<太陽の車>上村肇(かみむらはじめ)という社会思想家の語ったこと、生きたこと。

1960年から1980年にかけて、上村肇(かみむらはじめ)という社会運動家+社会思想家+文学者が活躍していた。かれは「創造的社会論」という新しいアイデアを掲げて、常に孤立奮闘しながらも、若者たちを暖かい眼差しで見つめて叱咤激励していた。彼は自らの生き方を通じて、激動の状況の中で人間を通して、人間や社会の彫刻を行っていたのだ。 あるとき私は、上村氏に、「あなたは創造という言葉をよく口にするが、あなたの言う創造とはなんのことですか?どのような行動をもって、人間は「創造」といえるのでしょうか?」と質問をしたことがある。すると彼は、すぐには私が満足する答えをくれなかった。彼は長い間沈黙していた。しかし後年、彼が自刃し、遺書となった彼の本のなかの文章に、「創造とは人の心のなかに灯をともすことである」と記しているのを見つけた。私はその言葉に大いに驚き、そしてその答えに心から満足した。そして彼の自死を深く悼んだ。 私はそれ以来、アジアや太平洋各国での教育の仕事に従事するとき、話の中で、彼の言葉をよく引用させていただく。創造とは、決して芸術世界や経済世界での限られた言葉ではなくして、今日の世界で最も必要な人間同士の関係を作りだす「人の心に灯をともす」本質的な行為を意味しているものだ。クリエィティブとは、「閉塞された人間関係を解放しながらあたかもキリストやブッダのように、人の心に火をともす行為を意味している。彼は言っている。 「・・・私は、自分がたとえどのような状況に追い込まれようと、自分の中…

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ヤンゴンのインヤー湖に生えていた大木の思い出

2005年頃、ミャンマーのヤンゴンでJICAの教育関係の専門家をしていたときには、いつも定宿はインヤーレイクホテル。このホテルは美しいインヤー湖畔にあり、近くにはヤンゴン大学やスーチさんの自宅などもあります。私が宿泊していたこのホテルの5階の中央の部屋は、なんと世界的な免疫学者として名高い多田富雄先生と全く同じ部屋でもあったようです。時は前後しますが、先生は当時、感染症対策でJICAの専門家としてミャンマーに長期出張されていたようです。 私がこの部屋に宿泊していた理由は、大好きだったホテルの中庭に生えている大木のためでーこれはミャンマー語でティット・ポープというそうですが、これは偶然、神保町の古本屋街で、多田富雄先生が書かれた「ビルマの烏の木」という本を新潮文庫で見つけ、その中にこの大木が書かれていたのですが、つまり全く同じ思いで私の部屋からその大木を熱っぽく見つめておられた多田富雄氏との不思議な巡り合わせを感じたものでした。 2015年再訪したとき、このホテルを訪ねたら、ホテル代はなんと5倍の値段に。当時は、40ドルぐらいだったのですが、今はなんと200ドル。早速、私はヤンゴン港のそばに小さな安ホテルを取りました。(笑)そこは大木は見えませんが、ヤンゴン川が見える景色の抜群だったところです。私はホテル選びではなににも増していつも眺望権を買ってしまうのです。(笑) https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/234…

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シャンティニケトンの岡倉天心とタゴール

2015年3月24日の日記より 40年前、私が住んでいたインドの西ベンガル州のロトンポリの砂漠状の荒野の辺りには、私の家とKPセンという老夫婦の2軒しかありませんでした。そのため時々、お隣のKPセンの家に遊びに行っていたのですが、KPセンは、ロビンドロナート・タゴールが作詞作曲した歌「ロビンドロ・ションギット」をよく歌って下さったものです。その歌は人生や自然について、実に深い意味をもった素晴らしいものでした。私もいくつかベンガル語で学んだことがありましたが、かれの歌はどうやらタゴール自身からの直伝のようでありました。 そうしたある日、KPセンの夫人が突然「わたしの父はオカクラから刀をもらったことがあります」と述べたのです。そのとき私は、笑いながら聞いていましたが、あとになってよく考えてみると、それは「オカクラ 岡倉ー岡倉覚三、つまり後の岡倉天心だった」ことがわかりました。当時、岡倉天心は、日本から横山大観、菱田春草などを引き連れてシャンティ二ケタンの地によくやってきていました。彼は「アジアは一つ」という理想を掲げて、ベンガルのタゴールたちと一緒に、新しい「美術運動」を起こそうとしていた1901-1902の頃です。一世紀も前のお話です。 そこで今回は、時間もあったので、KPセンの家を訪ねて、「日本刀を受け取ったというご夫人の父はいったい誰だったのか」詳しく調べてみることにしました。リキシャに乗って約15分でロトンポリに到着。そこでKPセンの家を尋ねたら、もうお二人とも亡くなら…

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なぜ福島原発の事故原因の究明を徹底して行わないのか日本?

なぜ日本国民は、福島原発の事故原因の究明を徹底して誠実に行わないのでしょうか? それとも再度、大地震によって事故原因を再確認したいのでしょうか?津波によって「電源を喪失した」という筋書きは、真っ赤なウソそのものです。 原発の配管は、とても複雑だそうです。そして40年の耐用年数をはるかに過ぎていて老朽化していたのですね。福島原発が地震で被災したとき、「配管が大きな音をたてて崩壊していき、それはそれは恐ろしい光景であった」とテレビ報道で原発作業員が話していましたが、2008年には当時の原子力保安院が、全国の原発の配管強度について、日立製作所が耐震強度計算を間違っていたと報告しているのです。 怖ろしい実態です。報告によれば、日立製作所は、実に1980年から28年間も耐震強度計算を間違え続けていたというもので、おそらく保安院は、2008年にその間違いを指摘し報告したのでしょうが、実際には日立にその補強や修繕を指示していたとは思えません。こうした詳細は早急な究明が求められるものです。 福島原発での1-4号炉の崩壊は、主要因として、津波で電源が失われたと言われていますが、現場の作業員の話では、「複雑な配管が大きな音をたてて崩壊した」ことを報告していますから、おそらく電源の喪失よりもこれらの配管が、崩壊して冷却機能が出来なくなったというのが真相でしょう。何千本もある配管が1本でも損傷すれば大事故になるのですから、つまり大きな地震がくれば、いつでも大惨事が起きるというわけです。 こ…

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私が学生時代に経験した精神世界

今は昔、私が学生時代に経験した精神世界 Q: あなた学生時代はどのように過ごされましたか? A: 私は学生時代の大学闘争に疲れたあるとき、中林という友人と一緒に、静岡県にある龍沢寺という禅寺に座禅を組みに行ったことがあります。中林は、早稲田の探検部に所属し、ジーパンをはき、下駄ばきで、おまけにギータ―を小脇に抱えていました。二人で参禅に訪れた時刻が夕方だったので、応対に出た若い僧侶は受付で「こんな夕方に、参禅にやってきていったいなんだと思っているのか?今日は受け付けできない。帰らっしゃい!三島の町で泊って出直してきなさい。金がなくばくれてやるが・・・」と横柄な口ぶりで答えました。そこで、友人とがっかりして帰ろうとしたとき、玄関先で声がしたのです。 「よしよし、座るのは寺でなくともよい!おう、よしよし、わがぼろ家に来て酒を飲め!」と60歳前後の不思議な人が現れたのです。そして朝まで彼の家で、一緒に酒を飲みながら話を聞いたのでした。彼は高村幸平氏。知る人ぞ知る存在で、氏の語る世界は人間の自然の世界から宇宙にまで及び、いちいち話しが驚くべき深い魂のこもった内容でした。その頃、政治や思想や哲学世界にさまざまな疑問をもっていましたが、そのすべてにある解決をもたらす出会いとなったのです。人との出会いとは不思議なものです。 私はその後、高村幸平さんには、この時の出会いだけではなく、人生の結び目、結び目でさまざまなことでお世話になりましたが、高村幸平さんは、常に「すべての存在を殺す…

