田島伸二 と ヒューマン・リテラシー

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zoom RSS 見える世界から見えない世界へーヒューマン・リテラシーの確立に向けて

<<   作成日時 : 2017/01/03 14:37   >>

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その昔、私は「びっくり星の伝説」”The Legend of Planet Surprise” という物語を書いたことがあります。この物語はアジア地域では既に20数言語に翻訳され各国で出版されているのですが、この物語の中で「人間という存在は「言葉と手」を異常に発達」させたために他の生物とは大きく異なり、非常にユニークな文明を築くことが可能となったことを主題にしました。そしてその中でも人間は「驚き」を文明の大きな関心として、特に「言葉」は人の目にも見えない世界や事物を 容易に描写し想像させることができ、人間の「手」はそれを実際に目に見える世界に具体化させることができたというものでした。そしてこの両者の見事な協力によって、他の動物とは全く異なって、人間は文明を大きく発達させたのですが、その使い方を大きく誤ったために人間の文明は何度も危機に瀕し、そして終には宇宙の彼方に消滅してしまったという物語です。


1998年5月、私はパキスタンのパンジャブ州の農村地域でノンフォーマル学校(青空教室)を200校設立する式典に出席した時、文部大臣の口から次のような祝辞を聞きました。「今日、我が国には10数人のカディール・ハーン博士のような素晴らしい核科学者が存在している。彼らの努力によって今日、我々は今日、素晴らしい科学技術を達成することができたが、識字教育とはこのような科学技術の発展にも大きく貢献するものである。識字学校がますます増えることによって、我が国の核開発もますます進展していくことを希望する。云々」 私はこれを聞き怒りが込み上げてきたのです。カディール・ハーン氏とはパキスタンの原爆開発の父とも言われる有名な科学者です。もし識字教育が「核開発」のような目的のために使われるものならば、その識字教育は完全に間違っているのではないか。」


そして、咄嗟に私はその為政者が発言した「識字」に関して、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついたのです。「リテラシー(識字)とは、人間の顔を持ち、豊かな人間性を有した哲学や方向性を持たなければならないのではないか。識字とはただ単に「読み書き計算ができるかどうかの技術能力」ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な人類の目的や内容をめざすものでなくてはならない。

人を不幸にし、人を殺す識字や知識がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そして現在もそれは続いていることか。文字によって表現される知識や技術は、人間のありかた全体に真摯なる責任をもたなければならない、識字とは人を生かし、争いをなくし、人間同士が信頼できる世界をつくるためにこそ存在しなければならない。」と考えたわけです。

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