見える世界から見えない世界へーヒューマン・リテラシーの確立に向けて

その昔、私は「びっくり星の伝説」”The Legend of Planet Surprise” という物語を書いたことがあります。この物語はアジア地域では既に20数言語に翻訳され各国で出版されているのですが、この物語の中で「人間という存在は「言葉と手」を異常に発達」させたために他の生物とは大きく異なり、非常にユニークな文明を築くことが可能となったことを主題にしました。そしてその中でも人間は「驚き」を文明の大きな関心として、特に「言葉」は人の目にも見えない世界や事物を 容易に描写し想像させることができ、人間の「手」はそれを実際に目に見える世界に具体化させることができたというものでした。そしてこの両者の見事な協力によって、他の動物とは全く異なって、人間は文明を大きく発達させたのですが、その使い方を大きく誤ったために人間の文明は何度も危機に瀕し、そして終には宇宙の彼方に消滅してしまったという物語です。 1998年5月、私はパキスタンのパンジャブ州の農村地域でノンフォーマル学校(青空教室)を200校設立する式典に出席した時、文部大臣の口から次のような祝辞を聞きました。「今日、我が国には10数人のカディール・ハーン博士のような素晴らしい核科学者が存在している。彼らの努力によって今日、我々は今日、素晴らしい科学技術を達成することができたが、識字教育とはこのような科学技術の発展にも大きく貢献するものである。識字学校がますます増えることによって、我が国の核開発もますます進展していくことを希望する。云…

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「世界一」というレッテル

あるとき、デンマークの作家の友人たちとお台場を歩いていた時、大きな観覧車を見つけたので、「これは東京湾に位置する世界一大きな観覧車だそうです。」と、ちょっと自慢そうに説明したら、彼は「へー、驚いた。あなた「世界一」ということに関心があるの?」と返答したので、急になにか恥ずかしい気持ちになった。私は、実は別に観覧車の世界一になんの興味もないし、自慢したかったわけでもないのに、ついつい「世界一」というレッテルで説明をしてしまったのが、デンマーク人の彼には全く興味のない世界だった。  私も基本的は同じ感性、だからもうそのような説明を行ったことに「後悔」したが(笑)しかしよく考えてみれば日本ではすべてが、「世界一の新幹線」「世界一の電波タワー」「世界一の海底トンネル」「世界一の最速コンピュータ」「世界一の大学」などなど、日本ではすべての存在を、このような説明で、明治時代以降から「常に世界と比較しながら走ってきていたこと」を実感しました。しかしデンマークでは、「世界一」というような説明には、もうみんなほとんど興味を持っていない社会だと言うのです。 ・・・なるほどね。アジア・アフリカの友人たちには、ギネスブックのように刺激的な説明をしても、欧米人にはなるほど「世界一」はもう大して意味も興味もなさそうです。(笑い)もちろん人にもよりけりですが・・・そして同時に思ったことは、「デンマークの人口はたったの560万人で、「世界一」とは無縁の世界を生きてきたので、やっかみもあるのかもと思って、少しデンマ…

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2010年8月6日原爆の日、NHKから流れた「海ゆかば」

    2015年7月24日、名古屋で逝去された元小学校教師・丸木美術館前理事、ピースあいちの現運営委員の吉川守氏との出会いは、2010年8月6日、私がNHKテレビから流れた「海ゆかば」について、下記のブログ記事を書いたことから始まりました。吉川さんは、この記事を読んだと言って、わざわざお友達と一緒に2010年、名古屋で行った私の講演会を訪ねてこられたのです。その頃、吉川さんは、この「海ゆかば」の曲がNHKから流れたことをめぐって主催者と激しい論争を行っておられたのでした。 私たちはたちまち意気投合し、その後は、沖縄のフクギの劇や「人権と教育の会」などいろいろご紹介していただきました。素晴らしい方でした。ところが昨日の突然の訃報、私は大変大きなショックと悲しみに包まれています。「生ある者は必ず滅していく」のは頭ではよく理解してはいますが・・・・私の小さなブログ記事から始まった「吉川さんとの出会い」に、心から感謝するものです。合掌 <ブログ記事>2010年8月6日の「原爆の日」に、NHKテレビから流れた「海ゆかば」の曲 原爆が投下された8月6日の夜の午後8時45分からNHKテレビの関東圏ニュースで、広島忌の音楽コンサートの様子が報道されました。原爆犠牲者の鎮魂の音楽コンサートは、とてもいい企画だと思いましたが、その中に「海ゆかば」という軍歌が歌われていたのです。 私は戦後生まれでもあり、軍歌のことを余り知らなかったので、「ひょっとして「海ゆかば」は、「平和を祈る歌」とし…

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30年間にわたってアジアの人々と「共同で企画・編集」したユネスコ・アジア太平洋共同出版計画

日本が国際的な牽引役を果たした「ユネスコ・アジア太平洋共同出版計画」は、1970年から30年近くにわたって、アジアの約20ヵ国が協力して子どものための共通読み物を製作したプロジェクトです。そこから生み出された「アジアの昔話」全6巻や『どこにいるかわかる?』など30点近くの児童書が、今でも子どもたちに親しまれています。アジア20か国でも同様で、今でもたくさん読まれています。私は1977年から1997年まで20年間このプロジェクトを担当しました。これほど感動し楽しかったことはありません!そして世界中の子どもたちや大人たちに貢献したことも・・・  アジア・太平洋地域の図書開発事業を振り返って 子どもたちに共通の読み物を・ユネスコ(ACCU)の夢を実現したアジア・太平洋共同出版計画 http://www.accu.or.jp/jp/accunews/news405/allaccunews405.pdf#search='ACCU+%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%87%BA%E7%89%88%E4%BA%8B%E6%A5%AD++%E7%94%B0%E5%B3%B6%E4%BC%B8%E4%BA%8C'

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光あるうちに生イカを干せ!

