ピミアナカス寺院の蛇の女神

この遺跡は、アンコールトム遺跡のそばに建っているピミアナカス寺院で、ここには不思議な伝説が伝わっています。この寺院には、九つの頭を持つ女の蛇が住んでおり、王様は夜な夜な寺院の最上階で、この蛇神と交わらなければならない、もし一日でも怠ると、王は死ぬという伝説が伝わっていたのです。そしてある日・・

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ドイツで執筆した物語をパキスタンで舞台化「孤独な狐ーコンキチ」

コンキチの創作を書き始めたのは 1974 年、もう 46年前になりますね。当時、遊学していたド イツのミュンヘンにあるアパートの6階で、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、 ふと思いついて書き始めた寓話です。そのとき私は26歳、毎日、バイエルン州立図書館に通 っていました。そして人生を限りなく夢想していたのです。 その頃は、春になって暖かくなったら、ドイツから汽車で出発し、トルコの黒海を船で渡り、シ ルクロード経由でインドのシャンティ二ケトンの大学へ遊学を始めようと考えていたときでしたが、降 り積もる雪を見ているうちに、私はふと生まれ育った広島の山間部にある故郷の三次を思い出して いたのです。故郷にも、同じように今は雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中 に一匹のキツネのイメージが浮かんできたのです。 「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れな い。そのキツネは、山の自然を破壊され、絶望感とともに、人間へのあこがれなど複雑な気持 ちを持って、人間に変身する―そして山を下り、会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キ ツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったのか? 人間は生涯をかけて生きるために懸命に働く仕事の意味はいったい何か、人生とは?生活と は?幸せとは?私自身の人生を重ね合わせながら、1篇の創作に10年もの歳月をかけて 「コンキチ」の物語を書き上げてみたのです。この物語が初めて刊行されてから37年…

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アジア・太平洋共同出版計画(ACP)と21世紀の課題

日本が国際的な牽引役を果たした「ユネスコ・アジア太平洋共同出版計画」は、1970年から30年近くにわたって、アジアの約20ヵ国が協力して子どものための共通読み物を製作したプロジェクトです。そこから生み出された「アジアの昔話」全6巻や『どこにいるかわかる?』など30点近くの児童書が、今でも子どもたちに親しまれています。アジア20か国でも同様で、今でもたくさん読まれています。私は1977年から1997年まで20年間、ユネスコ・アジア文化センター(ACCUで、このプロジェクトを担当しました。これほど感動し楽しかったことはありません!そして世界中の子どもたちや大人たちに貢献してきたことも・・・ このプログラムが、かってアジア地域に誕生していたことはまるで夢のようです。これは国境を超えて宗教の違いを超えて、共同で育んだアジアの子どもの本が、たくさんのこどもたちに熱狂的に読まれていたこと。アジアの国々で採話された昔話は、アジアの何十もの言葉で翻訳出版されて、その本から再びアジアの昔話の語りが始まったことー実に30年間にわたって続いたこのACCUのプログラムは、アジアだけでなく、全世界の図書開発にも大きな影響を与えました。 そもそもの始まりは1966年、ユネスコが世界図書年を記念して東京で開催した「アジア地域出版専門家会議」です。会議はアジア地域では出版活動が非常に低調で、特に児童書の不足が深刻、図書の甚だしい不足が教育振興や社会的・経済的な発達を極度に妨げていると指摘しました。しかしこれに…

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Minnie Voughtrin 南京事件が起きた時、金陵女子大学で女子大生たちを救ったヴォ―トリンという女性教師

<南京師範大学で絵地図ワークショップが開催された際、キャンパス内で出会ったヴォートリンの銅像: 2009年3月21日、南京師範大学の宿舎からキャンパスの中を歩いて、絵地図ワークショップの会場に向かっていたときに、キャンパスの一角の木立の下に、小さな銅像(上半分)が建てられているのを見かけました。 容貌からして欧米人のように見えたので、地元の出版社の編集長に「あの銅像はどういう方でしょうか?欧米人のように見えますが、この学校の設立者ですか?」と尋ねたところ、彼は「いえ、彼女は中国人です。学校の設立に関係した人でしょう」と言ったので、ああ、そうかと納得していました。 ところが後日、南京虐殺祈念館に行ったとき、南京師範大学(昔は金陵女子大学と言った)ヴォートリンという教師が虐殺を逃れた子どもや女性たちを金陵女子大学のキャンパスで保護していたという写真を見たのです。その写真を見ると、なんとなく銅像の顔と似ているのです。そして彼女は長年、金陵女子大学に奉職したと書いてあったので、 「もしかして宿舎の近くのキャンパスで見かけた銅像は、ヴォートリンではなかったか、銅像の顔は、中国人ではなくて欧米人の顔だったし・・・」と思って、もう一度銅像を確かめてみると確かにミニー・ヴォートリン"の銅像でした。 地元の出版社の人もこの銅像のことは知らなかったのです。 ************************ ミニー・ヴォートリン について: 南京の避難民たちに「ミニー…

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これまで創作出版された寓話(ぐうわ)について

これまでに私は、アジアの友人たちとさまざまな絵本や物語を創作してきましたが、それらの本は、すべて翻訳出版されて、アジアの子どもたちの手にわたっていきました。テーマは、すべてこの世界で「難しい課題」ばかりを取り上げました。そして動物を主人公にした寓話というスタイルで描いた哲学童話とも言えますね。そして2019年には中国が全部の物語を翻訳出版してくれました。どんなに嬉しかったことでしょう!アジア地域では、これまで30数言語で翻訳出版されています。今は「雲の物語」1000篇の執筆などに挑戦中ですが、しかし30年間で出版されたのはわずか30篇、未完成150篇、この調子だと遅々として900年以上かかりそうです。(笑)しかしアジアの国々ではインドを初めほとんどの国で翻訳出版されました。友人たちに感謝です! https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1429944450355280 インドで翻訳出版された哲学寓話 中国で翻訳出版された哲学寓話 イランで翻訳出版された哲学寓話

