韓国の陜川(ハプチョン)と大邱(テグ)で行われた8月6日の原爆慰霊祭ー·

 明治維新以後、朝鮮侵略を進めた日本は、1910(明治43)年の日韓強制併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ませんでした。また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がいたといわれています。広島と長崎では、徴用された人々の中で約4万人(3万人ー広島、1万人―長崎)もの韓国・朝鮮の人々が原爆で亡くなっていたのは、実に大きな衝撃でした。 2016年8月6日、韓国で四番目に大きな都市大邱(テグ)で、ハプチョンに続いて韓国人・朝鮮人の原爆慰霊式が行われました。私は日本からの反核平和巡礼の18名を代表して挨拶を要請されたので、(1)私自身が戦後の広島出身であること(2)広島市へ救援にでかけた近所の人々が被ばくして、原爆症で長く苦しんでいたこと。(3)今は、子ども向けの創作などを書いており、韓国でも7冊の本が翻訳出版されていることなど織り交ぜてお話しました。そして最後に、慰霊式に参加されている市民の方々に、「私は戦後生まれで、戦争は体験していません。しかし多くの日本人は、日本がかって韓国を侵略し、多くの人々に凄絶な苦しみを与えたことに本当に申し訳なく思っています。一部の政治家を除き、みんな日本人は、心から謝罪したいと思っているのです。私も心から謝罪したいと思います。」と涙声で述べてスピーチを終え、壇上より下りたとき、一人の中年女性が近づいて来ると、なにか大声で叫んだ…

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世界に広がった「コンキチ」の物語と上演

コンキチについて コンキチの物語を書いたのは、もう45年前。当時、ドイツのミュンヘンにあるアパートで、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、ふと思いついて書き始めた寓話です。当時私は、春になって暖かくなったら、ドイツを出発しトルコの黒海を経て、シルクロードを陸路でインドへの遊学を考えていたが、降り積もる雪を見ているうちに、ふと私は生まれ育った広島の県北部にある故郷を思い出していた。 そして私の故郷にも、同じように雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中に一匹のキツネのイメージが浮かんできた。「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れない。そのキツネは、山の自然を粉々に破壊され、絶望感とともに人間へのあこがれなど複雑な気持ちを持って、人間に変身していく―そして山を下り、やがて会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったか? それは希望を求めながらも限りなく絶望に囲まれた世界。人間は生涯をかけて、生きるために懸命に働く仕事の意味はいったい何か?生活とは?幸せとは?喜びとは?愛とは?私自身の人生を重ね合わせながら10年をかけて「コンキチ」の物語を書き上げた。この物語が初めて刊行されて、2004年に語りとなったが参加者からは実に多くのメッセージを頂いた ―「コンキチ」について。子ども向けのユーモラスなお話を勝手に想像していたのですが、とてもシリアスな内容だったんですね。最初は現…

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