さあ、今日は学校だ。学生に会うのが 楽しみ! 風よ吹け!雲よ流れよ!光あるうちに光の道を歩め! 光あるうちに生イカを干せ!「今日は、生ビールが死ぬほどに美味い!」 済州島にて

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息子3歳のときの発言記録見つかる。3歳児の発想はみんなおもしろい。

―インドから持ち帰った蛇皮を3歳の息子に見せたところ、 「この蛇皮、蛇にもらったの?」と息子が尋ねる。 「うん、そうだよ。」 「どうやってもらったの。寒いんじゃない。蛇に皮がないと。」 「そうだろうね・・・・・」 「でも土の中にいるんだから・・・いいね。寒くないよね。」 「いや、寒いと思うから 返しにゆこうか?」 「ダメッ!こわいから、ダメだよ。」 ―「ももたろうさん、ももたろうさん・これからおにのせいばつに・♬・」   と歌っていた3歳の息子が突然、  「せいばつってなんのこと?」 ―ママが買ってきた棒付きのアイスクリームを食べていたが、そのうちアイスクリームが溶けて、棒からポロリと落ちてしまった。落としたかたまりを見ながら、3歳の息子は残念そうにママに報告 「ママア!落ちてしまったよ。」 するとママが言う。 「運が悪かったのよ」 これを聞くと息子はすかさず 「運ってなあに?」 ー戦争っておとなの遊び?」と3歳の息子が聞いてくる。  「どう思う?」  「うーん・・・・・・・あそびでしょ。」 ―「パパア、飛行機に乗ったときに   雲の上にかみなりさまがいたあ?」 ー「たまごって どうして まるいの?」 ー「ゆうがたはいま どこへ いっているの?」 ー「ふとんは どうして あたたかいの?」 ー「パパ あたまのなか なにがはいっているの?コツコツおとがするよ」 ー「かみのけやひげは きってもまたはえて…

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陜川(ハプチョン)と大邱(テグ)で行われた8月6日の原爆慰霊祭

  明治維新以後、朝鮮侵略を進めた日本は、1910(明治43)年の日韓強制併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がいたといわれています。広島と長崎では、徴用された人々の中で約4万人(3万人ー広島、1万人―長崎)もの韓国・朝鮮の人々が原爆で亡くなっていたのは、実に大きな衝撃でした。 2016年8月6日、韓国で四番目に大きな都市大邱(テグ)で、ハプチョンに続いて韓国人・朝鮮人の原爆慰霊式が行われました。私は日本からの反核平和巡礼の18名を代表して挨拶を要請されたので、(1)私自身が戦後の広島出身であること(2)広島市へ救援にでかけた近所の人々が被ばくして、原爆症で長く苦しんでいたこと。(3)今は、子ども向けの創作などを書いており、韓国でも7冊の本が翻訳出版されていることなど織り交ぜてお話しました。そして最後に、慰霊式に参加されている市民の方々に、「私は戦後生まれで、戦争は体験していません。しかし多くの日本人は、日本がかって韓国を侵略し、多くの人々に凄絶な苦しみを与えたことに本当に申し訳なく思っています。一部の政治家を除き、みんな日本人は、心から謝罪したいと思っているのです。私も心から謝罪したいと思います。」と涙声で述べてスピーチを終え、壇上より下りたとき、一人の中年女性が近づいて来ると、なにか大声で叫ん…

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ちょっと汚いお話で恐縮ですが・・・

2015年3月、インドからの帰路、シンガポールに立ち寄りました。そしてシンガポールの空港トイレに行ったら、なんと小便器の中の中央に、1匹のハエがとまっていたのです。最初はいったい何かと思ったのですが、要するに便器の中に小さな黒いハエを描いて、「このハエめがけておしっこせよ、あちらこちらに漏らさずに!」ということだったのです(笑)なんとも合理的と言えば合理的ですが、ハエめがけておしっこするのは、なんともおかしく汚らしく思えたのです。 そこで、もう少し爽やかなアイデアはないものであろうかと考えたとき、その昔、なにかのエッセイに書いてあったことを思い出しました。それは、どこか日本の山奥の農家のトイレに行ったとき、その便器にいたく感心したのです。なんとその農家のトイレの便器には、新鮮な「杉の青葉」がびっしりと詰めてあったというのです。 そしてその上に小便を降り注ぐと、なんとも杉の青葉が匂い、まるで森林浴のように気持ちが爽やかだったというのですから。自然に向けて思い切り放尿するーこのような爽やかな文化は素晴らしい。少し手間はかかっても、自然を満喫できます。  人間の快適な文明を維持するために、生き物でも平気で犠牲にしてしまうような合理的な文化は、たとえ描かれたハエであっても気持ちのいいものではありませんね。もしも仮にそのハエが生きていて、便器の中で必死に生き抜こうともがいていたとき、それでもあなたは容赦なく小便をかけてそのハエを押し流し殺そうとするでしょうか?私はこのようなシンガポ…

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世界の子どもたちに新しい物語を!「さあ、想像と創造の世界へ・・」

2019年6月27日ー昨夜はかなり早く寝たので、今朝目が覚めたのは午前1時半でした。そこでいつものようにFBへの投稿を書き始めたのですが、するとその中に数年前タイの学生が書いた「雲の物語」の感想文がありました。英語で書かれており彼は「今までの人生で自分が読んだ物語の中で一番好き」と言って、「マサイ族のイス」や「イチジクのなる頃」などいくつかの物語りをあげているのでした。彼は読んでいて泣きそうになったとも述べているのです。 考えてみれば、これまでさまざまに書いてきた物語の感想は、今やアジアの全土から送られてきているのです。この感激や感動をどのようにFBの皆さまとシェアできるか、おそらく不可能でしょう!それは戦火で苦しむアフガニスタンの学生たちから、冤罪に苦しむ少年や少女の物語はパキスタンの牢獄から、ミャンマーの民主化への運動の中で読まれた森林破壊の「雲の物語」、再生に向かって立ち上がるカンボジアの村から、イランからは20年かかって翻訳出版された「さばくのきょうりゅう」の絵本が、また日韓の歴史の軋轢の中から生まれた物語や、そして無数の劇的な感想はインドから、それはそれはたくさんの読者感想がさまざまな方法で伝えられてくるからです。 そして先月、中国の山東省の出版社から翻訳出版された1冊の絵本と3冊の創作には、私がこれまで書いてきた主要な作品すべてが含まれています。 それから例えば「コンキチ」の物語は、第1回ベルリン国際文学祭で2回舞台となり、そして同じく日本では米国のTM.ホッ…

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動物には善も悪もない。人間の最大の発明は悪の世界。それは文化によってつくられた。

