状況が、当時の世界情勢だったのだ。

実に全共闘の学生たちが生きた時代とは、熾烈なベトナム戦争が続いていた最中。アメリカでは、1965〜73年の8年間で、300万人以上の兵士をベトナムに送り込み、5万8千人の米軍兵士が戦死(平均年齢19歳)、1200億ドルの戦費をつぎ込んだ。ベトナム人の死者は200−400万人、ラオスとカンボジアでも数十万人が亡くなった。そして日本の沖縄などアメリカ軍を支援する後方基地の役割を果たしていた。そのため米ソ関係が捻じれると、核戦争だって起きかねない深刻な時代。そのため1960年から1970年代の日本の若者たちは、このような時代の中を必死に生きていた。もし学生たちがこうした戦争に「異議申し立て」をしなかったら、今日のアメリカも日本の姿もなかったのです。日本やアメリカやフランス・ドイツなどの強力な反戦活動があったからこそ「ベトナム戦争が終結」に至ったのです。忘れないで下さい!アメリカを筆頭に世界中の学生たちの広範な反戦活動によってベトナム戦争は終結したのです、日本の学生たちはベトナム反戦と同時に、環境運動など社会に対する広範な「異議申し立て」を活動を広範に行って、初めてさまざまな社会変化が形を結んでいったのです。

しかしその当時の大学は、団塊の世代を受け入れるために、雨後のたけのこのように増設され、内容の薄いマスプロ授業が行っていたし、教授たちの多くも教育者の顔ではなく、商売人の顔をもったエセ知識人でもあった。大学で人間疎外が始まった時期でもあり多数の矛盾を抱えていた。全国学園闘争に火をつけた日大闘争が起きたのは、学校を私物化している「20億円使途不明金」の問題が端を発しているし、学内の雇われ教授たちでは解決能力は全くなかった。学生たちは、学校という現場から正義と学校改革を求めていたのである。また東大医学部闘争は医学部の中の諸矛盾と構造的な腐敗が教授たちや国家体制から流れ出てきていたのである。こうしたことへの自浄努力は既成政党ではできないし、やろうともしていなかった。東大医学部の台(うてな)教授は、戦争中には大陸での人体実験などを行っていたことで知られるが、こうした罪悪は初めて糾弾されたのである。戦後の政治家だけではなく、知識人の役割や意識が厳しく問われた時期だったのである。

世界的にはフランスの5月革命などの学生運動の嵐がカルチェラタンで吹いていた。人間が、世界経済の高度成長社会の中で、物のように消費されていく走りであった。こうした世界の経済体制に「人間的な顔を持とうと大きな待った」をかけたのがこうした動きの中にあった。そこにはベトナム戦争によるアメリカやソ連などの硬直した官僚主義などが厳しい批判にもあっていたのである。それはチェコスロバキアやポーランドなど東欧での大きな社会変革を引き起こしていった。

しかし、それからの日本の学生運動は、浅間山荘事件や連合赤軍などの内ゲバなど悲惨な事件によって象徴され、そしてあっという間に大衆的な支えを失って下火になっていった。つまり過激派によるセクト間の争いでやがて自滅していったのだが、こうした過激的な運動を導いたのはあらゆる意味で、全共闘運動とは本質的には関係のないセクト学生たちであったが、それは結局全共闘運動を滅ぼす始まりとなった。日本の全共闘運動は、結局はセクト間やセクト内での「暴力」や「内ゲバ」によって、本質的な支えを失い滅びていったのであるが、こうしたことに対して本質的な「自己批判」なしには、フェニックスとなるのは極めて難しいのではないか。非暴力運動を徹底して身につけられるかが、日本の学生運動の再生の鍵となるものであろう。羽仁五郎が、かって「ゲバ棒学生たちを、激しく叱った」のも、こうした予感を示したものではなかったのか。そして、またそこには、全共闘運動の最終的な目的や課題が明確に示されていないこともあったように思う。登るべき山が明示されていなかったのである。


そのため学生たちが中途退学をしたり、卒業したりするとそこにはもはや全共闘という言葉は存在していなかったのである。世論もマスコミも、全共闘運動を、赤軍と同じような扱いで面白半分に評し、それから一挙に関心や興味を失ってしまった。全共闘に属していた学生たちは目的を喪失し、大学を中退したり、卒業したり、あるいは就職したりであっという間に社会に放り出されていった。しかしドイツでは、こうした学生運動の経験者たちは、社会の隅々に地道に根を張って働き、社会という大地に種を蒔き、やがて「緑の党」を結成して、ドイツの政治を大きく塗り替えていった。


その点、日本ではどうであったか?日本では、ドイツのような大きな政治運動にならなかったものの、社会に出て行った数多くの学生の中から市民運動が形成されたり、環境問題を考えるグループ、消費者運動なども結成され、無数の市民活動が始まっていくきっかけになった。特に全共闘運動の影響を直接・間接に受けた女子学生たちは、こうした市民運動や消費者運動を各地で直接・間接的に導いていったことを決して忘れてはならない。そして最も熾烈な課題であったベトナム戦争が、アメリカ国内の反戦活動やヨーロッパ・日本などの数多くの反戦活動の高まりなどによって終結へとに導かれたのは非常に大きな貢献であったと思う。それらはすべて1970年代に始まっていたからである。つまり全共闘運動に参加したときの批判精神や高揚感は、醒めることもなく、学生から多くの市民にも引き継がれていったのである。考えてみると、その時代から早や45年が過ぎようとしているが、今、静かに全共闘運動とはどういう意味があったのか考えてみたい。


