政治と教育の矛盾と葛藤-イランとパキスタンのケース(対談)

パキスタンの地主制

桜井 イランの場合は革命のイデオロギーを浸透させるためということで非常に政治的目的が優先された形で政府が教育に梃入れをしました。海外の援助団体は西洋の手垢が着いているということで全部追い払って、聖職者が政権を乗っ取ったわけですから、聖職者が作る学校は神に背くものではない、きわめて正しいものであるとものすごく熱心に言ったことによってイランの初等教育は男女平等に浸透したんです。ユニセフから誉められるくらいに、革命の25年というのは、初等教育が浸透して女性は知的な力を得ることが出来た。イラン革命というと否定的な意見が多い、とくにアメリカなどはそうだけれども、いろんな問題を抱えながら底辺の人々がそれなりに支持してきた理由は、いままで西洋化路線で国を変えようとしてきて出来なかったことを、ある程度やったからなんです。自分たちの手で全国津々浦々に学校を立てて、革命に燃える若い髭もじゃの少年たちを建設復興隊として「神様のためになるから」ということでそこへ送った。

イランはパキスタンとちがってクルド地区に行っても農村は電気があり冷蔵庫があるんです。床があり、ドアも窓もある。また格差が開いてきているということもあるけれども、パキスタンの同程度の田舎と比べれば、イランは圧倒的に豊かな生活をしています。子供たちは学校に行っているし、クルドの母親たちは、私たちの世代だと学校に行けなかったので字が読めないんですが、いま識字学校に通っているという人もいました。私が興味があるのは、パキスタンとイランはたぶん20世紀の初め頃はほとんど状況は同じだったんですよ。国境線も民族もかなり共有している。この一世紀での開きはすごいものがあると思うんです。パキスタンに行くたびに、なぜパキスタンがこんなにうまくいかないのか疑問なんです。私はNWFP(北西辺境州)の教育省に協力しなさいということで派遣されたんですが、なにしろ役人が国民の教育をするなんて気はさらさらない。役人が自分たちと同じ国に住んでいる人たちを仲間と思わない、あれはなぜなんでしょう。

田島 識字教育はパキスタンでは難しいですね。私は、べナジール・ブットー政権がナワズ・シャリフ政権に変わり、そしてムシャラフ政権に変わった1997年から2000年暮れまで、識字教育のアドバイザーで3年半パキスタンへ行っていたので、政権の大きな変動を内側から見ることができました。その時、政権が変わるというのは、権力を得た者が、彼らのあらゆる力を使って権益をかき集めることを意味しているように感じたのです。海外からのプロジェクトが、その政権でいろいろ企画されて援助されても、政権が変わるとあっという間に政権の担当者やプロジェクト関係者がそこで得た権益をもって散逸してしまう。政権が不安定であることは、腐敗を蔓延するもとなっていますね。社会のためにというのではなくて、自分の蓄財をひたすらに目指すことになっていると・・・みんながよく冗談を言っていました、朝晩五回も祈ればもう少し社会がよくなりそうなものだが、なぜよくならないのか?それは自分のことしか祈っていないからではないかと。歴史的にも、カシミールをめぐってのインドとの間で三回の戦争などにエネルギーを割いたり、イギリスの植民地体制の残した地主制度などという農地改革の問題など厳しい現状もあります。
桜井 イランはアメリカの圧力で限定的ではあるけれど農地改革しました。アメリカはいまのパキスタンに農地改革しろとプレッシャーはかけられないんですね。

田島 とても土地改革のような深刻な課題に、プレッシャーをかけることはできませんね。農地改革ができるかどうかは、社会での公平さを作り上げていく本質的なものですが、イギリスの植民地からインド・パキスタンが分離独立するときに、封建的な大地主への優遇措置で温存させているんです。その深刻な課題はずっと尾を引きずっている。
桜井 大地主を優遇することによって、その地域を大地主に統治させたんですね。その封建遺制みたいなものはインドもそうなんですか。

田島 インドも同じですね。独立以来、インドの土地問題は封建遺制のために社会改革を阻む相当深刻な影を引きずっています。しかしケララ州や西ベンガル州など州政府の政権によっては、不徹底ではあるにしてもある程度土地改革に実績をあげているところもあり、各州の政治情勢や政治家によってかなり異なった対応を見せていますね。しかしパキスタンでは基本的に、土地所有の課題にはほとんど手がつけられておらず、貧富を生み出す非常に深刻な課題になっています。こうした背景からも、教育や学校を十分いきわたらせないようなシステムが全土に張り巡らされているということもできますね。地主の土地の管轄内での、知識や情報など余りにものを知っている者が増えてくると統治が難しくなってきたり、小作人が現金収入などを得てその土地から逃げ出していくのを恐れていることもあります。知識や情報の広がりを恐れているということでしょう。