 動物には善も悪もなく、人間の最大の発明は悪の世界です。それは文化によってつくられた。文化は本や電気を発明した一方で、武器、原爆をつくりました。人間は文化を持つことで、自然から離れた。文化は反自然的です。そこに気をつけないと、ものすごく怖い」と霊長類学者の河合雅雄氏は述べています。霊長類学とは、サルの生態を研究することで「人間とは何か」を探る学問です。 彼はまた「人間はみんな緑が好きで、森に行くと安らぎを感じます。それは先祖がサルだから。サルは四千万年前から森の生活をして、上下左右全部緑の中にいることが遺伝子に入りこんでいます。人間は数百万年前に、森の外に出たのです」と語り、さらに 「サルは縄張りを持つのが原則で、非常に攻撃的です。チンパンジーは仲間を殺す。ところがゲラダヒヒには縄張りがない。順位による秩序が群れの基本と考えていましたが、ゲラダヒヒはお互いが対等なことで群れを維持していました。サルには戦いを避けて、協調する系統と、攻撃的な系統があるんです。人間は両方の性質を持っている。戦争してむちゃくちゃをする一方で、愛とか平等を徹底的に説く。個人の中にも両方ある。必ず悪を持っているからなくそうとしてもだめで良いところを伸ばすべきです」と、6月14日の東京新聞「あの人に迫る」で語っています。 なるほど、霊長類学とは、<人間の生態を客観的に認識する智慧の学問>ですね。近頃の政治や軍事や文化の世界を見ると、人間は、赤や黒のパンツをはいたサルに止まらず、「原爆や原発開発を弄ぶサ…

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小学校6年生のPTAのお母さん方の「心の絵地図ワークショップ」を家庭学級で行いました。

2014/06/26 · 昨日は、目黒区内の小学校6年生のPTAのお母さん方の「心の絵地図ワークショップ」を家庭学級で行いました。時間の制約があり午前10時からわずか2時間でしたが、このワークショップで生みだしたものはとても大きく、実に画期的なワークショップとなりました。参加者数は、30数人のお母さんたちでしたが、今年の12月には、この学年の子どもたちを対象として「わたしの人生マップ」のワークショップが予定されています。 今回のお母さん方のワークショップのテーマは、「親子が幸せになる子育て」ーストレスのない子育て、というものでした。まず4つのグループに分かれて、それぞれこのテーマのもとに喧喧諤々(けんけんがくがく)、それから文字と絵とデザインで心理地図を作成後、4つのグループが出来上がった作品のプレゼン。このプレゼンでの結論は、アクションのために行うもので、認識を新たにするものではありません。実際に家庭での育児を実際に改善していくのが最大の目的です。家庭が抱えている多くの課題が討議されました。 育児においてお母さん方が孤立している姿が、浮かび上がってきました。みんながお互いにシェアーする必要性を強く感じました。そして最終的には、「3人寄れば文殊」の知恵どころか、「30人寄った文殊」の知恵となりました。発表がなんと感動的であったことかーまたお母さん方の感想文に次のようなことが書いてありました。 ー悩んでいるのは、自分だけでないという安心感が得られました。これから親子…

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パキスタンの少数民族カラーシャ族の村で手紙漉きの実演による村起こし

1998年、パキスタンの少数民族カラーシャ族の村で、すべて手作りの紙漉きを実演した。材料は柳の皮など、すべて身近に手に入る植物だった。これは村に住んでいるフォトグラファーわだ晶子さんから「村人の自立のために依頼された紙漉き。全く紙などの作り方を知らない人々に、新しい技術を教えるのは、実に楽しい「村起し」だった。最初は村の子どもたち、それから若い女性たち、そして村の男たちが集まった。それから夕方には長老たちへと伝播していき、そして翌朝からは、若者たちがすべて自分たちで紙漉きを行った。 動画の録画: https://www.youtube.com/watch?v=z32o3glHKLU

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南インドのダリット(不可触選民と言われる最下層)の子どもたちとのワークショップ

これは2009年5月15日から23日に、南インドのダリット(不可触選民と言われる最下層)の子どもたちとの共同ワークショップ報告です。1週間に三つのワークショップを行いました。ひとつは子どもたちに自由な課題を与えて、自由に物語を創作・発表すること。それには、子どもたちの前に、「ヤシの実、イス、ゴザ」などを無造作に置いて、それを全部使ってひとつの物語を作るという創作ワークショップです。こうやって子どもたちの想像力を刺激するのです。驚くような作品が生まれました。 そして二番目は、みんなこどもたちが外の自然に出て、さまざまな木の葉っぱを拾ってくる、そしてそれを画用紙に思い思いに貼り付けて、さまざまな色で着色して仕上げていく作品作り、それが完成すると、なんとも表現できないような感動的な作品となります。葉っぱの自然な素材に着色するのは、とてもおもしろいのです。 三番目は、自分の住んでいる家族、家庭、学校などを絵と文章と地図で自由に表現する自分自身の心理的な「絵地図」の製作です。こうやって描き出すと、自分自身の位置や問題、そして村の環境がすべて描き出されていきます。 みんな大喜び。そして驚くような創造的な作品がたくさん誕生しました。しかし私が大きなショックを受けたのは、村の子どもたちの家庭にエイズが蔓延している深刻な事実でした。絵地図は、深層心理を表現するので、自分たちが直面している問題を、子どもたちはありのままに書き上げたのです。 その子は14歳の少女。お父さんはすでにエイズで…

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大雁塔の風鐸(ふうたく)の音

中国西安(古代には長安)の大雁塔の軒下にぶらさがっていたのは、風鐸(ふうたく)という青銅製の鈴、風が吹くとカランカランといい音がしました。1300年前の音ですね。この大塔は、三蔵法師がインドから持ち帰った経典を収めるために紀元652年(7世紀)、三蔵法師によって造られたもので、最上階からは奈良の都・平城京のモデルとなった西安(長安)の街が広がっていました。

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1907年ー2008年に活躍した児童文学作家 石井桃子

「小さいうち 何を自分の楽しみであるか 何を自分で美しいと思うかを  つかんでもらいたいと思うのです。  その子が 自分の心に ぎゅっとつかむ本が 必要だと思ったのです。」 「児童文学の世界は あたたかいものなんですよ。子どもが必要とする ひとつひとつの間のあたたかさという気がするんです。」 「子どもたちよ 子ども時代を しっかりと楽しんでください。 おとなになってから 老人になってから あなたを支えてくれるのは 子ども時代の「あなた」です。」 石井桃子が語る:<あの人に会いたい!> http://www.nhk.or.jp/archives/people/detail.html?id=D0016010177_00000