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「赤えんぴつと青鉛筆」ー南アジア平和絵本の共同出版

「赤えんぴつと青えんぴつ」ー南アジア平和絵本の共同出版 赤鉛筆と青鉛筆が、文房具店で売られていました。店頭に並べられていたとき、2本の鉛筆は、まだ見ぬ人生にそれぞれ幸せな夢を描いていました。  「これからどんな人生が始まるんだろうね?ぼくたちを買ってくれる人ってどんな人だろう?おたがい人生は違っても、いつか再会できると嬉しいね」と赤鉛筆が言いました。「もちろん」と青鉛筆が答えました。  次の日、赤鉛筆は勇敢な軍人に買われていきました。赤鉛筆は軍人の手に握られ、毎日戦争の計画を練っていました。綿密な作戦でたくさんの兵隊が山々に配置されたり、爆弾の落ちる場所へ赤い印をつけたりしました。軍人はとても忙しい毎日でした。そして赤鉛筆が大働きをしたあとは、いつでも決まってたくさんの人々が殺されたり傷ついたりしました。 そのたびに赤鉛筆は、大地がいつも若者の赤い血で染まっていくのを見て、いつも悲しんでいました。「ぼくの生み出す言葉や記号がこの戦争を作っている」 そうこうしているうちに、長かった赤鉛筆は、すっかり短くなってしまいました。 一方、青鉛筆は、ある日、小学校の女の先生に買われていきました。貧しいけれど親切な教師でした。教師の手に握られた青鉛筆はいつもたくさんの子どもたちの答案用紙に、青い文字を書き込みました。青鉛筆は、先生の気持ちを表現するのに夢中でした。子どもたちの夢や希望や戦争で亡くなった父親の子どもたちを励ます手紙を書くのに使われました。とても忙しい毎日でした。…

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「小学生の時、僕は」イジメられていた。

「小学生の時、僕は」という話をご紹介します。朝から涙ぐんでしまいました。(川原茂雄) 小学生の時僕はイジメられていた。 無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。 イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。 ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。 先生はなんでもいいんだよ。 遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。 けど僕はなかなか書く事ができなかった。 クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。 結果から言うと作文は書いた。 書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。 あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。 でもそれしか書けなかった。 作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。 先生はそのまま教室を後にした。 その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。 「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」 今日は作文の発表会の日。 先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。 「僕のお父さんは・・・」 「私のパパはよくおならをします。」 クラスの子たちのおも…

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子どもを生かす言葉、人間を生かす言葉、先生の一言(ひとこと)

子どもはたった一言で、立ち上がれないほど深く傷つくことがあります。それは大人も同様ですが、特に子どもの場合は、人生経験が少ないだけに言葉による損傷は大変甚大なのです。現代の子どもは、いかにも平気な顔のように見えますが、実は満身創痍、体には、無数の言葉の矢が突き刺さっていることがあります。大人からの信じられないような言葉、無慈悲な友人の言葉、がっかりさせる両親の言葉など、これまでに体験したことのないショックの言葉など、全身にまるで鉄砲の弾や矢のように、言葉が深くつき刺さっているのです。しかしこうやって人は成長していくのですが・・慣れという体験を余り持たなかったときには大変です。  周りから「死んでしまえ」と言われても 約80%の子どもは心の隅で笑い飛ばして自己防衛ができるのですが、約20%の子どもは自己防衛ができずに時と状況の中で「本当に死ぬ」ような局面に陥るのではないかと思います。子どもにとって、死は決して遠くにあるのではないようです。とくに子どもは、自分がどのように他人に見られているか、どのように他人に表現されているかを非常に気にしている存在で、それだけに自分の欠点や問題点を友だちに言いふらされたり、ネットに誹謗中傷を書き込まれ勝手に流布されたり、肉体的精神的に侮辱されたときには、子どもの思考や精神はだれであっても崩壊の危機に直面するのです。 特に子どもの場合、敏感な感覚が異常に損傷して、生涯にわたって心の深層に深い痛みを形成していくのです。人間はいつも自分のことを考えて…

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「学校を消したい」ー小学校6年生の叫びー銃弾のように非情な言葉はなぜ? 

群馬県で自殺した小学校の6年生の願い事: 「学校を消す」こと。 もしも透明人間であったなら: 「うらむ人にいままでやられたことをやりかえす」こと とカードに書いていたという。 「そんなことを言う子どもではなかっただけにショック」 とカードを読んだ母親は語ったという。 友だち関係で追い詰められ、孤立して死を選んだ12歳の女の子。 「お前は臭い。あっちへ行け」 容赦のない友だちの言葉が毎日、背中に突き刺きささってくる。それは母親がフィリピン人であったことからも始まっている。 人間という生物は、相手の弱点を見つけて、攻撃することがあるが、子どもはいつも大人社会のもつ裏返し クラスのみんなが、それぞれグループで給食を食べているときもたった一人で、給食をたべていた。 だれも声をかけない。だれも誘ってくれない。 さびしく冷たい給食の毎日・・・・・・ このような学校にだれが行きたいものか! だれがこのような給食を食べたいものか・・・・・ 担任教師はなにもしないし、なにも感じようともしない。教師は、本来、最も感受性の強い人がなるべきだが・・・そのような現実は、今の日本の小学校にはない。校長にいたると、どんな事実があっても、いじめの存在は認めようともしない。自らの進退に響くからだ。 日本の教室空間は、徹底して病んでいる。そのことを認めたくない現実が、子どもたちの世界を包んでいる。 その子は、小学3年の秋から1年間通っていた愛知県の学校の同級生あてに、 「…

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「大亀ガウディの海」の中で、太平洋を彷徨うクジラたちが叫んでいます。

今から40年前に執筆した「大亀ガウディの海」の中で、太平洋を彷徨うクジラたちが、このように叫んでいるのですが、いよいよこれが現実の言葉となってきました。 「わしたちクジラが、今泳いでいるのは、みんな「死の歌」を歌っているのさ、世界中の海は、毒薬の中を泳いでいるようなもの。どんなに逃げても逃げられない。人間は、それにしても地球環境や宇宙を取り返しのつかないところまで汚しまくったね。地球に生命が芽生えて以来、わしらクジラほど大きな体を持った、優しくて利口な生き物はいなかった。しかし、今、人間文明によって、わしらクジラは「死の絶壁」に追い詰められている。人間たちは知らないんだね。他の生物が死んだら、生き物連鎖で、死が人間たちを襲ってくることを・・・・」 などなど物語でこのようなことを呟きました。しかし今の世界はこうした現実をはるかに通り越しています。 写真はイギリス・ドイツ・フランスなどの海岸に打ち上げられた死んだクジラ。ニュージーランドでは、300頭が打ち上げられています。 http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/macabre-scene-dead-sperm-whale-7323552