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原発がどんなものか知ってほしい(全) 平井憲夫

平井憲夫 私は原発反対運動家ではありません。二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。 「安全」は机上の話 素人が造る原発 名ばかりの検査・検査官 いいかげんな原発の耐震設計 定期点検工事も素人が 放射能垂れ流しの海 内部被爆が一番怖い 普通の職場環境とは全く違う 「絶対安全」だと5時間の洗脳教育 だれが助けるのか びっくりした美浜原発細管破断事故! もんじゅの大事故 日本のプルトニウムがフランスの核兵器に? 日本には途中でやめる勇気がない 廃炉も解体も出来ない原発 「閉鎖」して、監視・管理 どうしようもない放射性廃棄物 住民の被曝と恐ろしい差別 私、子供生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。 原発がある限り、安心できない 筆者「平井憲夫さん」について: 1997年1月逝去。(福島原発事故14年前に逝去) 1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川…

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<大亀ガウディの海>ー中国の留学生による感想文

今日(2018年6月22日)は大学での講義の日でした。そこで今日は、「ヒューマン・リテラシーという、私自身がアジア地域の識字教育の中から作り出した「新しい教育哲学」とも云うべき話をしようと思いました。するとその時、中国からやってきた女子留学生が、先々週に彼女に貸した「大亀ガウデイの海」の本を読みました!」と言って本を返却しながら、感想文をくれたのです。 それは小さな絵本のように創られた感想文で、びっしりと日本語で書かれた文章には可愛らしい挿絵も入っていて、私はこのような心のこもった感想文に飛び上がって喜んだのです。今までこんなに美しい感想文などいただいたことはなかったからです。早速彼女の許しを得て、クラスのみんなの前で感想文を読み上げることにしました。みんなと早速シェアしたかったのです。読み進むにつれてその内容のなんという素晴らしさ、認識の高さ、美しさ、彼女の話し方は、まだたどたどしいように思えていましたが、彼女の書いた日本語は完璧です。すごいな!! しかも環境について、太平洋の生き物について、核環境について、物語について、これだけ深い考え方で、この物語を読んでくれていたことに深く感動したのです。「ああ、物語を書いていて良かった。」「教師をやっていて良かった」と思った今日は大変嬉しい日でした。次にご紹介します。 <大亀ガウディの海>ー中国の女子留学生による感想文 ******************** 「水族館で30年間暮らした大亀ガウディの大脱走物語。現代の海…

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寿(ことぶき)識字学校の大澤敏郎(おおさわとしろう)氏とヒューマン・リテラシーの思想

ちからにする寿識字学校  2006年5月12日第4470号 「このところ、夏日(なつび)があったり、強い風が吹き続けたり、地震も続いています。先週は、お休みでしたので、5月最初の識字です。連休中は、だいたいお天気もよく、どこかに出かけた人、休みなく仕事をした人、ゆっくりとからだを休ませた人など、それぞれに、いい時間だったことと思います。ぼくは、たまっていた(放置していた)あれこれのことを、すこし整理ができました。板を買ってきて、本棚も、ひとつ、つくることができました。部屋の中が、いくぶんすっきりとしました。(頭の中は相変わらずゴチャゴチャです)。 5月6日だけ、東京、渋谷の国連大学で開催されている、「国際識字文化センター(ICLC)主催の連続セミナー(全8回)の第1回に参加し、センター代表の田島伸二さんのお話と、タイにあるビルマからの難民(カレン族)キャンプでの図書館活動をしてきた渡辺有理子さんのお話を聴くことができました。アジア各地で、肌理(きめ)こまかで多様な実践活動をされている田島さんのお話、いつも敬服し、勉強になります。田島さんの最近の原稿”ヒューマン・リテラシーの理念とその活動について”(アジアウエーブ誌)をすこし引用します。途中からで、ほんのすこしで申しわけありません。 「・・・・そして、咄嗟に私は教育大臣が発言した識字に関し、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついた。「リテラシー(識字)教育とは哲学や方向性を持たなければならない。リテラシー(識字)…

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なぜインドは創作に適しているのか?

1975年頃、インドの西ベンガル州のシャンティ二ケトンに遊学していたときの思い出です。その地では、タゴールの学校(Visva-Bharati) の大学院哲学科には在籍してはいたものの、クラスにはほとんど関心もなく学校にはほとんど行きませんでした。興味がなかったのです。タゴールだけを祭りあげて、地元の少数民族のサンタル族の学生や文化を受け入れることもなく、学校の教育内容には期待したいものがなかったのです。 そこで私は、学校にはほとんど行かずに、文化の豊かな周辺の先住民族であるサンタル少数民族の人々の村を訪れたり、学校へ行けない子どもたちに’「砂漠の学校”」(粘土細工を作ったり、歌を歌ったり、英語を教えたり)しながら、夜には、タゴールが作詞した歌を歌って過ごしていたのです。のどかな時代でした。文化や自然の豊穣なベンガルの地で2年余り自由自在に生活していたのですから。幼いタゴールがベンガル語の韻の詩句を習い始めた時「ジョル・ポレ、パタ・ノレ(雨はぱらぱら、木の葉はざわざわ)」という自然から湧き出た美しい言葉に霊感を感じたのは有名な話ですが、私も毎日、ベンガルの激しく流れる雨雲の下で、子どもたちと一緒に遊びながら、楽しく過ごしていたのです。ジョル・ポレ、パタ・ノレ・・・・ そのロトンポリの地にあったおかしな形をした私の住居(画家キロン・シンハーの家)は、カルカッタ領事館に所属し、ベンガル語を学んでいた藤田日出男さんの紹介で住むことになったのですが、広い大地の素晴らしい景色のあるところでした…

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生命を殺すこと、生かすこと

ミャンマーのある教育大学で学長を務めた教育者が、あるとき10人ぐらいの現職の教師の前で話をしていた。「生きているものは、どんな生き物でも殺してはいけません。それが仏教の教えです。」と力説していた。 私は、そのとき大学で、ライフスキル(生活科)の科目でマラリアの撲滅などについて教えていたので、 「それでは、先生にお聞きしますが、もし恐ろしいマラリア蚊が襲ってきたらどうしますか?その蚊は殺しますか?殺しませんか?」と尋ねると、かれはすぐに「そのときは、蚊を手で振り払うだけです。生き物を殺してはいけません。」と右手で蚊を振り払うような仕草をした その答えに納得できなかった私は、「でも先生、そのマラリア蚊がとても恐ろしい蚊で、もしそれに刺されたら子どもたちがマラリアになることが予想されるときには先生は一体どうしますか?」と尋ねると、かれは微動だにせず 「今、言ったように生き物は殺してはいけません。振り払うだけです。」と、再び手で振り払う仕草をして答えたので、私はさらに「・・・でも先生、その蚊がですね。突然背後から襲ってきたらどうしますか。急に手で振り払えない時とか、あるいは先生が寝ているときに襲ってきた時とか?」と尋ねみたが、彼はかたくなな態度を決して崩さず、 「何度でも言うようですが、生き物は決して殺してはいけません。」と断言した。「・・・・そうですか・・・・」 私は答える時、不審そうな顔をしていたので、教育者はしばらく考えてこんだ後、こう言った。「しかし、もし私の孫娘が襲わ…

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お母さんのカマボコ

1980年の国際児童年を記念して、アジア・太平洋地域の15カ国から児童書の代表的なイラストレーターを東京に招聘して、ACCUでセミナーを開催したことがあった。いずれの参加者も個性は強く、実に楽しい方ばかりだった。英語のコミュニケーションはみんなうまくはなかったが、絵を通じての豊かなコミュニケーションは、実に愉快で有意義なセミナーであった。 初日のこと。数カ国の参加者と連れ立って昼食に一緒に行った時、人民服を着た中国から参加者のT氏──彼は国民的に著名な漫画家でもあるが、テーブルの上に並んだ食べ物を興味深そうに見つめながら「ちょっとお聞きします。日本の食べ物の中に、小さな板きれの上に乗っているおいしい食べ物があるそうですが、いったい何でしょうか?」と尋ねてきた。「小さな板切れに載った美味しい食べ物?」 私は一瞬とまどったが、板の上に載っている日本の食べ物?というのは「おそらくカマボコだろう」と思って、「ひょっとしてカマボコ?」と答えると、彼は破顔一笑、「そうです。そうです。カマボコです。思い出しました。」といかにもうれしそうに大声で答えた。そこで昼食後、私は早速近所のお惣菜屋さんを紹介した。彼はカマボコを何本も買った。 3週間のイラストレーターのセミナーも終わって、帰国準備をしているT氏を見送りにホテルに訪れると、氏は熱っぽい目つきでじっと私を見つめたあと、1通の手紙を差し出した。私は驚いた。「お礼を言うのなら、口で言えばいいのに・・・どうして手紙をくれるのか?」とも思いな…

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物事の本質的な批判ができない日本人、なぜ?

