ギュンターりつこ様、FBへの素晴らしいご投稿をありがとうございました。芸術と政治との関係ーシェアさせていただきます。私はかって武蔵野音大の博物館で、ユネスコ(ACCU)で一緒に働いていた前芸大学長でもあった福井理事長がドイツ留学中、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーから頂いたという指揮棒を見せてもらったことがあります。フルトヴェングラーは、不屈の生き方をした素晴らしい音楽家だったのですね。ギュンターりつこさんの「音楽は政治に対する信念や抗議を伝える手段として使われ、人々の共感を得てきた。政治的信念は芸術家たちにひらめきと創作意欲を与え続けてきたことを学んでいれば、「芸術家だから政治を語らない」などという発言が出てくるはずはないのです。」と。その通りですね。
ギュンター りつこ
私が日本の政治に関する投稿をすると、ときどき「あなたは音楽家なのに政治に興味があるのですね」とか「なぜ音楽家なのに音楽以外のことに詳しいのですか?」などといったコメントをいただくことがあります。先日の石原慎太郎氏を批判した私の投稿に対するコメントの中には「音楽以外のことには無知な音楽家のくせに知ったようなことを書くな」といった激しい言葉もありました。確かに私は無知かもしれませんが、なぜ「音楽家のくせに」とか「音楽家なのに」という枕詞がつくのか、不思議でなりませんでした。
これは非常に興味深い現象です。なぜならドイツでは音楽仲間がワインやビールを飲みながら政治について喧々諤々と意見を戦わせるのは珍しいことではなく、「音楽家のくせに」などという蔑みの言葉は一度も聞いたことがないからです。
日本人の音楽家に対する偏見はいったいどこからくるのでしょう?一部の人たちの思い込み?それとも社会的な通念?
そこで日本人の声楽家の友人に、日本の音楽家は政治について議論をしないのかを尋ねてみました。彼女によると、政治に興味のある音楽仲間もいるけれど、政権批判を大きな声では話せない雰囲気があるのだそう。この時代に?
また、ある若い日本人男性オペラ歌手のブログを覗いてみると、そこには「私は芸術家ですから政治については一切コメントをしません」と堂々と書いてあるのです。芸術家だから政治は語らない?それはある種の選民意識?
「音楽家のくせに」と蔑まれるのは、どうやら音楽家の方に原因がありそうです。
かつてはヨーロッパの音楽家も政治的な発言が禁じられている時代がありました。中世の時代にはグレゴリア聖歌の作曲家たちは常に教皇や司教の顔色を伺っていなければなりませんでしたし、やがて作曲家に貴族のパトロンが付き始めると王侯貴族を喜ばせるような優雅な楽曲ばかり生まれていきます。そのような時代に異端児モーツァルトは貴族社会の横暴を揶揄したオペラを作曲して庶民を喜ばせ、ベートーヴェンもまた暴政に反対し、政治的自由、正義、友愛をテーマにした多くの作品を遺しています。
ドイツ音楽史上、音楽家が最も不遇だった時代は、やはりヒトラーが政権を掌握してからの12年間でしょう。ナチス政権下で演奏が許されたのは帝国音楽院(ナチス政府が創設した音楽家と演奏楽曲を監視していた機関)が認めたものだけ。すべての音楽は「真のドイツ音楽」と「退廃音楽」に分類され、後者にくくられたのがフェリックス・メンデルスゾーン、グスタフ・マーラー、アルノルト・シェーンベルクなどのユダヤ人作曲家がほとんどですが、その他にもパウル・ヒンデミットやアルバン・ベルクのような「現代的過ぎてわけがわからない」曲を作る作曲家たちも退廃芸術の烙印を押されました。彼らの音楽は演奏禁止となり、やがてユダヤ人は国外追放、もしくは強制収容所で殺害されました。
当時の多くの音楽家は沈黙し、あるいはナチスに心酔し、あるいは無関心なまま音楽だけに没頭したのです。政府を批判することは死を意味していました。例えばカールロベルト・クライテンはヨーロッパ中を演奏活動で飛びまわる人気ピアニストでしたが、下宿先の大家の女性に「ヒトラーは精神異常者だ。この戦争に勝ち目はない」と話したことからゲシュタポに逮捕され、処刑されました。その女性が熱心なナチス党員であることをクライテンは知らなかったのです。まだ27歳でした。
そのような時代に堂々と政府批判をした音楽家がいました。二十世紀を代表する名指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーです。彼はユダヤ人音楽家を庇護し、ゲッベルスにユダヤ人差別に抗議する手紙を書き、わざわざユダヤ人作曲家の曲を選んで演奏したのです。演奏会場は満席で、聴衆は「退廃音楽」の素晴らしさに感激し、涙を流しました。人気の高い巨匠ですからナチス政府も手を出せず、結局、フルトヴェングラーは逮捕される直前にスイスへ亡命しています。
クラシック音楽は孤高の音楽ではありません。ドイツ音楽の歴史は政治の歴史でもあると言われてきました。音楽は政治に対する信念や抗議を伝える手段として使われ、人々の共感を得てきたのです。政治的信念は芸術家たちにひらめきと創作意欲を与え続けてきたことを学んでいれば、「芸術家だから政治を語らない」などという発言が出てくるはずはないのです。ましてや言論の自由が認められている現代です。芸術は自由であり、真実を追求するものであるべきですから、「言い出しにくい雰囲気」を作っているのだとしたら、それは芸術に対する冒涜のように感じるのです。
※写真はヴィルヘルム・フルトヴェングラー (1886 ~1954 )
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