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アフガニスタンの学生たちに読まれた「青い空の下で」

アフガニスタンの学生たちに読まれた「青い空の下で」 昨年、とても嬉しかったこと、その一つはアフガニスタンのカブール大学の学生たちから、「雲の物語」に関してたくさんの読後感想を送ってもらったことです。それは15年前、パキスタンで出会った難民家族の中の一少女が、20年後にカブール大学の教授になって活躍していたことを偶然FBで知ったことです。FBってすごいですね。そして彼女の方から連絡があって、劇的な対面をFBで行ったのです。 そして彼女の依頼で、当時書いていた10篇の物語(地雷で足を切断した男の子の再起の物語など)を英語版でメールで送ったところ、それは、すぐに彼女が教えている多数の学生たちに配布され、それからすぐに学生たちの感想文が多数送られてきたのです。それはさまざまな読後感想とともに、アフガニスタンでの激しい戦闘の事、国の行く末のこと、自分自身の生き方などさまざまなことが多数綴られていました。その必死な思いや体験の感想文を読むたびに泣けてきます。「戦争を一刻も早く終わらせたい」こうした感想文を受けとることができる私自身、人生冥利につきます。 Under a Clear Blue Sky 「青空の下で」 Cloud rolled in from somewhere and began to speak. ‘A few years ago I was floating lazily in the sky above Afghanistan. Mountains j…

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なぜ「敗戦」を「終戦」と言い換えたか造語・捏造大国ー日本?!

         ドイツのテレビ番組が日本の原発事故における政府広報を揶揄して「国民をコントロールするのが非常に巧い」と述べていたが、これは確かにそうである。政府は、国民を徹底して管理する体制技術には非常に長けていて、批判や不満の目はいち早く切り取るのに余念がない。教育の現場でも同じように生徒たちの批判の目はすぐに摘み取られ多様な形でのガス抜きが行われる。 そのためには言葉の言い回しや言い方を非常に巧にしたり、言葉自身を批判されないようにいろいろ苦心して造語する。そのため「その言い方はなんだ?」と内容よりも言い方を批判することが往々にしてある。それは国民性というよりも、マスコミや官僚体制の中からほとんどが生み出される。多くの学者もこのことを全く理解していない。 2012年8月、興味深いNHKテレビの番組放映があった。それは「終戦ーなぜ早く決められなかったのか」という番組で、終戦にあたって態度を決し切れない政府の優柔不断の対応が映しだされていた。その対応の結果、数十万人を超える戦争の犠牲者が続出した。そのなかで、「終戦」という言葉に関して、「終戦」という言葉は「僕が考えた言葉だ」という一官僚の発言が気になった。 彼の氏名は外務省政務局長の安東義良氏で、かれは終戦という名称の造語について秘話を明かした。 「・・・・・言葉の遊戯ではあるけれど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね。あれは僕が考えた。終戦終戦で押通した。降伏といえば軍部をえらく刺激するし、日本国民でも相当反響が…

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絵地図で行った「ラオスの未来」について

絵地図で行った「絵地図ワークショプ」を体験した子どもたちは、異口同音に「嬉しかった!楽しかった!また参加したい!」と言います。私は、たった一日で子どもたちが「進化した」と感じました。進化とは時間の長さではなく、短時間でも凝縮した宇宙を感じられるかどうかなのですから・・・・こどもたちは、大人以上に深く感じ考えているのです。この表情の中には、大人以上に成熟した普遍的な考えが存在しているのです。  2013年8月18日 ーラオスにて https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1840541402628914&set=a.456985940984474&type=3&theater

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「非識字者」から「未識字者」への呼称変更について (お願い)

従来から日本では、文字の読み書きのできない人々を「非識字者」と呼んでいますが、私はこの呼称は余り気持ちのいいものではないと思っています。非ということばがもたらす区別への冷たさから感じるのです。 「識字者」に非とつけることは、人と人とを冷たく区別させ全く別な世界に住んでいる人のように感じさせるからです。だれだって、読み書き努力をすれば、すぐに読めるようになるのですから・・・・日本では、昔は文字の読み書きのできぬ人々を「文盲」(もんもう)と呼んで差別してきました。私は文字の読み書きのできぬ人々は、<”未だ識字者ではない”>という意味で「未識字者」と呼ぶのがふさわしいのではと思っています。つまりこれから文字を学ぼうとする人々たちのことです。みんな努力したら識字者になれる存在なのですから、かれらを心から激励しましょう。 あなただって、日本語の他にどれだけ他の言語の読み書きができますか?はい。そうです。あなたも他の言語では、未識字者ですね。ふさわしくない学問用語は、勇気をもってどんどん変えていきたいものです。日本には時代や目的にふさわしくない用語が余りにもたくさん残存しています。日本の歴史では、同和問題において、差別された人々のことを非人(ひにん)といって差別してきた時代もありましたが、現在はこのようなことばは、使用が禁じられており、全く使われてはおりません。同じ人間存在を、このような言葉「非」の言葉によって厳しく区別する人権の侵害を深刻に認識したからでしょう。また未就学とは言いますが、非就…

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カンボジアでロケットストーブを制作した大田隆司氏

     2015年8月17日、広島県三次市からボランティアとして、カンボジアでの識字教育の現場へ応援に駆けつけた大田隆司氏(元小学校教頭)は、カンボジア農村の人々に新式のカマドを製作する協力活動を行いました。それは現在、世界中で話題になっているロケットカマドと呼ばれるもので、わずかの燃料でまるでロケットが火を噴くような火力をもつ新式カマドです。 大田氏は、わずか2時間足らずで農村の人々の前で、カマドを実際に作り上げて、並み居る人々はみんな拍手大喝さい。これは従来のカマドに比べて燃料は三分の一で済み、火力はロケットの炎のように非常に強く、しかもこのカマドづくりは誰にでも簡単にできます。これはカンボジアだけでなく、これからのアジアや世界の国々の台所やエネルギー事情を一変しそうです。途上国の森林伐採にも大きな影響を与えそうです。 大田氏はまた、これまでの広島での広範な農業体験を基に、炭焼き窯から木酢(もくさく)という「人体に害のない農薬」を作りだすことも行いました。次に詳しくご紹介しますね。識字教育と生活改善が、最も効果的に結びついた瞬間でした。こうした生活改善の現場で、村人が驚異を体験すると、識字教育の意味が実感できていくのです。知識や技術は、生活や人生を変えるのですから・・・ 2017年現在、このカマドは、このカマドに感動した熱心なお産婆さんによって広がりを見せています。 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts…

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イスラマバードの国立盲学校で、子どもたちの紙すきを行ったことの意味