3.11以降、「日本ほど情報操作の上手な国はない」とドイツのテレビ局が驚いていました。私も痛感するのです。このたびのオリンピックの開催では、日本は「原発のコントロールには失敗しても、国民のコントロールには成功している」ように思えたのです。  なぜ日本ではいつもこのような結果になるのでしょう?これはおそらく国民に批判精神が定着していないからでしょうか。批判精神をもつ人間は日本では歓迎されません。忌み嫌われるのが普通です。それを一番必要としているマスコミの人間も、ゴマすりは知っていても、批判精神をきちんと身につけていません。しかし欧米では物事の真実を把握するには、旺盛な批判精神で、まず物事を叩いてみて、その真価を見極めていくが常識です。これは遠くギリシャの昔から行われてきた方法なのですが、不幸なことに日本にはこうした精神は導入されていませんし育ってもいませんし、学校教育でも、同化することは教えても批判することの重要さをを教えたりしません。教室では、みんなと同じ弁当をたべるのが最高の喜びなのです。 ひとりひとりの感覚や感性や環境は異なります。そして違いこそが価値があり、異なった考えこそが集まったとき、普遍的な思想を作りだしていくのです。今回のように、間違った情報(虚偽情報)を提供して、オリンピックの開催を勝ち取った日本は、これからいったいどうするのでしょうか?首相が虚言したように「原発問題はまるで存在しないかのように・・・あるいは本当に、「470億円をかけて凍土壁を作るなど汚染水総合…

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千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る

千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 2014年8月11日の朝、 ある瞬間、突然中国の唐時代の王 之渙の「鸛鵲楼に登る(かんじゃくろうにのぼる)という詩を思い出しました。そして思ったのです、「そうか、人生で歳を重ねるということは、さらに人生の高みへ登っていくことによって、これまでに見えなかったことや考えたことのなかった景色を見ることもできるようになる」ということか、と思えたのです。 漢詩には、もちろんいろいろの解釈があり一概に言えませんが、山登りでは、頂上へ向けて歩いているとき、高さによってさまざまな眺望が開けてきますよね・・・・この頃の仕事の中で痛感するのです。これまでわからなかったこと、見えなかったことなどが見えてくることの多いカンボジアでの滞在となりました。自分の顔に責任を持たねばならない歳になったのですね(笑) 今日は月曜日、8月11日、午前中は人に会ったり、午後からのワークショップやプレゼンに備えています。7点の新しい識字教材も準備できました。土曜日と日曜日も働いたので、ちょっときついですね。 鸛鵲楼に登る 白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る 千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 輝く夕日は 山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は、海に入ってもさらに流れる。千里の眺望を見はるかしたいと思い、さらに一階上の楼へと上っていく。 王 之渙の『唐詩選』 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 「鸛鵲楼(かんじゃく…

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雨の日のグンソー(軍曹)

広島県は中国山脈の山懐ー吉舎(きさ)での思い出である。私が中学生の時の話だから、もう何十年も前のことになる。1962年頃、私の在籍した私立中学校には屋内体育館がなかったので、雨天の体操の時間は、通常の教室での自由時間に振替えられた。振り替えの授業は楽しかった。自由になにを自習してもいい時間だったからだ。体操の担任教師の名前は「グンソー」といった。 それは彼がかって兵隊にいたとき、「軍曹」の階級にあったからだ。彼の本名を呼ぶ者は誰もいなかった。彼は体操の振り替え時間には決まって、戦争の体験談を生徒たちに話して聞かせた。だからいつの間にか、彼は「グンソー」という呼び名になってしまったのだが、彼は戦争での経験をまるで手柄話のように語った。彼は職業軍人であったのだ。 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1441611889188536

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90年前の9月、東京の路上は!

    90年前の9月、関東震災時に東京の路上が、多くの朝鮮人が虐殺された現場であったことはほとんど知られていません。しかし日本の本当の歴史を知らないと、とても日本人とは言えません。日本には、水では絶対に流せない凄惨な歴史があるのです。 九月、東京の路上で (IWJのインタビュー) http://www.youtube.com/watch?v=Q1qy3tyxF2o 90年前、東京の路上は、多くの朝鮮人が虐殺された現場となりましたが、これはアフリカのルワンダで、民族対立によってジェノサイド(大量虐殺)が行われたと同じで、関東大震災の時には、東京では、朝鮮人という特定の民族虐殺が流言飛語によって、官憲と民衆によって大規模に行われたのです。この背景には、1910年、日本が韓国を強制併合して朝鮮を植民地にした歴史的な背景がありました。 「日本人による朝鮮人、中国人への虐殺が発生した関東大震災。いつ、どこで、何が起きたのかを歴史資料からたどったノンフィクション「九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響」(ころから)が出版された。官憲までが流言を信じ、社会全体が暴走する様子が克明に描かれている。翻って現在、排他的な言説やデマが日常にあふれる。「こうした現状はいつか90年前の状況につながっていく。いま言わなければ、と思った」。フリーライターの加藤直樹さん(46)は著書に込めた思いをそう語る。  きっかけは昨年、東京・新大久保で目にした排外デモの光景だった。「朝鮮…

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踏まれたことのない人間には、踏まれた人の痛さはわからない。

  私は長年、アジア・太平洋地域で教育や文化活動に従事してきたので、幸か不幸か、いつも日本が行った過去の戦争にさまざまな国で遭遇してきました。最初は、フィリピン、それは、識字ワークショップで村落を訪れた帰りに立ち寄ったところは、山下奉文大将のお墓でした。マレーの虎と言われた勇猛な大将でシンガポールを攻略し、この地で戦犯として絞首刑になった日本の軍人です。 ワークショップの参加者には、マレーシア、中国、パプア・ニューギニア、インドネシア、インド、フィリピンなどからさまざまでした。そこで私は、山下大将の墓を前にして、日本人として重たい空気の中で、みんなに一言しゃべらざるを得なかったのです。「かって日本はアジアの国々に侵略して、多数の人々に、たとえようのない苦しみや損害を与えたことがありました。私は戦後の広島生まれですが、戦争について日本人として心から謝罪したいと思います。しかし今回は、私はこうやってみなさんと一緒に「識字教育」で、アジアのために働いているのは、とても幸せなことだと思っています。感謝します。」と述べると、みんなうなずきながら、心から聞いてくれました。 また数年前、中国の南京師範大学で開かれた「絵地図ワークショップ」に参加したときには、ワークショップの閉幕式で、南京市に住んでいる若い大学院生のキラキラ輝く瞳を前にして、どうしても「南京虐殺」についても一言しゃべらなければならない雰囲気を感じました。これは義務や責任というよりも、日本人の一人として、私自身の気持ちを端的に表…

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小さなヒューマニズムと大きなヒュ―マニズム

    ヒューマニズムの大きさには、いろいろあるそうだ。小さなものもあれば、大きなものも。しかしどのような大きさのヒューマニズムでも実践がついてなければ、それはただ単に壁に描いた餅(もち)に過ぎない。食べることができないからだ。ヒューマニズムになぜ大きさがあるのか、それはビジョンの大きさからくるのだろう。      大きなビジョンをもてば、それは大きなヒューマニズムとなり、小さなビジョンをもてば、それは小さなヒューマニズムとなる。それはまるで石垣を築くさまざまな石のようだ。しかし石垣は大きな石だけでは決して築けない。石垣には、中小のさまざまな大きさの石が、大きな石を支えあって初めて頑丈な石垣が築かれていく。そこには大きな石だけが重要という発想はない。   世の中のヒューマニズムのありようも、これと同じ、大きなヒューマニズムを支えているのは無数の中小のヒューマニズムによってである。しかしし実のところどの大きさでも本質的な意味や価値では全く同じである。小さな石がきちんと支えていないと、どんなに大きな石でもぐらぐらと揺れる。    現代社会で、視覚には入るのは、いつも大きなビジョンやヒュマニズムであるが、実は世の中には視覚に入らない、あるいは目にみえない多数のビジョンやヒューマニズムがさまざま存在している。そのさまざまな価値をどれだけ重大に実感できるかによって、実は人生や世界の重さが決まってくる。一頭のクジラであろうと、一人の人間であろうと、一匹のアリであろうと、生命の重さが同じ…