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大田昌秀氏との思い出

沖縄戦の組織的な戦闘の終了から73年を迎えた今日2018年6月23日は『慰霊の日』です。ー数年前、友人の吉川守さんのご紹介で元沖縄県知事であった故大田 昌秀(おおた まさひで)氏と夕食を共にすることがあり、大田氏に沖縄戦についてお話しを直接お聞きする機会がありました。大田氏は、「軍隊は民間人を守らない。」と絶えず「沖縄の思い」を訴え続け、「米軍基地の強制使用手続きに異議を申し立てる」など、政府との対峙(たいじ)を全く恐れぬ政治家でした。なによりも沖縄や日本を愛された政治家でした。 そして驚いたことは、食後にも氏は全5時間にわたって延々と体験談を語り続けられ、まるで講演会を二つ三つ聞いたような貴重な機会でした。大田さんは、沖縄で主戦が終わっても1カ月以上も戦っておられたそうで、特に渡嘉敷島などでの米軍との戦いを詳細にお聞きしました。氏が話されたこと「人から話を聞くときには、自分が聞きたいことよりも、相手が何を話したいかにすべての意識を傾注すること」これは重要なことですね。氏の素晴らしい見識と人格に酔いしれた時間でした。2011年12月3日(土) 合掌!」

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シルクロードを旅してインドへ遊学。学んだこと考えたこと・・・・

若い頃、インドに遊学していた理由は、実はインドの詩聖とも呼ばれるロビンドロナート・タゴールが設立したシャンティニケトン(平和の地)の学園 Visva-Bharati University で、哲学を学ぼうと考えていたのです。その地では大きな菩提樹やバニヤンの木の下で、生徒が円形になって師の教えを聞きながら伝統的な授業がおこなわれているというのです。そこに教育の理想があるのではないかと思ったのです。1968年頃からの学生運動に疲れ果てて、真実なる人生を模索している時期でした。 ドイツのミュンヘンでの1年間の遊学を経て、2ヵ月かかってシルクロードを陸路で縦走、トルコ、イラン、アフガニスタン、パキスタンを経てインドに無事に到着、私は西ベンガル州のタゴール国際大学のあるシャンティニケトン(平和の地)の地で、大学院哲学科に籍を置いて、2年間暮らしました。文字通り遊学でした。仏教大学から博士課程に籍を置いていた田中さんには、ずいぶんお世話になりました。 滞在中、二階の窓から見えるロトンポリの砂漠状の大地を見ながらいつも夢想しながら書いた物語は「さばくのきょうりゅう」という作品でした。(絵はカン・ウーヒョン)この物語は日本では講談社から、そしてインドでは15言語で翻訳出版され、アジアではほとんどの国で翻訳出版されました。これは砂漠をいくラクダの隊商の仲間たちが、油の売上をめぐって権益争いをする話。この内容は中東の現在の争いと酷似していたのです。 考えてもみれば、シャンティ二ケトンの砂漠…

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国会前で「戦争法案」に抗議する93歳の瀬戸内寂聴さん

「すぐ後ろに軍靴の音が聞こえてくる」2015年6月18日、国会前で「戦争法案」に抗議する93歳の瀬戸内寂聴さん。彼女の「魂の訴え」には、国会前で2000人以上の参加者が耳を傾け、みんな身震いするほど大きな感銘を受けたようです。 この集まりに私は参加できませんでしたが、6月19日の東京新聞の朝刊の一面記事を読んで、私も参加者と同じように大きな感動を覚えました。嬉しかったです。こうした方こそ、本当に「国民栄誉賞」に値するものですね。 彼女は「このまま安倍晋三首相の思想で政治が続けば、戦争になる。それを防がなければならないし、私も最後の力をだして反対行動を起こしたい。日本がだめに・・・せめて死ぬ前に訴えたかった」そうです。そして最後に、「安倍さんは「戦争じゃあない」と言っているが、憲法九条を壊して戦争のできる国にされたら「戦争をしない」と言っても世界が認めないでしょう。安倍さんは、おじいさん(岸信介元首相)の後ばっかり追わないで、もっと日本国民の身になって考えてほしい。子どもを戦争で殺される人の悲惨さが分からないのではないか。人間は自分で経験しないとなにも分からない。」 そして「スピーチの後に、瀬戸内さんは、記者会見をした。 「・・・・今回、東京に来たのは「国会の前で座りたい」と思ったから。(最初は)年寄りたちを集めて国会の前に座りたかった。そうすれば、必ずからだが冷えて、年寄りが3人や4人は死ぬでしょ、あなた方(報道陣)はほっとけないから、大騒ぎするでしょ。話が盛り上が…

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東京で咲いた世界三大花木「ジャカランダの花」

東京の代官山と都立大学で咲いたジャカランダの花―毎年、6月中旬に咲きます。 東横線の都立大学駅近く「中根ねむの木公園」のすぐそばにねむの木のような葉っぱの木がありました。実はジャカランタの木でしたが、長い間、誰も知りませんでした。 2016年のある日、忽然と花を咲かせました。紫色の花は空を覆い、日の光のもとで、実に鮮やかに紫色の花弁が匂い、道を通り過ぎる人は、みんな幸せそうに空を見上げました。これこそ花の中の花!世界三大花木ージャカランダの花です! しかし、2017年から2020年にかけて花は全く咲きませんでした。なぜでしょうか?それは木の所有者が、毎年、非情なる伐採を繰り返しては、芽を摘んでしまうのです。とても悲しい剪定!だれだってそうなりますよね!芽を摘まれると・・・・所有者はよく知らないようです。剪定の本当の意味を! https://www.facebook.com/iclciclc/posts/1729784503928214

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古屋和子氏によって気仙沼などで語られていた「大亀ガウディの海」

    古屋和子氏によって「大亀ガウディの海」が、気仙沼などで語られた2010年の丁度1年後、福島で原発事故が起きました!これは30年も前に書いた寓話ですが、時間や国境を越えて、想像性+現実性(リアリティ)は自由に飛んでいきます。タイ語版、インド語版、韓国語版、中国語版など・・・たくさんの子どもたちへ飛んでいけ!! <気仙沼で語りを聞いた感想>2010年2月20日に宮城県気仙沼で開かれた「大亀ガウディの海」の語りの会より 「はじめまして。今回「大亀ガウディの海」の古屋和子さんの語りを気仙沼で催させていただきました。以前 一ノ関で 聞く機会があり 大変感動いたしまして 是非 たくさんの人に聞いていただきたいと 思い企画しました。これまで私は青森の六ヶ所の原子力発電所に反対する運動に関わったりしてきました。 見えない放射能で人間が人間を傷つけ 死に至らせるという そして それは 本当に無責任に 無自覚に 行わされていることに そして私自身も またその中の仕組みの一部分であると知ったとき ものすごく衝撃を受けました。放射能を最たるものとして 人間が己れの利益のために 地球を汚し その他 多くの生き物を傷つけ 殺しているということは 知識として 知ってはいました。しかし 生き物たちの悲しみや苦しみまで これまで思い至ることはありませんでした。 今回の語りを聞いて 人間の責任を痛感しました。人間が起こしていることは 人間にしか 止めることができないのだと。ガウディは自分の身を犠牲にし…