      なんでも先入観で決めつけるのはよくないですね。私はかってパキスタンのイスラマバードにある国立盲学校の校長先生から、紙すきの研修依頼をうけたとき、「紙すきは、たくさんある紙漉きの工程を視覚で確認しながら仕事を進めていきますから、実際無理ではないでしょうか」とアドバイスしたのですが、実際には全くそうではありませんでした。私が教えた青年海外協力隊の一人の若者によって、紙漉き技術は盲学校に確実に伝わって残っていったのです。そして8年後、私が再訪したとき、その盲学校で「生徒たちが、喜び勇んで」紙作りにいそしんでいる風景を見たのです。視覚的にいかに障害があっても、結局、彼らの「指先」が紙漉きのすべてを視ていたのでした。 また知的障害をもつ子どもたちの学校長からも依頼を受けて、直接研修を行ったところ、その学校では、その後、なんとも楽しい手作りペーパーがたくさん完成しました。それにみんなが思い思いの絵を描いて、絵ハガキとしてバザーで販売したところ、父兄も関係者も喜び大変な人気だったそうです。 そしてその売上金が生徒たちに還元されたところ、生徒たちは熱狂したそうです。「ぼくの作ったものをみんなが喜んで使っている。みんなが買ってくれたぼくのハンドペーパー。ぼくって役立つな人間なんだ。」子どもたちはそう言ったそうです。 紙作りとは不思議な体験ですね。人間にとって「紙づくり」とは、まるで「神づくり」の感覚のようです。イスラマバードで学んだことです。 https://www.fac…

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人生で一番忙しかった頃、どんなことをやっていたのか?そしてその結果起きたこと。

人生で一番忙しかった頃、どんなことをやっていたのか?そしてその結果起きたこと。(首が回らなくなったこと) 今年(2015年)も、忙しい日々が続いていますが、それでもまだまだ首が回ります(笑)。その昔、私がユネスコ(ACCU)で仕事をしていた1990年の国際識字年の当時、人生で一番忙しかった時期ですね。識字絵本の国際共同編集・刊行、タイのジョムチャンで開催された150か国参加の世界教育会議への参加、アメリカで開催されたIBBY世界会議でのプレゼン、ドイツのフランクフルト・ブックフェアーで「アジア地域の出版」に関しての講演などに加えて、ACCUのアジア地域識字ワークショップ開催で、タイのパタヤ近くの海岸地域の村へ行ったことがあります。そして国際識字年を記念した読売新聞の特集が始まったので、外報部に招かれて、本社で講演を行ったこともありました。こうしたことがすべて同時進行していたのです。もちろん私のACCUの仲間たちと一緒に無我夢中で働いていたのです。忘れられない1990年。 そのとき、アジア16か国から識字専門家をタイのパタヤへ招請して、「アジアの女性のための識字教材製作の研修ワークショップ」も行っていたのですが、期間は2週間、と同時に、ユネスコ本部の依頼で「アジアの女性のための識字教材」のビデオ撮影も映画監督に協力して同時進行していました。ところがある日、あるスタッフの杜撰な資金管理によって、持参したワークショップの経費を全部を盗まれるという事件が起きました。なんと彼は鍵もかけず…

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<バスの中で言葉の暴力を喰らった>

「バスの中での言葉の暴力ー世の中捨てたもんじゃあない!」 2013/09/2 に、このような感動的なFB記事が載っていました。   10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。 本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。 ・ぶくぶく醜い ・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの ・補助金で贅沢してるくせに ・役に立たないのになんで生かしておくかなあ? それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。 息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。 さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」とも言われた。さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって 「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。 『あーもーいいや、苦情だけ入れて二…

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<歴史の授業>僕の先生は軍曹だった。

広島県の山懐にある小さな町での思い出である。私が中学生の時の話だったから、何十年も前のことになる。その頃、私の在籍した中学校には屋内体育館がなかったので、雨天の体操の時間には通常の教室での自由時間に振替えられた。振り替えの授業は楽しかった。なにを勉強してもいい自由時間だったからだ。体操の担任教師の名前は「グンソー」といった。 それは彼が兵隊にいたとき、「軍曹」の階級にあったからだ。彼の本名を呼ぶ者は誰もいなかった。彼は体操の振り替え時間には決まって、戦争の体験談を生徒たちに話して聞かせた。だからいつの間にか、彼は「グンソー」という呼び名になってしまったのだが、彼は戦争での経験をまるで手柄話のように語った。 グンソーの話から、戦争の真実を生徒たちに伝えたい思いもあるようには見えたが、それよりも、好奇心が強く血気盛んな中学校2年生ぐらいの男子生徒たちに、自分が戦争の中でいかに勇ましかったかをおもしろく話したかったように思えた。今になってみると彼は戦争の話をしながらも、いろいろのことを生徒たちに伝えたかったのかも知れない。しかし彼が亡くなってしまった今となってはよくわからない。彼が話したのは、平和を作る話よりも戦争をする話の方がはるかに多かった。戦争そのものについてであった。グンソーは肌黒く、みるからに目玉も大きくいかつい顔をしていたので、生徒たちは、彼がいったいどのように勇ましい戦争をやってきたか、興味はつきなかった。僕たち中学生は夢中になって耳を傾けた。・・・・・ ー今日は…

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私がカンボジアの農村で作った泥と煉瓦のカマド

私がカンボジアの農村で作った泥と煉瓦のカマド: 2014年 カンボジアの村の産婆さんが、一番熱心に新式カマドを普及させました。これは第一号です。村人の多くの家には、カマドらしいカマドはありません。石で造られた簡単なものですから、効率が極端に悪いのです。カマドは生活の中心です。 私の識字教育では、徹頭徹尾、具体的な「生活改善」や自分の「人生目的」を通じて、生きる喜びや幸せなどを自分の内面から作り出していくことを最大の目的としています。識字教育が、パウロ・フレイレのような文字文化を通じての政治的な意識化や人権意識など社会を強く意図して目的的に始めるのではなく、徹底的に人々の「生活」と「人生」の充実や改善から始めることを目的としたものです。 もちろん識字教育の最終目的は、人間の意識化や文化創造や人権意識の獲得などにも大きく合流しますが、識字教育の具体的な端緒としては、自分の人生や生活を視覚化を通じて具体的に豊かにしていくことを実感しながら実践していきます。文字文化を政治的、抽象的に考えたり表現したりはしません。そのためカンボジアの農村で、最初に行ったことは、それぞれの個人の家の台所改善でした。これは女性がいつも台所で食生活のため「火」や「燃料」に苦しんでいることを知っていたからです。そこで、女性対象に、新式の効率的なカマドを作ったところ、これは1年足らずでこの地域に爆発的に広がっていきました。 効率的なカマドですから、燃料費もかからなくてすみ、女性が料理にかける時間も大幅…