全共闘運動とは、一言で言えば、それは社会や人生のありかたについて自分が置かれた立場から「異議申し立て」を求める運動ではなかったのかと思う。つまり団塊の世代は、あらゆる社会に対して、社会不正を憎み正義を求めて、不平不満を数多く表現し、初めて厳しい批判を行った世代なのであった。これが今日の若い世代と大きく異なる点だろう。それは、人生や社会において、「批判することによって真実を見分け、そしてその結果に責任を果たそうとした真摯な生き方」のことではなかったかと思う。当時は好景気であり、職も多数あり、自由な批判も許される社会的環境にあったし、批判する精神や魂をもった学生たちは、卒業後も、心にはいつも闘志を秘めて社会の中で批判的に生きていこうとしていた世代なのであった。もちろん企業や体制の中に食い込まれて、まるで子羊のように働き、やがて狼となっていた人間も多数いる。企業の尖兵たちもたくさん誕生して日本の高度成長経済が支えられていったのである。


しかしマスコミや経済界などは、全共闘運動を「暴力学生」「極左学生」と切り捨てられたが、みんな歌を歌いながら果敢に生きてきた。何百万人もの人々が犠牲となったベトナム戦争をストップさせるのは、容易ではなかった。戦争の裏側には、米国の軍需産業などの戦争屋が、戦争の拡大を常に煽っていたのですから・・・・しかしベトナム反戦がどれだけ大きな影響を当時の若者たちや時代に与えてきたか、みんな、2016年度のノーベル賞を受賞した「ボブ・ディラン」のように雄々しく闘っていたのだ。つまり当時の全共闘のみなさんこそ、無数のボブ・ディランと同じくあるいはそれ以上に時代を果敢に切り開いていたのではなかったか。彼らこそ心からの「ノーベル平和賞」を受け取る資格のある真の英雄たちだったのです。


この「この本質的に怒れる団塊」という世代によって、1970年以降の日本の確かな骨格が築かれ、豊かで新鮮な血液が脈々と形成されていったのは確かである。こうした精神性を決して忘れてはならない時期が、再びやってきているので、私は警鐘をこめて、敢えて全共闘運動について自由な立場から今回筆をとったのである。21世紀の現在を生きている全共闘世代は、古希も越えて、ますます老いていくにしても、今も心の中には全共闘魂を燃やしてたくましく生きている世代なのである。闘うことを放棄しない世代なのである。それは酒場で酒を飲むときだけでなく、中途半端にしか社会改革に関わることができなかった自分を、心の奥底から悔いながらも、自分の生きる具体的な社会現場で、さまざまな社会と関わりながらも、自分たちの人生の形をたくましく作っていこうとしたたくましい世代なのである。これが無責任とは言われたノンセクトラジカルの実体ではないだろうか。


そこには、もうヘルメットもなければ、さまざまな色の旗もない。つまり全共闘が人生で残したものは、内村鑑三の言葉のように、「たくましく生きようとする姿勢」そのものだったのではないか。こうした運動を語り継がなければならない時期にさしかかっているだけに、回顧やノスタルジャではなく、それぞれの立場で多様なスタイルで、現在形を語り継いでいかなければならないと思う。それは日本が現在直面し呻吟している切実な課題に真摯に取り組み続けていくことを意味しているのではないか。

最近、反原発運動の中で、韓国の友人たちと知り合って驚いたのは、彼らはみんな韓国の民主化闘争の熾烈な経験の中で生き抜いてきた者たちであったことだ。彼らは厳しい冬の時代を闘い続けて、軍事政権を倒した経験をもっており、厳しい闘争の中でクリスチャンになった者が多かったが、中には岩波書店の「世界」の雑誌に投稿していた「T.K生からの手紙」を書いた関係者などもいて、私は実に驚いた。彼らは、現在進行中の韓国の民主化闘争にも大きく関わっており、1970年代から1980年の民主化闘争で学んだことを確実に次世代へと繋いでいた。それを見て私は実に大きな刺激をもらったように思う。韓国では、民主化闘争の炎が燃え続けているのだ。


日本の社会改革へ向けての灯は、今も心の中で激しく燃え続けている。決して絶やしてはいけないと。そして結論として言えるのは、全共闘運動とは、日本の社会に対する本質的な懐疑や問題提起を行ってきたという意味で、若者たちにとっても、また社会全体にとっても、最も切実な社会参加ではなかったかと思う。そういう意味において全共闘の批判的な目や行動は、現在の日本の針路において、最も生かさなければならないのではないかと思う。
「時代やマスコミから多くの誤解を受けながらも、社会の不正義を正そうと必死に生きる若者たちこそ、いつの時代も「絶望から新しい時代生み出す」勇者なのです。」それは間違いなく今の時代へと引き継がれている。


全共闘に関係した皆さま、ご苦労様。しかし今こそ、再度目を見開いて「共謀罪」の打倒や「平和憲法」の擁護のために、もくもくと汗を流さなければなりません。歪な指導者や状況が存在する限り、まだまだ眠るわけにはいきません!仕事はまだ終わっていないのですから・・・・。
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