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The Masai Chair (Cloud tales)マサイ族の古イス (雲の物語より)

One day as I was watering the garden outside my house, I heard someone say ‘Africa, ahh...’ and I looked around to see who it could be. Seeing nobody, I then thought, ‘Oh, yes, it must be Cloud!,’ and looked up just as he was beginning to tell another story. ‘I was lazily floating over the wide African savannah, watching my shadow travel across the ground. A cloud, you must have noticed, never completely stops moving, never takes a rest. We have a much different way of looking at and thinking about the world than do you people walking about down there on the ground. ‘At the base of the great mountain Kilimanjaro that looks over the broad pla…

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エーリッヒ・ケストナー(ドイツの児童文学作家)の言葉 (1899~1974)

子どものころをほんとに思い出すということは、つまり、何が本物で、何がにせ物であるか、何が善く、何が悪いかを、とっさに長く考えずに、知ることです。大抵の人は子どものころを、雨がさのように忘れ、過去のどこかに置きっぱなしにします。だが、その後の四十年五十年の勉強も経験も、最初の十年間の精神の純度を埋め合わすことができません。子どものころは私たちの灯台です。 「世界や人々をより良くしようなどとは、思いあがるな!四角は丸い円になんてなりたがらない。円の方がより完全に近い形なんだと、四角にどんなに呼びかけたところで無駄というものだ。」 「アーティストとは、答えから道を創り出す人のことである。」

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南アフリカの作家(Eskia Mphahlele )エスキア・ムファレレと出会った思い出

南アフリカの作家(Eskia Mphahlele )エスキア・ムファレレは、2003年のアフリカ文学祭で、私の報告が終わるとすぐにやってきて「アパルトヘイト下で、「識字教育」と「エイズ」の関係を取り上げて話したのはあなたが初めて、とても重要な報告だった。感動した。」と手放しで褒めてくれました。私は、その人が誰であるか何も知りませんでした。当時、私は会議で、だれかに褒められた嬉しさよりも、文学会議自身が、なぜ当時アフリカで最も深刻になっていた「エイズ」や「識字」のことにきちんと触れていかないのか、それを大きな問題だと感じていたのです。彼は「アフリカの良心」とも呼ばれていたのを後で知りました。 2003年、私は南アフリカのダーバン市で開かれた第5回アフリカ文学祭事務局の招請を受けて、南アフリカのダーバン市に向かいました。そして国立ナタール大学主催の第5回アフリカ文学祭に出席し、私の作品を紹介する機会がありました。アジアからは、インドの著名な作家アルンダティ・ ロイ氏など3名が参加しました。南アフリカからは、アフリカのヒューマニズムの父と呼ばれた文学者エスキア・ムファレレ氏が出席されました。エスキア・ムファレレ氏は、2008年に亡くなられていますが、私がムファレレ氏にお会いしたのは2003年3月のことでした。当時私は、文学者が、識字教育やエイズに関心を示したことに大いに驚きました。この会議の最中には、アメリカによるイラク攻撃が始まったときでした。そのため文学祭からも「アメリカの戦争批判の声…

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アフガニスタンの大学生から受け取った2篇の物語の感想

アフガニスタンの大学生から受け取った2篇の物語の感想 Some thoughts on Book Reading by Afghan students ●The Giant Tree Gatawana: (ガタワナー大きな木) Yes Indeed: it is the story of courage and hope as far as I assumed the story conveys that no matter how harsh and hard life is or will be it never stops if one step is full of sorrow the other may fill color and happiness. Life stands on hope and the one who doesn’t have hope can’t have happiness nether can live their lives. The story also describes the situation of people of Swat as they lack education and health resources, for every single need they must visit cities therefore if villages or places like swat develops people…

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「ビックリ星の伝説」の物語の結末より

「ビックリ星の伝説」の物語の結末より ・・・・・・「さようなら、地球人たち。この宇宙には、君たちほど驚異的な生き物はいなかった。宇宙には限界がないが、地球人の世界には終わりが来てしまったようだ。地球人の文明は、あまりに早く発展し、変化し、そして宇宙の余りにも多くの生き物が、地球文明に望みをかけ過ぎてしまった。何千年何万年もの成長と発展の末に、人間は結局、人間自らを滅ぼしてしまうような文明を創るとは❓・・・・・。つまり、すべての「人間の進歩」とはすべては巨大なまやかしだったのか。あぁ、人間たちよ!君たちの手が作りだした言葉と両手とともに、君たちそのものが、いちばん驚きに満ちた存在だったのだ。」 知恵者はゆっくりとみんなを振り向きながら、やさしい声で言いました。 「この広い宇宙のどこかに、我々の知らない真実の言葉と、やさしい両手で作られている星があるかもしれない。希望を探そう。希望という言葉は、生き者にとって、特に若者にとってはいちばん大切なものだ。もし希望が宇宙にないならば、若者たちー君たち自身で希望を創り出す努力をしなければならない。希望は驚くことよりも、我々にとってはもっともっと大切なものだ。」 びっくり星の人々は、宇宙の新しい惑星での希望を求めて、飛び続けました。今。かれらがどのあたりを飛んでいるのか、あるいはどこかに着陸したのかまだ誰も知りません。宇宙の静かな闇の中で、無数の星がまたたいています。びっくり星の悲劇のことは何も知らないかのように。 ht…

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寓話や物語を著作することの喜び

数年前、アフガニスタンのカブール大学の女子学生から「さびしい狐ーコンキチ」の物語の感想文がメールで送られてきました。感想文には、大統領選挙の続く現在のアフガニスタンの深刻な状況や物語を絡ませた「人間の生き方について」とても詳しく書かれてありました。「今、首都カブールの通りでは、爆発や銃撃戦が続いています」とも書かれ、深刻な状況からの叫びとも言える衝撃的な感想文でした。  続いて、アフガニスタンの実社会で働いている男性からも、丁寧な読後感想文が送られてきましたが、10年前には軍事政権下のミャンマーでも、同じような体験を多々しました。2か月前は、タイのバンコクのタマサート大学の教授で翻訳者だった友人から、学生たちの感想文を読ませてくれましたが、物語を書くということは、なにかのメッセージを発したいという欲求ですから、この思いに対してアジア各国からさまざまな反応や考えを受け取ることが出来るのは、言葉にもならないほど嬉しいことです。アジア地域での仕事を通じて感じたことをさまざまな物語や寓話にして、再びアジアの国々へ返していく。このような感動的な時の中で私はもう30年以上も生きています。感謝です。 現在の日本の状況に、どのようなメッセージを「物語」を通じて、表現できるか、これは極めて難しい課題ですね。原発ひとつ取り上げても、問題が余りにも絶望的で、どこにも希望が見つからないからです。しかし、希望がないときには、新たに希望を作り出していくことで道を作るしかありません。新たな希望を作り出す刺激…