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カンボジアで、私はとても重要な発見と改善をしました。それは図書館の屋根にいくつも穴を開けたことです。(笑)

  かって私はミャンマーで、全国にある小学校の授業参観をしていたとき、ほとんどの教室が余りにも暗いことに気がつきました。日照りの時は問題はないのですが、少し曇り空にでもなると、たちまち教室は真っ暗闇、電気照明などは全くないので、ほとんど教科書など読めない環境なのです。そこで私は、「屋根に穴を開けて、太陽光を入れれば、きっと明るくなるのでは?」と提言したのですが、みんな「そんなことをしたら教室内が太陽光で、暑くなってやりきれません」と拒絶するのです。「そうかなー?」と思いながら、数年後、今度はカンボジアの新築図書館にて同じ状況に遭遇・・・昼間だというのに図書館内がとても暗いのです。 そこでカンボジアの建築家に相談したら、「確かに屋根に穴を開けると、採光は簡単ですね。それに屋根瓦を透明な強化プラスチックで作ればどんな風雨にも負けません」と断言したのです。「よし決まった!」そこで建築家の協力を得て、新築の図書館全部の屋根にいくつか穴をあけました。するとたちまち図書館は真昼のように明るくなったのです。しかもほとんど暑くなりません。子どもたちは大喜びーーー いつも電気の恩恵にある日本の小学校からはとても考えられないことですが・・・良かった!良かった! これを読んだ方、ぜひ途上国の小学校や公共の建物で試してみてください。大変喜ばれること請け合いです。(その後、ソーラも導入されました。)

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猿山のお猿さんが行った「平和憲法改正の話」

平和山の「美しい国」のお猿さんたちは、70年にもわたって平和な暮らしを楽しんでいました。温泉もあるし、美味しいお酒もふんだんにある、こんな美しい山は世界のどこにもありませんでした。・・・しかしお猿さんの中には、この平和に飽きた者やさらに強欲なお猿さんもいて、彼らはもっともっと美味しい猿酒や猿山の領土を拡大したいと考えていました。そして10山超えたところの猿山には、絶滅兵器がなによりも大好きな独裁者も住んでいました。 そこである日、美しい国の指導者は、絶対に触れてはならないと言われてきた「猿山の平和憲法」の大改正に乗り出したのです。そして国民を騙して、いつでも好きなときに戦争のできる「戦争憲法」へと大改正を提案したところ、国会ではみんな訳もわからずに大喜び。とうとう平和憲法は、「戦争憲法」に塗りかえられることになりました。   翌日から、今までに見たことのないような最新鋭の武器がたくさん造られ始めました。空にも地にも海にも、たくさんの新兵器のオンパレード。みんな誇らしさと勇ましさと満足感でいっぱいです。そしていつの間にか、平和山はすっかり戦争山へと変わっていきました。戦争に反対した猿は、みんな「凶暴罪」で捕まり、彼らの脳みそはすべて削除されてしまいました。 そしてとうとうある日、山を10山超えたところにある猿山と戦争することになりました。実はどちらの猿山も自分たちの力を思う存分試してみたかったのです。しかし次の朝早く、たくさんあった猿山は、一瞬にして1000山も消えてしまいま…

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ピミアナカス寺院の蛇の女神

この遺跡は、アンコールトム遺跡のそばに建っているピミアナカス寺院で、ここには不思議な伝説が伝わっています。この寺院には、九つの頭を持つ女の蛇が住んでおり、王様は夜な夜な寺院の最上階で、この蛇神と交わらなければならない、もし一日でも怠ると、王は死ぬという伝説が伝わっていたのです。そしてある日・・

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ドイツで執筆した物語をパキスタンで舞台化「孤独な狐ーコンキチ」

コンキチの創作を書き始めたのは 1974 年、もう 46年前になりますね。当時、遊学していたド イツのミュンヘンにあるアパートの6階で、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、 ふと思いついて書き始めた寓話です。そのとき私は26歳、毎日、バイエルン州立図書館に通 っていました。そして人生を限りなく夢想していたのです。 その頃は、春になって暖かくなったら、ドイツから汽車で出発し、トルコの黒海を船で渡り、シ ルクロード経由でインドのシャンティ二ケトンの大学へ遊学を始めようと考えていたときでしたが、降 り積もる雪を見ているうちに、私はふと生まれ育った広島の山間部にある故郷の三次を思い出して いたのです。故郷にも、同じように今は雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中 に一匹のキツネのイメージが浮かんできたのです。 「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れな い。そのキツネは、山の自然を破壊され、絶望感とともに、人間へのあこがれなど複雑な気持 ちを持って、人間に変身する―そして山を下り、会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キ ツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったのか? 人間は生涯をかけて生きるために懸命に働く仕事の意味はいったい何か、人生とは?生活と は?幸せとは?私自身の人生を重ね合わせながら、1篇の創作に10年もの歳月をかけて 「コンキチ」の物語を書き上げてみたのです。この物語が初めて刊行されてから37年…

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アジア・太平洋共同出版計画(ACP)と21世紀の課題

日本が国際的な牽引役を果たした「ユネスコ・アジア太平洋共同出版計画」は、1970年から30年近くにわたって、アジアの約20ヵ国が協力して子どものための共通読み物を製作したプロジェクトです。そこから生み出された「アジアの昔話」全6巻や『どこにいるかわかる?』など30点近くの児童書が、今でも子どもたちに親しまれています。アジア20か国でも同様で、今でもたくさん読まれています。私は1977年から1997年まで20年間、ユネスコ・アジア文化センター(ACCUで、このプロジェクトを担当しました。これほど感動し楽しかったことはありません!そして世界中の子どもたちや大人たちに貢献してきたことも・・・ このプログラムが、かってアジア地域に誕生していたことはまるで夢のようです。これは国境を超えて宗教の違いを超えて、共同で育んだアジアの子どもの本が、たくさんのこどもたちに熱狂的に読まれていたこと。アジアの国々で採話された昔話は、アジアの何十もの言葉で翻訳出版されて、その本から再びアジアの昔話の語りが始まったことー実に30年間にわたって続いたこのACCUのプログラムは、アジアだけでなく、全世界の図書開発にも大きな影響を与えました。 そもそもの始まりは1966年、ユネスコが世界図書年を記念して東京で開催した「アジア地域出版専門家会議」です。会議はアジア地域では出版活動が非常に低調で、特に児童書の不足が深刻、図書の甚だしい不足が教育振興や社会的・経済的な発達を極度に妨げていると指摘しました。しかしこれに…

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Minnie Voughtrin 南京事件が起きた時、金陵女子大学で女子大生たちを救ったヴォ―トリンという女性教師

<南京師範大学で絵地図ワークショップが開催された際、キャンパス内で出会ったヴォートリンの銅像: 2009年3月21日、南京師範大学の宿舎からキャンパスの中を歩いて、絵地図ワークショップの会場に向かっていたときに、キャンパスの一角の木立の下に、小さな銅像(上半分)が建てられているのを見かけました。 容貌からして欧米人のように見えたので、地元の出版社の編集長に「あの銅像はどういう方でしょうか?欧米人のように見えますが、この学校の設立者ですか?」と尋ねたところ、彼は「いえ、彼女は中国人です。学校の設立に関係した人でしょう」と言ったので、ああ、そうかと納得していました。 ところが後日、南京虐殺祈念館に行ったとき、南京師範大学(昔は金陵女子大学と言った)ヴォートリンという教師が虐殺を逃れた子どもや女性たちを金陵女子大学のキャンパスで保護していたという写真を見たのです。その写真を見ると、なんとなく銅像の顔と似ているのです。そして彼女は長年、金陵女子大学に奉職したと書いてあったので、 「もしかして宿舎の近くのキャンパスで見かけた銅像は、ヴォートリンではなかったか、銅像の顔は、中国人ではなくて欧米人の顔だったし・・・」と思って、もう一度銅像を確かめてみると確かにミニー・ヴォートリン"の銅像でした。 地元の出版社の人もこの銅像のことは知らなかったのです。 ************************ ミニー・ヴォートリン について: 南京の避難民たちに「ミニー…