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韓国のマスメディアで広く紹介された“大亀ガウディの海”

韓国のマスメディアで広く紹介された“大亀ガウディの海” ◆環境童話の最高峰 奇抜な想像力,ユーモアと冷笑の絶妙の配置、才気煥発した文体の中に染みている悲しさ、水族館を脱出した大海亀ガウディは警告する。「自然を、自然を!そのままに私たちに帰してくれ!」この本は環境破壊が人間の生存を脅威するほど深刻になった現在、子供と一緒に環境問題を悩み考えようと執筆された作品だ。アジアの文化交流や環境活動を推進しながら哲学的な童話作家田島伸二氏が物語を書き、韓国の南怡島(ナミソム)を生態公園として再生し、環境愛を実践している芸術家の康禹鉉(カンウーヒョン)がイラストを描いた。環境問題はいまや深刻な生存問題になっている。人間が汚した自然が、人間の生を破壊し始めている。 地球上では今も、無数の生物たちが人間の利己心のために苦しんでいる。その苦痛は数十倍にもなって人間に帰ってきている。自然を破壊するのも人間だが、自然を利用しその恩恵を一番多く享受しているのも人間だからだ。 この本はまさしくその環境問題の深刻性を、多くの動物たちの声を通して表現している。動物たちが話してはいるが決して軽くはなく、重たい主題を明確に伝えるが決して退屈ではない。手に汗を握るような水族館脱出作戦や海中で展開される奇想天外な事件、自然破壊で苦しむ動物たちの悽絶な光景、ガウディが海で繰り広げる冒険談が人間の無分別な自然破壊に対する厳重な警告につながっているこの作品は独自の想像力とウィットあふれる文体で、読めば読むほど楽…

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A.ラマチャンドランがイラストを描いた「大亀ガウディの海」

インドには宇宙が壊れそうになったとき、神さまが亀になって宇宙を支えたという神話があります。」 来日したインドの画家、A.ラマチャンドランは、新聞記者の質問に答えた。 「あなたは「大亀ガウディの海」という絵本を描いていますね。その中で「亀」の存在を、自然環境との共存のしかたの中ですばらしい視覚表現をされていますが・・・・。」  「・・・・インド人にとって、亀の存在はとても重要な生き物です。聖なる存在とも言えるものです。インドの三大神のひとつに「ビシュヌ」という神様がいますが、「ビシュヌ」は、宇宙が壊れそうになったときに亀の形になって、宇宙を下から支えたという神話があるのです。ですから、「大亀ガウディの海」の絵本は、特別の思いで描いたものです。「この物語の作者は、同じ考えを有している友人の田島伸二さんで、彼の原稿を読んだ時、彼が何を伝えたいか、すぐにわかりました。これは他人が書いたお話に絵をつけた唯一の作品です。 また「核時代」という絵は、インドが初めて核実験を行った時に、大きな衝撃を受けて一気に描いた作品です。ヒロシマやナガサキのこともよく知っていたので、インドの核実験には本当に心を痛めて、憤りました。画家や芸術家のだれもが平和を強く求めています。そのために何ができるかを考える使命があると考えています。」 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1834548829894838

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カシミールでの平和を祈って共同製作された4冊の絵本が完成!

      インドとパキスタンの平和を願って始まった「南アジアの平和絵本共同出版プロジェクトー(カシミール絵本)と称する」が、1998年から13年かかって2011年に完成しました。完成した絵本は、2011年からすでにインドやパキスタンで幅広く読まれています。内容は印パ双方の作家や画家が共同で執筆・共同編集したものです。この写真は、5か国が参加した2001年の第1回企画編集会議(東京)、2004年第2回南西アジア編集会議(ネパール)です。夢見ていたプロジェクトだけど、とうとうヤッタネ! Tim Hoffman International lineup spearheading the 'Picture Book for Indo-Pak Peace Project' of International Center for Literacy & Culture ICLC. Seated (L to R) - TAJIMA Shinji/Japan, LYU Honju/China, Atiq Ul RAHMAN/ Pakistan, Dr Varsha DAS/India, Tim HOFFMAN/USA - backed by a row of fervent supporters from Japan, hosted 3 Mar 2001 in Fairmont Hotel, Tokyo. https://iclc2008.hatenadiary.org/entry/201112…

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歴史遺産から事実を通して学ぶ韓国の子どもたち・学生たち

2016年8月7日、韓国の「西大門刑務所歴史館」の見学を行いました。この刑務所は、戦前には、日本の植民地支配に抵抗する柳寛順(ユ・グァンスン)など多数を投獄し、戦後は韓国の民主化に抵抗する人々をたくさん投獄していたのだそうです。私が最も驚いたのは、たくさんの子どもたちや学生たちが熱心に見学し学んでいるその真摯な姿勢でした。こうした負の歴史遺産から事実を通して学ぶことは、次世代を確実に作っていくのだと痛切に感じましたね。 今回の私たち一行の韓国側責任者の一人は、1977年から2年間にわたって、この刑務所に入獄されていたと笑いながら話してくれました。彼は大学で民主化闘争のリーダーでもあったので投獄され、裁判闘争を行った結果、最後には勝利を収めたのだそうです。鉄格子の向こうに本物の大きな笑い顔が見えました。 そういえば、私たちの宿舎であった南山の山麓にある「国際ユースホステル」は、なんと、かっては韓国CIAの本部だったのだそうです。その頃、南山に行ってくると言うと特別の意味があったのだそうです。大きな変化を生き抜いてきた韓国ー景福宮の大通りでは今、韓国セウォル号沈没事件の遺族たちが、真実を求めて抗議活動を続けていました。 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1414268765256182 この監獄に囚われて2年間、釈放されたとき、経済的にも困窮を究めたので、キリスト教の団体からの支援を受け、それがきっかけでク…

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アンコールの森の中で伝統的な絹織物を蘇らせた森本さん

2014年8月11日 の今朝は、カンボジアのシェムリアップのアンコールの森の中で、とても感動的な人とお会いすることができました。人生で素晴らしい人に出会うのは、人生の大きな喜びです。森本喜久男さんは、アンコールの森の中に、千年たっても輝きつづけるカンボジアの伝統的な絹織物を現代に蘇らせた京都出身の染色家です。容貌はまるで僧侶のようですね。自然と村人とともに生きてこられ、とても穏やかな方でした。森と街の中に500人規模の工房を運営されながら、世界一と言われる最高品質の絹織物を多くの村人と一緒に「伝統の森」の中で作っておられました。これらは、すべてカンボジアに古来から伝統的に存在していた技術です。戦争で多くの貴重な技術が失われたので、まるでジグソーパズルを完成させるように、人や技術などを再結集して、ジグソーパズルを完成させ「伝統の森」を現代に蘇らせました。私は30年前、タイでお会いしたことがあって、旧交を温める出会いとなりました。(2017年7月3日死去)