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「人生終盤は勇敢でなくちゃね」

「ヒトラー死亡のニュースを聞いた17歳の私は、絶望のあまり涙を流した(作者あとがきより)「バウゼヴァンダのように、当時ほとんどのドイツの十代は、最後まで祖国の正義と勝利を信じていたそうです。それ以外は選択肢のない教育を受けていたからです。しかし同時に、漠然とした疑問や釈然としない気持ちを抱えていた少年少女がいたのも確かです」と「そこに僕らは居合わせた」の訳者である高田ゆみ子氏は書いています。<本の花束より> ナチス支配下、大人も子どもも洗脳されていた時代のドイツ各地では、ごく日常的にユダヤ人差別が行われていたそうです。机を並べていた友だちも、親しかった隣人も、ユダヤ人というだけである日突然どこかへ連れていかれ、その多くが生きて戻ることはなかったそうです。「そこに僕らは居合わせたー語り伝える、ナチス・ドイツの記憶」は、当時のドイツに生きた十代の子どもたちが体験した、という設定で綴られた二十の短編集で、多くは著者が実際に見聞きした事実だそうです。 私は思うのですが、このような本こそー現在の日本で、日本版が必要ですね。ドイツのナチスやナチズムやヒトラーのことを対岸で起きたように語ることではなく、日本人の足元の現実から語っていくことこそ今、最も求められていることですね。敗戦の玉音放送があったとき、皇居前広場では、絶望の余り涙を流した日本人が、どれだけたくさんいたことか、あるいは絶望して自決した兵士たちも数えきれないでしょう。 私の母が、生前によく言っていました。戦争中には、いつも…

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「パンダのシンシン」のりんごとりから「シャンシャンへ」・・・・・

今から35年前「パンダのりんごとり」という紙芝居を執筆しました。このパンダの名前は、私の名前をとって「シンシン」と名付けていましたが(笑)、この紙芝居はとても人気があって、日本全国の幼稚園に数万部も配布されたそうです。ですからいつか上野のパンダの名前にも「シンシン」の名前が採用されるかも知れないと期待していたところ、30年ぐらい経って、念願通り上野動物園のパンダの名前は<公募>によってシンシンとなりました。もちろん偶然ですよ。(笑) ところでこの紙芝居は、アジアのいろいろの国々へ贈られて大変歓迎されましたが、中でもミャンマーやイランやカンボジアでは、その紙芝居から美しい絵本なども生まれました。昨年はカンボジアで「パンダのりんごとり」が「パンダのマンゴーとり」とタイトルを変えて、新しい絵本が誕生しました。カンボジアにはりんごの木が育っていないからマンゴーとなったのです。また名前はシンシンから、カンボジア風の名前のソピアックへと変わりました。(笑) そして嬉しいことに、このたび上野動物園の「シンシン」に子どもが誕生しましたね。これはまるで35年ぶりに自分に子どもが生まれたような気持ちがして、毎日とても嬉しいのです。シンシンの子どもの名前は、シャンシャン」(香香)・・・・・・・・。 それにしてもパンダというのは、なにかとても夢のある楽しい動物ですね。子どもにも大人にも・・・(笑) https://www.facebook.com/photo.php?fbid=21…

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「薬草本を作る」ミャンマーでのワークショップで見つけた毛生え薬草

ある時、ミャンマーのシャン州で、多数の小学校教員を相手に、「薬草本」を製作するワークショップを開催しました。 緯度・経度のおもしろいシャン州には、さまざまな植物があり、教員たちは夢中になって、野山の薬草を集めて、それぞれグループで、さまざまな薬草本を作りました。「豊かな自然の中から教材を作る」をテーマにしたのです。そんなある日、中年の女性教師が、私に近づいて親しく挨拶し、「根の付いた植物」を私に贈呈してくれました。 私はいったいなんだろうと思ったところ、彼女が言うのには「この植物は、シャン州の山奥に自生している不思議な植物で、この植物の汁を、先生の頭にこすり付けると毛髪がふさふさと生えてくるそうです。本当に。」と述べ、私の禿げ上がった後頭部を真剣に見つめたのでした。そこで私は小躍りしながらも、植物量が少ないように見えたので、すぐに全部を使わずに、東京で育てることにしたのです。 この植物の増殖はなかなか難しかったのです。毎年、雨季の季節になると、このように花は一輪咲くだけで、あとは知らんぷり・・・花の美しさには満足したのですが、後頭部の砂漠化はますます進んでいくばかりで、やはり自然の植物は、採集したりせず、そのまま野に置けですね。’禿げるものは禿げる’のです。(笑) 以上薬草本のワークショップより

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パキスタンで舞台化された[孤独な狐]ー「コンキチ」

「人生は旅だ」とよく言いますが、痛感しているこの頃です。考えてみれば20年前のイスラマバードでの舞台体験も大きなおもしろい旅でした。まだまだ旅は続いていますが・・・・・・(笑) パキスタンで舞台化された孤独な狐ー「コンキチ」 コンキチの創作を書き始めたのは 1974 年、もう 40年前になりますね。当時、遊学していたド イツのミュンヘンにあるアパートの6階で、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、 ふと思いついて書き始めた寓話です。そのとき私は26歳、毎日、バイエルン州立図書館に通 っていました。そして人生を限りなく夢想していたのです。 その頃は、春になって暖かくなったら、ドイツから汽車で出発し、トルコの黒海を船で渡り、シ ルクロード経由でインドのシャンティ二ケタンの大学へ遊学を始めようと考えていたときでしたが、降 り積もる雪を見ているうちに、私はふと生まれ育った広島の山間部にある故郷の三次を思い出して いたのです。故郷にも、同じように今は雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中 に一匹のキツネのイメージが浮かんできたのです。 「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れな い。そのキツネは、山の自然を破壊され、絶望感とともに、人間へのあこがれなど複雑な気持 ちを持って、人間に変身する―そして山を下り、会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キ ツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったのか? 人…

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「人生を生きぬく たくましい想像力!」長い長いインタビュー 

