言葉を伝承するということー人間の謙遜について

1994年に死去された森滝市郎氏(広島大学名誉教授)は世界的に知られた著名な平和運動家でああった。彼は冷戦時代、米ソの核実験や戦争に抗議して、広島平和公園で座り込ながら、自らの被爆体験を語り、核廃絶のために全力を尽くされた生き方は、被爆都市ヒロシマの象徴でもあり、広島市民の誇りでもあった。
 
あるとき私は、森滝市郎さんの講演を、友人の碓井真行氏(光明寺の住職で、独特の世界を表現する魂の画家)の広島光明寺で聞くことがあった。森滝さんの話は実に生々しく、広島高等師範学校(現広島大学)教授として、三菱重工・江波造船所に動員されていた折に被爆する(44歳)。爆心地からは4キロ離れていたが、右目に窓ガラスの破片が突き刺さり失明。こうした被爆体験などを語られながら、人間の教訓として得たものー「人間ほど愚かな存在はいない。馬鹿と言ってもこれほど馬鹿な存在はいない。核と人類の共存は絶対に出来ないものだ」と話をされ、私は大きな感銘を受けた。そこで講演会のあと、「先生!すごかったです。素晴らしいお話し、とても感動しました。」と感謝すると、森滝さんは、私の方をじっと見たあと、「・・・・・・私がすごいんじゃあないよ。あんたの耳がすごいんだよ。」と謙遜され答えられたのであった。

それを聞いて私は「あんたの耳がすごい」と指摘されたことに思わず嬉しくなった。誉めたつもりだったのに、誉められたのだ。これは悪い気持ちはしない。でもよく考えてみると、森滝さんは「わたしのつまらない話でも、そのように ”すごい”と 聞くことができるのは、あなたが持っている耳(問題意識)がすごいんだよ。」と謙遜的に答えながらも、若者を激励されるその姿勢に感動したのだった。なるほど、考えてみれば、だれかの話を10人が聞いたとしても、全員みな異なった印象や異なった感動を受ける。みんなそれぞれの問題や興味の持ち方が異なるからだ。おそらくキリストがしゃべった言葉や、仏陀がしゃべった言葉でも同じことであったろう。そのため、聞く耳によって、すべて違う解釈が歴史の中で生まれてきているのだから。とにかくこのときの体験から、「なるほど森滝さんは、受け方ひとつでも違うなあ。素晴らしい。」と改めて感動したものであった。

そこで、それからというもの、私も講演を依頼されたとき、講演終了後によく同じような、聴衆者から賛辞をいただくことがあった。そこで、森滝さんから学んだ言葉を使わせていただくことにして、「いいえ、私の話が素晴らしいのではありません。あなたの耳が素晴らしいのですよ。」と・・・・・・・(笑)。 こうやってこれまで、たびたびこの効果的な謙遜の言葉を真似して使わせていただいたが、そのうち私はハッと気がついた。

「もしかしたら森滝さんも、この言葉を、自分で生み出されたというよりも、どなたかが使われた言葉を使用されていたのかも?・・・・その方から伝承されたのでは?」 と考えるに至った。「そうだ!それに違いない!・・・・恐らくこの謙遜の言葉の話は、ひょっとしたら、森滝さんが生み出されたのかも知れないが、それにしても恐らく誰かから誰かへと、長い間伝承されてきたのかもしれない」」とも思った。そうだ。・・・人が感動したことは、なんでも人の心の中に積もり積もっていく。そしていつしか、その感動の積もりの中から、自分の言葉を生み出して、使い始める。口から出る言葉を、耳から受け取る・・・・人間の基本的なコミュニケーション

そう!おそらく人間は、長い間、そうやって何千年、何万年も「言葉」や「こころ」を伝承してきたに違いない。

ほんとに簡単な謙遜の言葉、魔法的な言葉ー「わたしの話がすごいのではない。あなたの耳がすごいんだよ。」
これは、人類が対話を始め頃に生み出した知恵かもしれませんね。聞くことが難しい時代になっているだけに、こうしたことを余計に感じるこの頃です。 こういうことを考えさせて下さった、森滝先生、ありがとうございました。







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