謙遜について

謙遜について
1994年に死去された森滝市郎さん(広島大学名誉教授)は世界的に知られた著名な平和運動家である。彼は冷戦時代、米ソの核実験や戦争に抗議して、広島平和公園で座り込ながら、自らの被爆体験を語り、核廃絶のために全力を尽くされた生き方は、被爆都市ヒロシマの象徴でもあり広島市民の誇りでもあった。
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あるとき私は、森滝市郎さんの講演を友人の碓井真行氏(光明寺住職であり、独特の世界を表現する魂の画家)のお寺で聞くことがあった。彼の話は実に生々しく、原爆炸裂で目にガラスの破片が突き刺さったときの被爆体験を語られながら、人間の教訓として、「人間ほど愚かな存在はいない。馬鹿と言ってもこれほど馬鹿な存在はいない。核と人類とは、どうしても共存はできないのに・・・・」と話をされ、私は大きな感銘を受けた。そこで講演会のあと、「先生!すごかったです。素晴らしいお話しで、とても感動しました。」と感謝すると、森滝さんは、私の方をじっと見たあと、「私がすごいんじゃあないよ。あんたの耳がすごいんだよ。と謙遜されて答えられたのであった。

それを聞いて私は「あんたの耳がすごい」と指摘されたことに思わず嬉しくなった。誉めたつもりだったのに、誉められたのだ。これは悪い気持ちはしない。でもよく考えてみると、森滝さんは「わたしのつまらない話でも、そのように ”すごい”と 聞くことができるのは、あなたが持っている耳(問題意識)がすごいんだよ。」と謙遜的に答えながらも、若者を激励されるその姿勢に感動したのだった。なるほど、考えてみれば、だれかの話を10人が聞いたとしても、全員みな異なった印象や異なった感動を受ける。みんなそれぞれの問題や興味の持ち方が異なるからだ。おそらくキリストがしゃべった言葉や、仏陀がしゃべった言葉でも同じことであったろう。そのため、聞く耳によって、すべて違う解釈が歴史の中で生まれてきているのだから。とにかくこのときの体験から、「なるほど森滝さんは、受け方ひとつでも違うなあ。素晴らしい。」と改めて感動したものであった。

そこで、それからというもの・・・・・私も講演を依頼され、そして終了後に聴衆者から賛辞をいただくことがあった。そのような時、私は、森滝さんから学んだ言葉をIまるで、(馬鹿のひとつ覚えのように)使わせていただくことにした。「いいえ、、私の話しや体験が素晴らしいのではありません。あなたの耳が素晴らしいのです」と・・・・この謙遜の言葉を使わせていただいたが、そのうち私はハッと気がついた。

「もしかしたら森滝さんも、この言葉は、自分で生み出されたというよりも、どなたかが使われた言葉を使用されていたのかも?・・・」と考えるに至った。もちろん言葉は、その人の人生から生まれてくるのは間違いないことだが・・・・「しかし、ひょっとしたら・・・・そうだ!それに違いない!この謙遜の言葉の話は、森滝さんも、誰かから誰かへと、伝承されてきた言葉を、どこかで森滝さんも伝承されたのではないか」」と思った。そうだ。・・・人は、人生で感動したことは、なんでも心の中に積み上げていく。そしていつしか、その感動の言葉の積もりの中から、自分の言葉を生み出していく・・そして、意識的に、無意識的に使い始めていく。おそらく人間は、長い間、そうやって何千年、何万年も「言葉」や「こころ」を伝承してきたに違いない。

ほんとに簡単な言葉、魔法的な謙遜の言葉ー
「あなたの耳がすごいんだよ」 
これは、人類が言葉によって、対話を始めた頃からの知恵かもしれませんね。森滝先生、ありがとうございました。聞くことが難しい時代になっているだけに、こうした言葉の本当の意味を痛切に感じるこの頃です。

松下幸之助氏も言っています。
「話のよしあしは、その内容より、むしろ、聞く側の態度によって決まってくる。聞く側に大部分の責任があるともいえる」と

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