Q : あなたの活動は広い範囲にわたっていますが、その原点と中心は、南アジアのパキスタンやインドです。なぜそういう地域を選ばれたのですか? A: 私は学生代から、インドのブッダやタゴールの哲学に憧れて、インドへ行ってみようと夢見ていました。早大の教育学専攻に在学していたとき、タゴール研究者である我妻和男先生からシャンティ二ケタンのタゴール大学への留学推薦を受け留学したのが南アジアとのかかわりの始まりです。2年間のインドでの遊学生活はとても刺激的なものでした。それからユネスコ(ACCU)やJICA,NGOの識字教育の仕事などで、これまで20年間に、アジア、太平洋諸国、アフリカなど30カ国くらいをまわりましたが、中でもインド、パキスタン、アフガニスタンなど南アジア地域の問題が、教育問題では圧倒的に深刻でしたね。これはやはり識字率が一番低く、基礎教育の重大な問題がこの地域に集中しているということも関係していたように思います。 Q:1997年からのパキスタン滞在中での活動について詳しくお話ください。 A: パキスタンには、3年半のJICAの識字専門家の仕事で行ったとき、偶然にたくさんの子供たちが刑務所に収監されていることを知りました。どこの国でもそうですが、刑務所は社会の矛盾や問題点が集中しているところです。冤罪、貧困による盗み、傷害、麻薬運び、殺人。子供たち自身が犯罪を犯すというよりも、大人たちが犯罪を行ってそれを子供たちに押し付けて監獄に入れているのが実態です。アフリカや中東…

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8分46秒の黙祷が米国を変える!

<8分46秒の黙祷が米国を変える!> 白人警官に首を膝で押さえつけられて死亡した黒人男性ジョージ・フロイトさんを黙祷する時間「8分46秒」は、フロイトさんが首を押さえつけられて苦しんでいた時間だった。これは全米黒人地位向上協会(NAACP)など人権団体が「追悼の日」として提案したもので、市民に午後3時45分から8分46秒間黙祷してフロイトさんを追悼することにしたのだ。この時間を黙祷で追体験するとジョージ・フロイトさんの苦しみが否が応でも伝わってくる。8分46秒で人間が変わっていくのだ。つまり今回の「人種差別抗議デモ」は、これまでのような観念的で理性的な「平等」を求めるものではなく、人種差別によるコロナ禍の拡大や警官による慢性的な人種差別の「苦痛」や「暴力」の実感から発するもので、これまでの抗議デモとは全く異なった深刻な感覚を作り出している!そしてこれがネットで素早く広がっていく状況はこれまでの世界にはあり得なかった。!こうした状況が全く理解できないトランプが大統領が再選されるのはまず不可能!米国は大きく変わらざるを得ないのだ。変わらなければならない!! 白人警官による暴力現場ビデオ: https://www.facebook.com/jiltec/videos/10219420638479148/ **************** 黒人男性追悼、米全域で8分46秒黙祷 2020年6月6日(東亜日報)     米ミネソタ州ミネアポリスで白人警官に首を膝で押さ…

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地球とは呼吸しながら生命を育んでいる宇宙そのものではないか。

「地球とは呼吸しながら生命を育んでいる宇宙そのものではないか。。。」 「人類が生き残るためには、地球を脱出して宇宙に向かうしかない」―― 英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士は、2010年8月9日、 各方面の有識者らの意見を掲載するウェブサイト、ビッグ・シンクで警告した。 「人類よ宇宙を目指せ、地球にとどまれば絶滅。地球だけを見つめた内向き思考はやめて、宇宙へと視野を広げるべき」と語り、 人類が抱える問題の解決策を地球上だけに求める考えを改めるよう諭した。また、人類は前例のない勢いで危険度が増していく時代に突入していると警告。 「人口が幾何学的に増加する一方、地球の資源は有限。 さらに、技術の進歩は良くも悪くも地球環境を変えるまでに至った」との理由から、 22世紀以降の人類の未来は「宇宙にある」と断言した。 博士が有人飛行を支持するのもこのためだという。 しかし、私が思うには、宇宙には人間が住めるような幸せな星はないのではないか。宇宙線ひとつ取り上げても深刻な課題は余りにも多い。人類は「宇宙の青い鳥」を求めて地球を飛び立っていけるとでもいうのであろうか?ホーキング博士は、人類は地球を脱出することより、「地球をいかに最大限住みやすくするか?人間がいかに地球を幸せに住めるようにするか」の知恵や技術を出すべきではないのか? 彼は、「地球だけを見つめる内向き志向はやめろ」と警告しているが、その前に、地球の海を地や大気を完全に破壊していく21世紀文明の生き方への警告…

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人種差別で殺されたジョージ・フロイドさんの最後の言葉

これは、黒人ジョージ・フロイドさんの最後の言葉です。46歳のジョージさんは、米国の白人警察官によって地面に押し倒され、およそ9分間にわたり膝で首を押しつけられた末、死亡しました。2020年5月25日、どんなに苦しかったことでしょう! 「それは俺の顔だ なにも悪いことはしていない お願いだ 勘弁してくれ 頼む、息ができない お願い 誰かお願いだ お願いします 息ができない 息ができない お願いだから (聞き取り不可) 息ができないんだ、顔が どいてくれ 息ができない 頼む、膝が俺の首に 息ができない クソ 俺は 身動きできない ママ ママ ダメだ 膝が 首が もう無理 終わりだ 閉所恐怖症なんだ 腹が痛い 首が痛い 全部痛い 水かなにか どうか お願いです お巡りさん、息ができないんだ 殺さないでくれ 俺を殺す気だ やめてくれ 息ができない 息ができない 殺される 俺を殺す気なんだ 息ができない 息ができない お願い どうか お願いです お願いします、息ができない」 そう言って目を閉じた彼が必死に訴えることは、もうありませんでした。その後まもなく、ジョージ・フロイドさんの死亡が確認されました。 暴力の現場: https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/3598038960212474 ジョージ・フロイド(Geor…