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これまで創作出版された寓話(ぐうわ)について

これまでに私は、アジアの友人たちとさまざまな絵本や物語を創作してきましたが、それらの本は、すべて翻訳出版されて、アジアの子どもたちの手にわたっていきました。テーマは、すべてこの世界で「難しい課題」ばかりを取り上げました。そして動物を主人公にした寓話というスタイルで描いた哲学童話とも言えますね。そして2019年には中国が全部の物語を翻訳出版してくれました。どんなに嬉しかったことでしょう!アジア地域では、これまで30数言語で翻訳出版されています。今は「雲の物語」1000篇の執筆などに挑戦中ですが、しかし30年間で出版されたのはわずか30篇、未完成150篇、この調子だと遅々として900年以上かかりそうです。(笑)しかしアジアの国々ではインドを初めほとんどの国で翻訳出版されました。友人たちに感謝です! https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1429944450355280 インドで翻訳出版された哲学寓話 中国で翻訳出版された哲学寓話 イランで翻訳出版された哲学寓話

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「赤えんぴつと青鉛筆」ー南アジア平和絵本の共同出版

「赤えんぴつと青えんぴつ」ー南アジア平和絵本の共同出版 赤鉛筆と青鉛筆が、文房具店で売られていました。店頭に並べられていたとき、2本の鉛筆は、まだ見ぬ人生にそれぞれ幸せな夢を描いていました。  「これからどんな人生が始まるんだろうね?ぼくたちを買ってくれる人ってどんな人だろう?おたがい人生は違っても、いつか再会できると嬉しいね」と赤鉛筆が言いました。「もちろん」と青鉛筆が答えました。  次の日、赤鉛筆は勇敢な軍人に買われていきました。赤鉛筆は軍人の手に握られ、毎日戦争の計画を練っていました。綿密な作戦でたくさんの兵隊が山々に配置されたり、爆弾の落ちる場所へ赤い印をつけたりしました。軍人はとても忙しい毎日でした。そして赤鉛筆が大働きをしたあとは、いつでも決まってたくさんの人々が殺されたり傷ついたりしました。 そのたびに赤鉛筆は、大地がいつも若者の赤い血で染まっていくのを見て、いつも悲しんでいました。「ぼくの生み出す言葉や記号がこの戦争を作っている」 そうこうしているうちに、長かった赤鉛筆は、すっかり短くなってしまいました。 一方、青鉛筆は、ある日、小学校の女の先生に買われていきました。貧しいけれど親切な教師でした。教師の手に握られた青鉛筆はいつもたくさんの子どもたちの答案用紙に、青い文字を書き込みました。青鉛筆は、先生の気持ちを表現するのに夢中でした。子どもたちの夢や希望や戦争で亡くなった父親の子どもたちを励ます手紙を書くのに使われました。とても忙しい毎日でした。…

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「小学生の時、僕は」イジメられていた。

「小学生の時、僕は」という話をご紹介します。朝から涙ぐんでしまいました。(川原茂雄) 小学生の時僕はイジメられていた。 無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。 イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。 ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。 先生はなんでもいいんだよ。 遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。 けど僕はなかなか書く事ができなかった。 クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。 結果から言うと作文は書いた。 書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。 あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。 でもそれしか書けなかった。 作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。 先生はそのまま教室を後にした。 その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。 「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」 今日は作文の発表会の日。 先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。 「僕のお父さんは・・・」 「私のパパはよくおならをします。」 クラスの子たちのおも…

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子どもを生かす言葉、人間を生かす言葉、先生の一言(ひとこと)

子どもはたった一言で、立ち上がれないほど深く傷つくことがあります。それは大人も同様ですが、特に子どもの場合は、人生経験が少ないだけに言葉による損傷は大変甚大なのです。現代の子どもは、いかにも平気な顔のように見えますが、実は満身創痍、体には、無数の言葉の矢が突き刺さっていることがあります。大人からの信じられないような言葉、無慈悲な友人の言葉、がっかりさせる両親の言葉など、これまでに体験したことのないショックの言葉など、全身にまるで鉄砲の弾や矢のように、言葉が深くつき刺さっているのです。しかしこうやって人は成長していくのですが・・慣れという体験を余り持たなかったときには大変です。  周りから「死んでしまえ」と言われても 約80%の子どもは心の隅で笑い飛ばして自己防衛ができるのですが、約20%の子どもは自己防衛ができずに時と状況の中で「本当に死ぬ」ような局面に陥るのではないかと思います。子どもにとって、死は決して遠くにあるのではないようです。とくに子どもは、自分がどのように他人に見られているか、どのように他人に表現されているかを非常に気にしている存在で、それだけに自分の欠点や問題点を友だちに言いふらされたり、ネットに誹謗中傷を書き込まれ勝手に流布されたり、肉体的精神的に侮辱されたときには、子どもの思考や精神はだれであっても崩壊の危機に直面するのです。 特に子どもの場合、敏感な感覚が異常に損傷して、生涯にわたって心の深層に深い痛みを形成していくのです。人間はいつも自分のことを考えて…

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「学校を消したい」ー小学校6年生の叫びー銃弾のように非情な言葉はなぜ? 

群馬県で自殺した小学校の6年生の願い事: 「学校を消す」こと。 もしも透明人間であったなら: 「うらむ人にいままでやられたことをやりかえす」こと とカードに書いていたという。 「そんなことを言う子どもではなかっただけにショック」 とカードを読んだ母親は語ったという。 友だち関係で追い詰められ、孤立して死を選んだ12歳の女の子。 「お前は臭い。あっちへ行け」 容赦のない友だちの言葉が毎日、背中に突き刺きささってくる。それは母親がフィリピン人であったことからも始まっている。 人間という生物は、相手の弱点を見つけて、攻撃することがあるが、子どもはいつも大人社会のもつ裏返し クラスのみんなが、それぞれグループで給食を食べているときもたった一人で、給食をたべていた。 だれも声をかけない。だれも誘ってくれない。 さびしく冷たい給食の毎日・・・・・・ このような学校にだれが行きたいものか! だれがこのような給食を食べたいものか・・・・・ 担任教師はなにもしないし、なにも感じようともしない。教師は、本来、最も感受性の強い人がなるべきだが・・・そのような現実は、今の日本の小学校にはない。校長にいたると、どんな事実があっても、いじめの存在は認めようともしない。自らの進退に響くからだ。 日本の教室空間は、徹底して病んでいる。そのことを認めたくない現実が、子どもたちの世界を包んでいる。 その子は、小学3年の秋から1年間通っていた愛知県の学校の同級生あてに、 「…

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「大亀ガウディの海」の中で、太平洋を彷徨うクジラたちが叫んでいます。

今から40年前に執筆した「大亀ガウディの海」の中で、太平洋を彷徨うクジラたちが、このように叫んでいるのですが、いよいよこれが現実の言葉となってきました。 「わしたちクジラが、今泳いでいるのは、みんな「死の歌」を歌っているのさ、世界中の海は、毒薬の中を泳いでいるようなもの。どんなに逃げても逃げられない。人間は、それにしても地球環境や宇宙を取り返しのつかないところまで汚しまくったね。地球に生命が芽生えて以来、わしらクジラほど大きな体を持った、優しくて利口な生き物はいなかった。しかし、今、人間文明によって、わしらクジラは「死の絶壁」に追い詰められている。人間たちは知らないんだね。他の生物が死んだら、生き物連鎖で、死が人間たちを襲ってくることを・・・・」 などなど物語でこのようなことを呟きました。しかし今の世界はこうした現実をはるかに通り越しています。 写真はイギリス・ドイツ・フランスなどの海岸に打ち上げられた死んだクジラ。ニュージーランドでは、300頭が打ち上げられています。 http://www.mirror.co.uk/news/uk-news/macabre-scene-dead-sperm-whale-7323552