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カンボジアにて鸛鵲楼(かんじゃくろう)に登る

千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 2014年8月11日の今朝、 ある瞬間に、急に中国の唐時代の王 之渙の「鸛鵲楼に登る(かんじゃくろうにのぼる)という詩を思い出しました。そして思ったのです、「そうか、人生で歳を重ねるということは、さらに人生の高みへ登っていくことによって、これまでに見えたことや考えたことのない景色を見ることもできるようになる」ということか、と思えたのです。漢詩には、もちろんいろいろの解釈があり一概に言えませんが、山登りでは、頂上へ向けて歩いているとき、高さによってさまざまな眺望が開けてくる・・・・この頃の仕事の中で痛感するのだ。これまでわからなかったことや、見えなかったことが見えてくることの多いカンボジアでの滞在となりました。自分の顔に責任を持たねばならない歳になったのですね(笑) 今日は月曜日、8月11日、午前中は人に会ったり、午後からのワークショップやプレゼンに備えています。7点の新しい識字教材も準備できました。土曜日日曜日も働いたので、ちょっときついですね。 鸛鵲楼に登る 白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る 千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 輝く夕日は 山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は、海に入ってもさらに流れる。千里の眺望を見はるかしたいと思い、さらに一階上の楼へと上っていく。 王 之渙の『唐詩選』 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 「鸛鵲楼(かんじゃくろう)」:蒲州…

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パチンコ・アテネのソクラテス

東横線の自由が丘の駅前に小さなパチンコ店があった。今もそれがあるかどうかはよく知らないが、とにかくそのパチンコ店の名称は、アテネといった。パチンコーアテネ・・・・私はその名称がひどく気にいった。  ある雨の日、ふと覗いてみたら、客が少なかったので入ってみた。パチンコ店は、通常繁盛しているところや混み入っているところほど客の入りはいい。たくさん客がいないと、この店は当たりが少ないのではと敬遠される。私は、この日は当たり外れはどうでもよかった。とにかく気がむしゃくしゃして、丸い玉を転がしたかっただけだ。 ところが、びっくりしたのは、私の隣の台にどこかで見かけたような風貌。彼は日本人ではない。外国人の顔。ええと待てよ。この顔はどこかで見たようなことがある。そう言えば、彼はギリシャの哲人ソクラテスと同じような風貌をした老人・・・・しかし、なぜそのような男がパチンコ台に向かって、真剣な対話でもするかのように、玉をうっている。一心不乱。ハハハハハハハハ・・馬鹿も休み休み言え!なぜソクラテスが自由が丘のパチンコ屋に現れる・・・・とは思っては見たものの、横顔は正真正銘のソクラテスに見える」 しかし私がソクラテスを知っていると言っても、それは高校時代に美術部に属し、石膏で作られたソクラテス像をデッサンしたに過ぎないものだから疑わしい。だが、その男はまるでタイムカプセルから抜け出してきたようだ?鼻といい目元といい。いいや、待てよ、路上生活者とも言えなくもない・・・・ときどき新宿界隈で見かけ…

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元安川の清流を見つめる修学旅行生

広島の原爆ドームの前を流れる元安川の清流を見つめる修学旅行生たちー原爆が投下された直後は、無数の人々が焦熱地獄から逃れようと元安川へ飛び込んで溺れ死んだ。1945年8月6日

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パキスタンで演劇化された“さびしい狐”の「コンキチ」

(第2部) コンキチの晴れの舞台の日です。夢にまでみた舞台!それは私の夢で もあったのですが、それ以上にアッサラオ君にとってはそうでした。 私は、1997 年より 2000 年まで、識字教育の専門家として 3 年半の任期を勤め 終え、12 月の帰国準備をしていた時期で、こうした舞台に力を注げる 余裕はなかったのですが、当日だけは、なにかしらわくわくとした高 揚感を感じて、イスラマバードから約20キロ離れたラワルピンディ のリヤカットホールにでかけたのです。 到着してみてなんと驚いたこと。ホールの門前には、今日の舞台が大 きなキツネの絵で看板に描かれて掲げてあるのです。本の表紙のコン キチの絵が拡大されたものでしたが、他の看板と競合するようにいか にも上手に描かれてあります。国立芸術カウンシルの主催だからでしょうが、今日はどれだけの人が見に来てくれるか気になりました。リアカットホールとは、パキスタン初代の大統領リアカット・アリカー ンの名前から由来しています。この大統領はこの地で暗殺されたため、 この地を記念して大きな劇場が建設されたのだそうです。会場には、 これまで私が行ってきたパキスタンでの識字教育の仕事や紙漉きで製 作した製作物など多数が展示されていました。日本大使夫妻や文化庁長官 のゴーラム・ラスール氏など次々と来賓が到着しました。これはパキ スタン国立文化評議会の主催なので、会場には次々と多数の観客が訪 れてきました。 大ホールの舞台の背後を見て驚きました。「貢献に感謝」…

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韓国の陜川(ハプチョン)と大邱(テグ)で行われた8月6日の原爆慰霊祭ー·

 明治維新以後、朝鮮侵略を進めた日本は、1910(明治43)年の日韓強制併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がいたといわれています。広島と長崎では、徴用された人々の中で約4万人(3万人ー広島、1万人―長崎)もの韓国・朝鮮の人々が原爆で亡くなっていたのは、実に大きな衝撃でした。 2016年8月6日、韓国で四番目に大きな都市大邱(テグ)で、ハプチョンに続いて韓国人・朝鮮人の原爆慰霊式が行われました。私は日本からの反核平和巡礼の18名を代表して挨拶を要請されたので、(1)私自身が戦後の広島出身であること(2)広島市へ救援にでかけた近所の人々が被ばくして、原爆症で長く苦しんでいたこと。(3)今は、子ども向けの創作などを書いており、韓国でも7冊の本が翻訳出版されていることなど織り交ぜてお話しました。そして最後に、慰霊式に参加されている市民の方々に、「私は戦後生まれで、戦争は体験していません。しかし多くの日本人は、日本がかって韓国を侵略し、多くの人々に凄絶な苦しみを与えたことに本当に申し訳なく思っています。一部の政治家を除き、みんな日本人は、心から謝罪したいと思っているのです。私も心から謝罪したいと思います。」と涙声で述べてスピーチを終え、壇上より下りたとき、一人の中年女性が近づいて来ると、なにか大声で叫んだ…