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日本人にとって選挙とは?ー原発と戦争 

2012年12月16日の衆議院総選挙の結果、自民、公明両党が合わせて325議席を獲得し、3年4カ月ぶりに両党が政権を奪還した。一方、民主党は大惨敗し存続の危機に追い込まれたが、12月20日の朝日テレビで、京大原子炉の小出裕章さんが、この選挙結果を聞かれると「わたしはこのような結果になるのではないかと思っていました」と答えていた。「つまり日本人は、目前の生活の利害はよく理解するが、原発のように将来に起きる危険さをよくイメージできない」と日本人の脱原発観について、かなり悲観的な見方を展開しました。 そこでインタビュアーが、「日本人とはどのような存在と思いますか」と尋ねると、小出さんは、それは「戦争に対する姿勢と同じだと思います」と答えた。原発と戦争に対する日本人の姿勢が同じというのは、「どんなに悲惨なことを過去に体験しても忘れる民族」だというのです。 フランスの日刊紙のル・モンド紙も、「福島を忘れる日本人」という記事を掲載している。その中で「日本国内で国際原子力機関(IAEA)による原発の安全強化に関する国際会議が開かれるさなか、日本人は原発の再稼働を強く推進する自由民主党を与党に選んだ。日本の豹変ぶりには目を見張るものがある。土曜日の晩まで原発からの脱却を準備していた日本は、日曜日に自民党政権が誕生して以来、停止中の48基の原発を再稼働する方向で動き始めている。この180度の方向転換は私たちを不安にさせる。」と書いている。 世の中には決して忘れてはいけないことがあるのに、あ…

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モンゴルの大草原へ

1994年モンゴルに、識字教育ワークショップで出張しました。「・・・・モンゴルの大草原は、想像していたよりもさらに広大。その頃、モンゴルでは、ペレストロイカ政策が影響し、経済改革の嵐が全土を吹き抜け、国内は混乱の極みに達していました。しかしモンゴルの大草原は、はるか遠くの雨雲の下まで、気持ちよく広がっていましたね。 私は大草原を馬に乗って思いきり疾走・・(とはいきませんでした。(笑)落馬すると危険だからと言って、村人たちが最初、手綱をなかなか手放してくれなかったのです(笑)ですから、すぐに思い通りにはいきませんでしたが、それでも徐々に慣れて、大草原の風に乗って乗馬を思いきり楽しみました。 草原で出会った老婆に、暮らし向きを尋ねたら、「これからは財産がみんな個人所有になると言うので、みんなで家畜を分配したが、自分は働きが悪かったと言って、結局1頭の馬ももらえなかった。」と、彼女は一気にしゃべったあと、途方にくれたような悲しそうな表情で、草原の彼方を見つめました。                パオひとつ 大草原に雨がふる       伝八

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「僕と核」1.アメリカの最高の科学者が原発のすべてについて語るー癌がなぜ世界中で増加しているのか?

http://www.e22.com/atom/page08.htm スターングラス博士来日インタビュー  2006年2月 No.1 スターングラス博士にお話をお聞きしたいと思います。彼は、原子力の本場アメリカで、60年代から、核実験や原子力発電による低レベル放射能の影響を訴えて続けて来た、数少ない科学者の一人です。2006年の二月には念願だった来日を果たし、青森県の六ヶ所村も訪ねています。 こんにちは、今日はよろしくお願いします。 S博士「まずはじめに、日本には54基もの原子炉が運転しているのを知ってるよね。」 、、、はい。 S博士「それに、ほとんどが海岸沿いの国土の2割程度の面積に人口が集中していて、原発も割と近くに配置されている。だから、日本政府が2003年度に発行した、過去100年の日本人の死因の推移を見たとき、あまり驚かなかった。」 と言いますと。 S博士「日本では、戦後の50年で、がんの死亡がずっと増え続けている。1900年台の前半は、がんはそこまで存在しなかった。日本に原爆が落とされて、アメリカ製の原子力発電所が導入されてから、一気に増え始めたのだ。今でも日本にある原発の八割がアメリカ製だ。」 はい。 S博士「そして、本場のアメリカで分かって来たことが、原子力発電所というのは、公に発表されているよりも、ずっと大量の放射性物質を放出しているということだ。大半は、細かい分子になった、核の分裂によって産まれる物質で、大気や…

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「僕と核」2.アメリカ最高の科学者が原発による海洋汚染について語るー癌がなぜ世界中で増加しているのか? 

http://www.e22.com/atom/page08.htm スターングラス博士来日インタビュー  No.2   2006年2月 日本企業もかなり先行投資していますよね。他の燃料と言いますと? S博士「天然ガスだ。天然ガス発電に切り替えれば、なんと、設備投資の7~8割は無駄にならない。天然ガスはあと数十年は持つと言われているから、その間に自然エネルギーを開発すれば良いのだ。コロラド州のフォート・セイント・ブレイン (Fort St. Vrain) は、すでにこの成功例だ。原子炉だけを閉じて、天然ガス用のボイラーを横につくって、タービンの建物など、ほかのものはそっくりそのまま使えたのだ。そう、原子力はお湯を沸かしているだけだからね。原子炉の中の水も放射能を持っているために、配管が錆びて出てくる鉄、マンガン、コバルトなどにも中性子がぶつかって、普通の元素まで放射性になって大気に飛び出てしまうのだよ。これが体内にも必要な物質の場合、放射性の鉄分だって血液に入ってしまう訳だ。」 原子炉を解体しただけで、その付近は大丈夫なんですか? S博士「そうだ。その証拠にコロラド州は、あらゆるがん、小児がんの率が全米でいちばん低いのだ。解体すれば、新しい核分裂や放射性ガスを止めれば、燃料自体は、まだ残っているが隔離することはできる。それが素晴らしい点だ。もちろん、完全に廃棄するにはたいへんなコストがかかるよ。これはもっと大変な問題だ。だから、原子力産業は、古くなった発電所を…

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中国での出版記念会へ招請を受けた後、玄奘三蔵法師が西暦652年に建てた大雁塔に登りました。

昨年(2019年)の7月28日、中国の西安での4冊の創作本の出版記念会に招請を受けた後、翻訳者や編集者と一緒に、玄奘三蔵法師が西暦652年に建てた大雁塔に登りました。すごいですね。1400年前の建物です。玄奘法師は約16年間ついやしてインド各地をまわり、645年に馬20数頭分の経典や仏具などを中国へ持ち帰ったそうです。しかも帰国時には、皇帝自らが出迎えたそうです。そして皇帝の協力で大雁塔が建てられ、大量の仏具や経典などが、これがこの中に保存してあるそうです。玄奘法師以外にも、インドから経典を運んだ中国の僧侶はたくさんいるそうで、名前が明確な人だけでも150人程といわれているそうですが、玄奘三蔵法師は質、量ともに記録的なものだと言われています。日本に伝わった「色即是空」などの般若心経もこの中に含まれているそうです。本当にヒマラヤ山脈を越えれば、中国とインドはつながっているんですね。インドからも達磨大師のようにたくさんの僧侶が中国へも訪れているそうです。今回の私の創作本が、中国の青少年にとって、いい贈物となることを願っています。 西安での出版記念会について: https://tajimaiclc.at.webry.info/202003/article_4.html?1591218359

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