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アフガニスタンの学生たちに読まれた「青い空の下で」

アフガニスタンの学生たちに読まれた「青い空の下で」 昨年、とても嬉しかったこと、その一つはアフガニスタンのカブール大学の学生たちから、「雲の物語」に関してたくさんの読後感想を送ってもらったことです。それは15年前、パキスタンで出会った難民家族の中の一少女が、20年後にカブール大学の教授になって活躍していたことを偶然FBで知ったことです。FBってすごいですね。そして彼女の方から連絡があって、劇的な対面をFBで行ったのです。 そして彼女の依頼で、当時書いていた10篇の物語(地雷で足を切断した男の子の再起の物語など)を英語版でメールで送ったところ、それは、すぐに彼女が教えている多数の学生たちに配布され、それからすぐに学生たちの感想文が多数送られてきたのです。それはさまざまな読後感想とともに、アフガニスタンでの激しい戦闘の事、国の行く末のこと、自分自身の生き方などさまざまなことが多数綴られていました。その必死な思いや体験の感想文を読むたびに泣けてきます。「戦争を一刻も早く終わらせたい」こうした感想文を受けとることができる私自身、人生冥利につきます。 Under a Clear Blue Sky 「青空の下で」 Cloud rolled in from somewhere and began to speak. ‘A few years ago I was floating lazily in the sky above Afghanistan. Mountains j…

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なぜ「敗戦」を「終戦」と言い換えたか造語・捏造大国ー日本?!

         ドイツのテレビ番組が日本の原発事故における政府広報を揶揄して「国民をコントロールするのが非常に巧い」と述べていたが、これは確かにそうである。政府は、国民を徹底して管理する体制技術には非常に長けていて、批判や不満の目はいち早く切り取るのに余念がない。教育の現場でも同じように生徒たちの批判の目はすぐに摘み取られ多様な形でのガス抜きが行われる。 そのためには言葉の言い回しや言い方を非常に巧にしたり、言葉自身を批判されないようにいろいろ苦心して造語する。そのため「その言い方はなんだ?」と内容よりも言い方を批判することが往々にしてある。それは国民性というよりも、マスコミや官僚体制の中からほとんどが生み出される。多くの学者もこのことを全く理解していない。 2012年8月、興味深いNHKテレビの番組放映があった。それは「終戦ーなぜ早く決められなかったのか」という番組で、終戦にあたって態度を決し切れない政府の優柔不断の対応が映しだされていた。その対応の結果、数十万人を超える戦争の犠牲者が続出した。そのなかで、「終戦」という言葉に関して、「終戦」という言葉は「僕が考えた言葉だ」という一官僚の発言が気になった。 彼の氏名は外務省政務局長の安東義良氏で、かれは終戦という名称の造語について秘話を明かした。 「・・・・・言葉の遊戯ではあるけれど、降伏という代わりに終戦という字を使ってね。あれは僕が考えた。終戦終戦で押通した。降伏といえば軍部をえらく刺激するし、日本国民でも相当反響が…

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絵地図で行った「ラオスの未来」について

絵地図で行った「絵地図ワークショプ」を体験した子どもたちは、異口同音に「嬉しかった!楽しかった!また参加したい!」と言います。私は、たった一日で子どもたちが「進化した」と感じました。進化とは時間の長さではなく、短時間でも凝縮した宇宙を感じられるかどうかなのですから・・・・こどもたちは、大人以上に深く感じ考えているのです。この表情の中には、大人以上に成熟した普遍的な考えが存在しているのです。  2013年8月18日 ーラオスにて https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1840541402628914&set=a.456985940984474&type=3&theater

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「非識字者」から「未識字者」への呼称変更について (お願い)

従来から日本では、文字の読み書きのできない人々を「非識字者」と呼んでいますが、私はこの呼称は余り気持ちのいいものではないと思っています。非ということばがもたらす区別への冷たさから感じるのです。 「識字者」に非とつけることは、人と人とを冷たく区別させ全く別な世界に住んでいる人のように感じさせるからです。だれだって、読み書き努力をすれば、すぐに読めるようになるのですから・・・・日本では、昔は文字の読み書きのできぬ人々を「文盲」(もんもう)と呼んで差別してきました。私は文字の読み書きのできぬ人々は、<”未だ識字者ではない”>という意味で「未識字者」と呼ぶのがふさわしいのではと思っています。つまりこれから文字を学ぼうとする人々たちのことです。みんな努力したら識字者になれる存在なのですから、かれらを心から激励しましょう。 あなただって、日本語の他にどれだけ他の言語の読み書きができますか?はい。そうです。あなたも他の言語では、未識字者ですね。ふさわしくない学問用語は、勇気をもってどんどん変えていきたいものです。日本には時代や目的にふさわしくない用語が余りにもたくさん残存しています。日本の歴史では、同和問題において、差別された人々のことを非人(ひにん)といって差別してきた時代もありましたが、現在はこのようなことばは、使用が禁じられており、全く使われてはおりません。同じ人間存在を、このような言葉「非」の言葉によって厳しく区別する人権の侵害を深刻に認識したからでしょう。また未就学とは言いますが、非就…

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カンボジアでロケットストーブを制作した大田隆司氏

     2015年8月17日、広島県三次市からボランティアとして、カンボジアでの識字教育の現場へ応援に駆けつけた大田隆司氏(元小学校教頭)は、カンボジア農村の人々に新式のカマドを製作する協力活動を行いました。それは現在、世界中で話題になっているロケットカマドと呼ばれるもので、わずかの燃料でまるでロケットが火を噴くような火力をもつ新式カマドです。 大田氏は、わずか2時間足らずで農村の人々の前で、カマドを実際に作り上げて、並み居る人々はみんな拍手大喝さい。これは従来のカマドに比べて燃料は三分の一で済み、火力はロケットの炎のように非常に強く、しかもこのカマドづくりは誰にでも簡単にできます。これはカンボジアだけでなく、これからのアジアや世界の国々の台所やエネルギー事情を一変しそうです。途上国の森林伐採にも大きな影響を与えそうです。 大田氏はまた、これまでの広島での広範な農業体験を基に、炭焼き窯から木酢(もくさく)という「人体に害のない農薬」を作りだすことも行いました。次に詳しくご紹介しますね。識字教育と生活改善が、最も効果的に結びついた瞬間でした。こうした生活改善の現場で、村人が驚異を体験すると、識字教育の意味が実感できていくのです。知識や技術は、生活や人生を変えるのですから・・・ 2017年現在、このカマドは、このカマドに感動した熱心なお産婆さんによって広がりを見せています。 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts…

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イスラマバードの国立盲学校で、子どもたちの紙すきを行ったことの意味

      なんでも先入観で決めつけるのはよくないですね。私はかってパキスタンのイスラマバードにある国立盲学校の校長先生から、紙すきの研修依頼をうけたとき、「紙すきは、たくさんある紙漉きの工程を視覚で確認しながら仕事を進めていきますから、実際無理ではないでしょうか」とアドバイスしたのですが、実際には全くそうではありませんでした。私が教えた青年海外協力隊の一人の若者によって、紙漉き技術は盲学校に確実に伝わって残っていったのです。そして8年後、私が再訪したとき、その盲学校で「生徒たちが、喜び勇んで」紙作りにいそしんでいる風景を見たのです。視覚的にいかに障害があっても、結局、彼らの「指先」が紙漉きのすべてを視ていたのでした。 また知的障害をもつ子どもたちの学校長からも依頼を受けて、直接研修を行ったところ、その学校では、その後、なんとも楽しい手作りペーパーがたくさん完成しました。それにみんなが思い思いの絵を描いて、絵ハガキとしてバザーで販売したところ、父兄も関係者も喜び大変な人気だったそうです。 そしてその売上金が生徒たちに還元されたところ、生徒たちは熱狂したそうです。「ぼくの作ったものをみんなが喜んで使っている。みんなが買ってくれたぼくのハンドペーパー。ぼくって役立つな人間なんだ。」子どもたちはそう言ったそうです。 紙作りとは不思議な体験ですね。人間にとって「紙づくり」とは、まるで「神づくり」の感覚のようです。イスラマバードで学んだことです。 https://www.fac…

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人生で一番忙しかった頃、どんなことをやっていたのか?そしてその結果起きたこと。