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世界に広がった「コンキチ」の物語と上演

コンキチについて コンキチの物語を書いたのは、もう45年前。当時、ドイツのミュンヘンにあるアパートで、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、ふと思いついて書き始めた寓話です。当時私は、春になって暖かくなったら、ドイツを出発しトルコの黒海を経て、シルクロードを陸路でインドへの遊学を考えていたが、降り積もる雪を見ているうちに、ふと私は生まれ育った広島の県北部にある故郷を思い出していた。 そして私の故郷にも、同じように雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中に一匹のキツネのイメージが浮かんできた。「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れない。そのキツネは、山の自然を粉々に破壊され、絶望感とともに人間へのあこがれなど複雑な気持ちを持って、人間に変身していく―そして山を下り、やがて会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったか? それは希望を求めながらも限りなく絶望に囲まれた世界。人間は生涯をかけて、生きるために懸命に働く仕事の意味はいったい何か?生活とは?幸せとは?喜びとは?愛とは?私自身の人生を重ね合わせながら10年をかけて「コンキチ」の物語を書き上げた。この物語が初めて刊行されて、2004年に語りとなったが参加者からは実に多くのメッセージを頂いた ―「コンキチ」について。子ども向けのユーモラスなお話を勝手に想像していたのですが、とてもシリアスな内容だったんですね。最初は現…

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日本、韓国、中国の三か国国の絵地図ワークショップを行って気がついたこと

今、子どもたちが直面しているさまざまな課題について、ICLCでは絵地図分析という参加型のワークショップを、これまでさまざまな国や場所で開催してきた。最近は、原発で被災した避難者が生活している福島県のいわき市で5月と6月の二回にわたって絵地図ワークショップ行った。この詳しい内容について、ICLCで報告したいと思っているが、今回は日本、韓国、中国の子どもと比較してみて気がついた点を報告したい。これはほんの一部の報告であり、絵地図ワークショップの回数や対象者を変えて、なんども行ったわけではないので、厳密な意味では一般化はできないが、絵地図ワークショップという「自分自身の表現」について、痛感した考えを報告してみたい。 (1)昨年、韓国のソウルにある梨花女子大学で、約30名の子どもたち(小学校2年生から中学校1年生まで)を対象に絵地図をワークショップを行ったとき、まず驚いたのが、ワークショップを開会を宣言すると、すぐに子どもの中に「ワークショップには参加したくない」と手をあげて主張した子どもがいた。4-5名もいて、「ワークショップより、家に帰って自分の勉強をしたい」と言うのである。ワークショップについてなにも知らないのである。 みんなに共通のテーマを話し合ってほしいと言ったところ「一緒に話し合いたくない」「文章も書きたくない」と自分の気持ちをそのままに主張するのであった。4グループの中で、1グループは完全に瓦解しており、さらにそれに追随しようとしたグループもあった。能力開発に似たようなも…

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現代寓話「コンキチ」が伝えた人間の実存的存在

現代寓話「コンキチ」が伝えた人間の実存的存在 The Lonely Fox KONKICHI 「コンキチ」 2004年4月24日に、目黒パーシモンホールで開催されたICLC主催「語りの会」とお話の感想です。(約180名参加) . 原作田島伸二、林洋子の語りと劉宏軍の音楽、2004年に4回上演され大きな感動を巻き起こしました。「狐のコンキチは、山が壊されていくので、コンキチは、とうとう狐をやめて、人間になることを決意 します。会社員になったコンキチは、ゴルフのクラブを握って喜んだり思う存分人間生活を楽しんでいましたが、彼の会社とはな んと毛皮会社。そのためコンキチは、ある日、社長命令を受けて、鉄砲をもって毛皮を獲りに故郷の山へ向かいます・・・・・・・・ 」 コンキチは、アジア地域で28言語に翻訳出版されています。 ーこのような感動的な物語が日本に存在しているのを初めて知りました。深くておもしろい物語ですね。語りになるとまるで本物の世界が広がっているのを感じます。語りのもつ圧倒的な力に驚きました。でこの物語、早く読みたいです。林さんは、一字一句書かれた物語を全部、暗記されているのですね。1時間も語ることができるなんて、すごい!また聞きたいです。 ― 昨日の林洋子さんのコンキチの語りの公演、素晴らしかったです!渾身の熱演でした。また感動させて頂きました。私もコンキチと一緒に泣いたり笑ったりため息をついたり。息子もそれなりにすごい。花束贈呈も初体験させて頂き、舞い上がって…

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モンゴルの大草原で、馬に乗る子どもたち

モンゴルの大草原で、馬に乗る子どもたち 子どもたちにとって、これ以上の幸せはありません。 ーこのようなモンゴルのゴビ砂漠に、日本の福島原発から出た膨大な放射性廃棄物を埋設処分することが、考えられていました。これは日本人として、絶対に許してはなりません。世界中の原発はすべて廃炉にして、自然エネルギーだけで、人間は生きていくべきです。 Necmi Çelikcan https://www.facebook.com/photo.php…

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知っていますか?恩送り

劇作家として有名な井上ひさし(1934-2010)は、不遇な幼時期を過ごした。 井上は、幼い頃、父と死別し、義父の虐待を受ける子どもだった。貧しさのため母に手を引かれて児童擁護施設に預けられた井上は時々、不良少年と付き合い、中学生になると店で物を盗んだりもした。ある日、彼がある本屋で国語辞典を盗み、本屋のおばあさんに捕まった。おばあさんは「そんなことをすれば私たちはどうやって暮らせるのか」と言って、井上に裏庭にある薪を切らせた。 そのおばあさんは薪をすべて切った井上の手に、国語辞典とともに、辞典代を差し引いた日当を握らせた。「こうして働けば本を買える」。後に作家になった井上は文集で「そのおばあさんが私に誠実な人生を悟らせてくれた。いくら返しても返し切れない大きな恩」と回想した。彼は作家として有名になり、故郷の山形県川西村に自分の蔵書を寄贈して図書館をつくったほか、現地の農民を対象にした農業教室「生活者大学校」を設立した。 またその本屋があった岩手県一関市で生涯、同僚と一緒に無料文章講習を開いた。これを井上は「恩送り」といった。誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送る。そして恩を送られた人はまた別の人に恩を渡す、恩がぐるぐる回る世の中をつくろうという趣旨だった。 ー私はこの記事を読むたびに涙が流れるのを覚えます。幼い井上ひさしと本屋のおばあさんとの出会いー井上ひさしの人生は、このおばさんとの出会いの温かさによって、始まったのでしょう。そしていつも思うの…