人生で一番忙しかった頃、どんなことをやっていたのか?そしてその結果起きたこと。(首が回らなくなったこと) 今年(2015年)も、忙しい日々が続いていますが、それでもまだまだ首が回ります(笑)。その昔、私がユネスコ(ACCU)で仕事をしていた1990年の国際識字年の当時、人生で一番忙しかった時期ですね。識字絵本の国際共同編集・刊行、タイのジョムチャンで開催された150か国参加の世界教育会議への参加、アメリカで開催されたIBBY世界会議でのプレゼン、ドイツのフランクフルト・ブックフェアーで「アジア地域の出版」に関しての講演などに加えて、ACCUのアジア地域識字ワークショップ開催で、タイのパタヤ近くの海岸地域の村へ行ったことがあります。そして国際識字年を記念した読売新聞の特集が始まったので、外報部に招かれて、本社で講演を行ったこともありました。こうしたことがすべて同時進行していたのです。もちろん私のACCUの仲間たちと一緒に無我夢中で働いていたのです。忘れられない1990年。 そのとき、アジア16か国から識字専門家をタイのパタヤへ招請して、「アジアの女性のための識字教材製作の研修ワークショップ」も行っていたのですが、期間は2週間、と同時に、ユネスコ本部の依頼で「アジアの女性のための識字教材」のビデオ撮影も映画監督に協力して同時進行していました。ところがある日、あるスタッフの杜撰な資金管理によって、持参したワークショップの経費を全部を盗まれるという事件が起きました。なんと彼は鍵もかけず…

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<バスの中で言葉の暴力を喰らった>

「バスの中での言葉の暴力ー世の中捨てたもんじゃあない!」 2013/09/2 に、このような感動的なFB記事が載っていました。   10歳の息子がある病気を持っており、車いす生活で、さらに投薬の副作用もあり一見ダルマのような体型。知能レベルは年齢平均のため、尚更何かと辛い思いをしてきている。 本日、通院日でバスに乗ったとき、いつも通り車いすの席を運転手が声かけして空けてくれたんだが、どうやらそれで立たされた人がムカついたらしく、ひどい言葉の暴力を喰らった。 ・ぶくぶく醜い ・何で税金泥棒のために立たされなきゃならないの ・補助金で贅沢してるくせに ・役に立たないのになんで生かしておくかなあ? それもこちらに言ってくるのではなく、雑談のように数人でこそこそ。それがまだ小さい子連れの母親のグループだった。 息子が気付いて「お母さん降りようか?」と言ってくれたんだが、実は耳が聞こえにくいため、声が大きく発音が不明瞭な息子に今度は普通の声で「きも!」と言われたよ。あまりのことに切れて「何か息子の件でご迷惑でも?」と言ったら、笑いながら「何か?だってwwうけるwww」と嘲笑された。 さらに「うちは娘だから、あんなのに目付けられたくない」「アタマがないからレ●プされても泣き寝入りだもんね~」とも言われた。さすがにもう降りようとしたら、運転手さんがバス停に止まって 「えー、奥さん、ここで降りてください」と言われる始末。 『あーもーいいや、苦情だけ入れて二…

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<歴史の授業>僕の先生は軍曹だった。

広島県の山懐にある小さな町での思い出である。私が中学生の時の話だったから、何十年も前のことになる。その頃、私の在籍した中学校には屋内体育館がなかったので、雨天の体操の時間には通常の教室での自由時間に振替えられた。振り替えの授業は楽しかった。なにを勉強してもいい自由時間だったからだ。体操の担任教師の名前は「グンソー」といった。 それは彼が兵隊にいたとき、「軍曹」の階級にあったからだ。彼の本名を呼ぶ者は誰もいなかった。彼は体操の振り替え時間には決まって、戦争の体験談を生徒たちに話して聞かせた。だからいつの間にか、彼は「グンソー」という呼び名になってしまったのだが、彼は戦争での経験をまるで手柄話のように語った。 グンソーの話から、戦争の真実を生徒たちに伝えたい思いもあるようには見えたが、それよりも、好奇心が強く血気盛んな中学校2年生ぐらいの男子生徒たちに、自分が戦争の中でいかに勇ましかったかをおもしろく話したかったように思えた。今になってみると彼は戦争の話をしながらも、いろいろのことを生徒たちに伝えたかったのかも知れない。しかし彼が亡くなってしまった今となってはよくわからない。彼が話したのは、平和を作る話よりも戦争をする話の方がはるかに多かった。戦争そのものについてであった。グンソーは肌黒く、みるからに目玉も大きくいかつい顔をしていたので、生徒たちは、彼がいったいどのように勇ましい戦争をやってきたか、興味はつきなかった。僕たち中学生は夢中になって耳を傾けた。・・・・・ ー今日は…

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私がカンボジアの農村で作った泥と煉瓦のカマド

私がカンボジアの農村で作った泥と煉瓦のカマド: 2014年 カンボジアの村の産婆さんが、一番熱心に新式カマドを普及させました。これは第一号です。村人の多くの家には、カマドらしいカマドはありません。石で造られた簡単なものですから、効率が極端に悪いのです。カマドは生活の中心です。 私の識字教育では、徹頭徹尾、具体的な「生活改善」や自分の「人生目的」を通じて、生きる喜びや幸せなどを自分の内面から作り出していくことを最大の目的としています。識字教育が、パウロ・フレイレのような文字文化を通じての政治的な意識化や人権意識など社会を強く意図して目的的に始めるのではなく、徹底的に人々の「生活」と「人生」の充実や改善から始めることを目的としたものです。 もちろん識字教育の最終目的は、人間の意識化や文化創造や人権意識の獲得などにも大きく合流しますが、識字教育の具体的な端緒としては、自分の人生や生活を視覚化を通じて具体的に豊かにしていくことを実感しながら実践していきます。文字文化を政治的、抽象的に考えたり表現したりはしません。そのためカンボジアの農村で、最初に行ったことは、それぞれの個人の家の台所改善でした。これは女性がいつも台所で食生活のため「火」や「燃料」に苦しんでいることを知っていたからです。そこで、女性対象に、新式の効率的なカマドを作ったところ、これは1年足らずでこの地域に爆発的に広がっていきました。 効率的なカマドですから、燃料費もかからなくてすみ、女性が料理にかける時間も大幅…

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韓国のマスメディアで広く紹介された“大亀ガウディの海”

韓国のマスメディアで広く紹介された“大亀ガウディの海” ◆環境童話の最高峰 奇抜な想像力,ユーモアと冷笑の絶妙の配置、才気煥発した文体の中に染みている悲しさ、水族館を脱出した大海亀ガウディは警告する。「自然を、自然を!そのままに私たちに帰してくれ!」この本は環境破壊が人間の生存を脅威するほど深刻になった現在、子供と一緒に環境問題を悩み考えようと執筆された作品だ。アジアの文化交流や環境活動を推進しながら哲学的な童話作家田島伸二氏が物語を書き、韓国の南怡島(ナミソム)を生態公園として再生し、環境愛を実践している芸術家の康禹鉉(カンウーヒョン)がイラストを描いた。環境問題はいまや深刻な生存問題になっている。人間が汚した自然が、人間の生を破壊し始めている。 地球上では今も、無数の生物たちが人間の利己心のために苦しんでいる。その苦痛は数十倍にもなって人間に帰ってきている。自然を破壊するのも人間だが、自然を利用しその恩恵を一番多く享受しているのも人間だからだ。 この本はまさしくその環境問題の深刻性を、多くの動物たちの声を通して表現している。動物たちが話してはいるが決して軽くはなく、重たい主題を明確に伝えるが決して退屈ではない。手に汗を握るような水族館脱出作戦や海中で展開される奇想天外な事件、自然破壊で苦しむ動物たちの悽絶な光景、ガウディが海で繰り広げる冒険談が人間の無分別な自然破壊に対する厳重な警告につながっているこの作品は独自の想像力とウィットあふれる文体で、読めば読むほど楽…

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A.ラマチャンドランがイラストを描いた「大亀ガウディの海」

インドには宇宙が壊れそうになったとき、神さまが亀になって宇宙を支えたという神話があります。」 来日したインドの画家、A.ラマチャンドランは、新聞記者の質問に答えた。 「あなたは「大亀ガウディの海」という絵本を描いていますね。その中で「亀」の存在を、自然環境との共存のしかたの中ですばらしい視覚表現をされていますが・・・・。」  「・・・・インド人にとって、亀の存在はとても重要な生き物です。聖なる存在とも言えるものです。インドの三大神のひとつに「ビシュヌ」という神様がいますが、「ビシュヌ」は、宇宙が壊れそうになったときに亀の形になって、宇宙を下から支えたという神話があるのです。ですから、「大亀ガウディの海」の絵本は、特別の思いで描いたものです。「この物語の作者は、同じ考えを有している友人の田島伸二さんで、彼の原稿を読んだ時、彼が何を伝えたいか、すぐにわかりました。これは他人が書いたお話に絵をつけた唯一の作品です。 また「核時代」という絵は、インドが初めて核実験を行った時に、大きな衝撃を受けて一気に描いた作品です。ヒロシマやナガサキのこともよく知っていたので、インドの核実験には本当に心を痛めて、憤りました。画家や芸術家のだれもが平和を強く求めています。そのために何ができるかを考える使命があると考えています。」 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1834548829894838

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カシミールでの平和を祈って共同製作された4冊の絵本が完成!

      インドとパキスタンの平和を願って始まった「南アジアの平和絵本共同出版プロジェクトー(カシミール絵本)と称する」が、1998年から13年かかって2011年に完成しました。完成した絵本は、2011年からすでにインドやパキスタンで幅広く読まれています。内容は印パ双方の作家や画家が共同で執筆・共同編集したものです。この写真は、5か国が参加した2001年の第1回企画編集会議(東京)、2004年第2回南西アジア編集会議(ネパール)です。夢見ていたプロジェクトだけど、とうとうヤッタネ! Tim Hoffman International lineup spearheading the 'Picture Book for Indo-Pak Peace Project' of International Center for Literacy & Culture ICLC. Seated (L to R) - TAJIMA Shinji/Japan, LYU Honju/China, Atiq Ul RAHMAN/ Pakistan, Dr Varsha DAS/India, Tim HOFFMAN/USA - backed by a row of fervent supporters from Japan, hosted 3 Mar 2001 in Fairmont Hotel, Tokyo. https://iclc2008.hatenadiary.org/entry/201112…

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歴史遺産から事実を通して学ぶ韓国の子どもたち・学生たち

2016年8月7日、韓国の「西大門刑務所歴史館」の見学を行いました。この刑務所は、戦前には、日本の植民地支配に抵抗する柳寛順(ユ・グァンスン)など多数を投獄し、戦後は韓国の民主化に抵抗する人々をたくさん投獄していたのだそうです。私が最も驚いたのは、たくさんの子どもたちや学生たちが熱心に見学し学んでいるその真摯な姿勢でした。こうした負の歴史遺産から事実を通して学ぶことは、次世代を確実に作っていくのだと痛切に感じましたね。 今回の私たち一行の韓国側責任者の一人は、1977年から2年間にわたって、この刑務所に入獄されていたと笑いながら話してくれました。彼は大学で民主化闘争のリーダーでもあったので投獄され、裁判闘争を行った結果、最後には勝利を収めたのだそうです。鉄格子の向こうに本物の大きな笑い顔が見えました。 そういえば、私たちの宿舎であった南山の山麓にある「国際ユースホステル」は、なんと、かっては韓国CIAの本部だったのだそうです。その頃、南山に行ってくると言うと特別の意味があったのだそうです。大きな変化を生き抜いてきた韓国ー景福宮の大通りでは今、韓国セウォル号沈没事件の遺族たちが、真実を求めて抗議活動を続けていました。 https://www.facebook.com/shinji.tajima.129/posts/1414268765256182 この監獄に囚われて2年間、釈放されたとき、経済的にも困窮を究めたので、キリスト教の団体からの支援を受け、それがきっかけでク…

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アンコールの森の中で伝統的な絹織物を蘇らせた森本さん

2014年8月11日 の今朝は、カンボジアのシェムリアップのアンコールの森の中で、とても感動的な人とお会いすることができました。人生で素晴らしい人に出会うのは、人生の大きな喜びです。森本喜久男さんは、アンコールの森の中に、千年たっても輝きつづけるカンボジアの伝統的な絹織物を現代に蘇らせた京都出身の染色家です。容貌はまるで僧侶のようですね。自然と村人とともに生きてこられ、とても穏やかな方でした。森と街の中に500人規模の工房を運営されながら、世界一と言われる最高品質の絹織物を多くの村人と一緒に「伝統の森」の中で作っておられました。これらは、すべてカンボジアに古来から伝統的に存在していた技術です。戦争で多くの貴重な技術が失われたので、まるでジグソーパズルを完成させるように、人や技術などを再結集して、ジグソーパズルを完成させ「伝統の森」を現代に蘇らせました。私は30年前、タイでお会いしたことがあって、旧交を温める出会いとなりました。(2017年7月3日死去)

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カンボジアにて鸛鵲楼(かんじゃくろう)に登る

千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 2014年8月11日の今朝、 ある瞬間に、急に中国の唐時代の王 之渙の「鸛鵲楼に登る(かんじゃくろうにのぼる)という詩を思い出しました。そして思ったのです、「そうか、人生で歳を重ねるということは、さらに人生の高みへ登っていくことによって、これまでに見えたことや考えたことのない景色を見ることもできるようになる」ということか、と思えたのです。漢詩には、もちろんいろいろの解釈があり一概に言えませんが、山登りでは、頂上へ向けて歩いているとき、高さによってさまざまな眺望が開けてくる・・・・この頃の仕事の中で痛感するのだ。これまでわからなかったことや、見えなかったことが見えてくることの多いカンボジアでの滞在となりました。自分の顔に責任を持たねばならない歳になったのですね(笑) 今日は月曜日、8月11日、午前中は人に会ったり、午後からのワークショップやプレゼンに備えています。7点の新しい識字教材も準備できました。土曜日日曜日も働いたので、ちょっときついですね。 鸛鵲楼に登る 白日山に依りて尽き 黄河海に入りて流る 千里の目を窮めんと欲して 更に一層の楼に上る 輝く夕日は 山の稜線にもたれかかるようにして沈み、黄河は、海に入ってもさらに流れる。千里の眺望を見はるかしたいと思い、さらに一階上の楼へと上っていく。 王 之渙の『唐詩選』 「登鸛鵲楼(かんじゃくろうにのぼる) 」 「鸛鵲楼(かんじゃくろう)」:蒲州…

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パチンコ・アテネのソクラテス

東横線の自由が丘の駅前に小さなパチンコ店があった。今もそれがあるかどうかはよく知らないが、とにかくそのパチンコ店の名称は、アテネといった。パチンコーアテネ・・・・私はその名称がひどく気にいった。  ある雨の日、ふと覗いてみたら、客が少なかったので入ってみた。パチンコ店は、通常繁盛しているところや混み入っているところほど客の入りはいい。たくさん客がいないと、この店は当たりが少ないのではと敬遠される。私は、この日は当たり外れはどうでもよかった。とにかく気がむしゃくしゃして、丸い玉を転がしたかっただけだ。 ところが、びっくりしたのは、私の隣の台にどこかで見かけたような風貌。彼は日本人ではない。外国人の顔。ええと待てよ。この顔はどこかで見たようなことがある。そう言えば、彼はギリシャの哲人ソクラテスと同じような風貌をした老人・・・・しかし、なぜそのような男がパチンコ台に向かって、真剣な対話でもするかのように、玉をうっている。一心不乱。ハハハハハハハハ・・馬鹿も休み休み言え!なぜソクラテスが自由が丘のパチンコ屋に現れる・・・・とは思っては見たものの、横顔は正真正銘のソクラテスに見える」 しかし私がソクラテスを知っていると言っても、それは高校時代に美術部に属し、石膏で作られたソクラテス像をデッサンしたに過ぎないものだから疑わしい。だが、その男はまるでタイムカプセルから抜け出してきたようだ?鼻といい目元といい。いいや、待てよ、路上生活者とも言えなくもない・・・・ときどき新宿界隈で見かけ…

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元安川の清流を見つめる修学旅行生

広島の原爆ドームの前を流れる元安川の清流を見つめる修学旅行生たちー原爆が投下された直後は、無数の人々が焦熱地獄から逃れようと元安川へ飛び込んで溺れ死んだ。1945年8月6日

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