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酋長の娘とジンギスカン

    その昔、ユネスコ(ACCU)は、2年ごとにアジア・太平洋地域25か国のユネスコ活動の代表者たちを東京に招請して、華麗なる国際会議を開いていた。5日間の日程の最後には、恒例の箱根のホテルに参加者全員を招待し、ACCUスタッフたちも全員で歌や踊りを披露し、舞台などの宴会を一緒に楽しんでいたが、私はどういうわけか、入社早々、この交流会の責任者を仰せつかった。これは理事長からの直接命令、しかもこの伊藤理事長とは、大変な有名な国際人だが、裸踊りが大好きという非常にユニークな人柄であった。 5幕の舞台では、「元禄忠臣蔵」をスタッフ全員で演じていたが、理事長はいつも置屋の女将を見事に演じるのであった。英語劇だ。そしてこの舞台が終わるといつも、各国の代表たちすべてを舞台に呼んで、みんなでディスコ曲とともに踊り狂うのであったが、その最初に私が聞いた音楽は、理事長の大好きな「戦争中に日本の軍人たちが南洋で歌っていた「酋長の娘」だった。聞くところによると、彼は戦争中、インドネシアで教育司政官だったそうだ。おそらく軍隊にいた時に、彼は毎夜この歌を歌い踊って暮らしていたのだろう。なつかしい曲に違いない。私は初めてこれを聞いた時、「なんとも下品だ」と驚き、大きなショックを受けた。アジア各国からの代表者たちは、ほとんどが各国政府のトップの文化人であるからである。  彼らは、歓迎会で日本人が日本語でなにを歌おうが、意味はよくわからないかも知れないと思ったが、しかしアジアからの文化人の前で「わたしのラバー…

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目に見える世界は、目に見えない世界によって支えられている海

命を育む ひとつの海 インタビュー<目に見えないものの大切さを子どもたちに伝えていく> 『mammoth』24号「Our Ocean 命をつなぐ ひとつの海」 http://www.mammothschool.com/2012/03/shinji-tajima/ 広く深く大きな海。小さな島から流された汚染は、海流に乗って世界中へと散っていく。『大亀ガウディの海』で 、大 海に棲む生き物たちが放射能汚染で追われる叫びを描いた、田島伸二さん。出版から20年経った現在、海の状態はさらに深刻な状況になっている。私たちがいま考えなけれ ばならない、海のこと。 「私は海がないところに生まれました。まわりを中国山脈に囲まれた広島県の三次というところです。家は農家だったので年中忙しくて旅行に連れていってもらえるなんてことはめったになく、海を見る機会なんてありませんでした。あるとき、近所の友人が「海を見てきた」と話をしてくれました。海は、「すごく広くって、ずーっと向こうに対岸がかすかに見える大きな池のようだった」と。あとでよく考くえてみると、それは瀬戸内海のことだったんですね。小さなころは、この山々の向こうになにがあるんだろうと、ずいぶん想像をめぐらせました。初めて海を見たのは、小学三年生のとき。 海の大きさにも驚かされましたが、なによりも波が寄せてくる力にびっくりしました。恐ろしく、まるで生きもののように生きているとも感じました。海のないところで育ったせいか、自分が知らない海というものに対…

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地球とは「呼吸しながら生命を育んでいる宇宙」そのものではないか?

人類が生き残るためには、地球を脱出して宇宙に向かうしかないー 英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士は、2010年8月9日、 各方面の有識者らの意見を掲載するウェブサイト、ビッグ・シンクで警告した。 「人類よ宇宙を目指せ、地球にとどまれば絶滅。地球だけを見つめた内向き思考はやめて、宇宙へと視野を広げるべき」と語り、 人類が抱える問題の解決策を地球上だけに求める考えを改めるよう諭した。また、人類は前例のない勢いで危険度が増していく時代に突入していると警告。 「人口が幾何学的に増加する一方、地球の資源は有限。 さらに、技術の進歩は良くも悪くも地球環境を変えるまでに至った」との理由から、 22世紀以降の人類の未来は「宇宙にある」と断言した。 博士が有人飛行を支持するのもこのためだという。 しかし、宇宙には人間が住めるような幸せな星はないのではないか。人類は「宇宙の青い鳥」を求めて地球を飛び立っていけとでもいうのであろうか?ホーキング博士は人類は地球を脱出することよりも、地球をいかに最大限住みやすくするか? 人間がいかに地球で幸せに住めるようにするかの知恵や技術を出すべきではないのか? 「地球だけを見つめる内向き志向はやめろ」と警告しているが、その前に、海を地や大気を完全に破壊していく21世紀文明での生き方への警告が、脱原発や人口爆発に関しても具体的に行われるべきである。物理学者は、人間を生物としての存在とは捉えていない。それが彼らの使命だと思っている。 そのため核…

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「音楽家のくせに」などという日本人の音楽家に対する偏見について

ギュンターりつこ様、FBへの素晴らしいご投稿をありがとうございました。芸術と政治との関係ーシェアさせていただきます。私はかって武蔵野音大の博物館で、ユネスコ(ACCU)で一緒に働いていた前芸大学長でもあった福井理事長がドイツ留学中、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーから頂いたという指揮棒を見せてもらったことがあります。フルトヴェングラーは、不屈の生き方をした素晴らしい音楽家だったのですね。ギュンターりつこさんの「音楽は政治に対する信念や抗議を伝える手段として使われ、人々の共感を得てきた。政治的信念は芸術家たちにひらめきと創作意欲を与え続けてきたことを学んでいれば、「芸術家だから政治を語らない」などという発言が出てくるはずはないのです。」と。その通りですね。 ギュンター りつこ   私が日本の政治に関する投稿をすると、ときどき「あなたは音楽家なのに政治に興味があるのですね」とか「なぜ音楽家なのに音楽以外のことに詳しいのですか?」などといったコメントをいただくことがあります。先日の石原慎太郎氏を批判した私の投稿に対するコメントの中には「音楽以外のことには無知な音楽家のくせに知ったようなことを書くな」といった激しい言葉もありました。確かに私は無知かもしれませんが、なぜ「音楽家のくせに」とか「音楽家なのに」という枕詞がつくのか、不思議でなりませんでした。  これは非常に興味深い現象です。なぜならドイツでは音楽仲間がワインやビールを飲みながら政治について喧々諤々と意見を戦わせるの…

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