ゴースト・スクールとマドラサ

桜井 私はJICAの要請で、JICAが建てた30校の学校を視察したんですが、どういう基準で建てたか聞くと、ちゃんとローカルなデマンドに基づいて、と言うのですが、ローカルなデマンドというのはつまり地主のデマンドなんです。訪ねて行くとほとんどの学校は地主が鍵を握っていて、寄付されたものも価値のあるものは全部地主の家にある。やっと開けてもらうと、牛が校舎で鳴いていて、生徒はいないんです。

田島 私は最初の仕事に、1998年頃に全国のノンフォーマルスクール(寺子屋式の学校)がうまく機能しているかどうかの調査をやったのですが、結果的には全体で約3割もの幽霊学校―つまり「ゴースト・スクール」の存在を把握することになりました。書類上に学校が存在し生徒や先生が記載され、給料が払われている。しかし誰もいない実態のない「幽霊スクール」になっているわけです。しかし給料は幽霊ではなく、誰かの手に確実に渡っている。「今日はゴーストスクールの生徒と先生に会ってきた」とよく冗談を言っていましたが、学校を設置するというやりかたを通じて不正が行われていた。パキスタンでは、知や情報をみんなに伝えないようにすることで自分の利益を守っていこうとする層が、あらゆる権力のポジションについている。これが教育を行き渡らせない腐敗的な構造だともいえますね。
桜井 バングラデシュはいろんな問題はあるけれど「エデュケーション・フォー・オール」で、すくなくとも量的にはパキスタンよりはうまくいっていますよね。

田島 ベンガル人の文化によるベンガル語という共通の国語もありますからね。
桜井 個々の民間の努力を無力にしてしまうような、ものすごい力がパキスタンという空間には働いているような気がしました。アジアの中であそこまで国民統合がいかない、識字もあそこまで低いまま留まっているようなところが存在し続けるということは、政治学者から見れば地域の安定に極めて悪いし、人間的な立場から言ったら、あそこの人たちは能力はあるのに、いたたまれない感じがあるんです。政府が自分たちの国民を教育する気がない、政治のそれが大問題です。予算がないからパブリックスクールをどんどん増やさせていて、政府の学校の数は減っていたりする。その一方でいろんなセクトのマドラサ(宗教学院)が増えていて、デオバンド系とかアフレハディース系はどんどんワッハマニーが入ってくる。シーアのほうは、イランが留学生をたくさん受け入れることによって彼らの勢力拡大を図っている。80年から90年代に7000くらいマドラサができています。それはドネーションだからお金は学生からあまり取りません。中途半端な世俗の学校を出ても職があるわけではないけど、いま宗教復興ブームだからマドラサを出れば100%の失業者にはならない、普段は農民でもラマダンの時期には宗教活動でお布施がもらえる。女の人も、世俗の学校は親が許さないけれどマドラサならということで地方からラホールに来て5年間寮生活をしている。将来を聞くと、マドラサを卒業したら郷里に帰って、女子マドラサを作って教えるんだという。タリバンを養成するというのはほんの一部であって、そうでないところでのマドラサの流行りようは大変なものです。バングラデシュでもすごいんだそうです。

NGOの活動とは?
田島 私はパキスタンの各地域にある学校を、識字委員会のアドバイザーという肩書で視察していましたが、政府のノンフォーマル学校が余り機能していなかったので、議長と話し合って民間のNGOの手にかなり移行させていったんです。しかしNGOはNGOでたくさんの問題をもっているし・・・・それで結局、視察を終えて結果を分析して結果、「ゴーストスクール」をどんどん削って減らしたわけですね。しかし1996年当時36.4%ぐらいだった識字率が、4年後には41%ぐらいになっている。つまり5%くらい上昇しているんです。生徒も学校の数も大幅に減少したのになぜ識字率が上昇したのかについて、教育省の幹部でもある友人を訪ねて問い詰めると、国際会議に備えて上司の命令で一晩にして識字率をアップしたこともあると白状したのです。識字率の測定は、子どもの就学率をもとにしたりある地域の無作為抽出などでサンプル的にはじき出すのですが、これはかなり政治的な数字でもあるんですね。パキスタンは、隣国インドの識字率の高さを非常に意識していることもあって、実態としては、農村に行くと知識とか情報が共有されていない。これがイランとの識字教育の大きな差を生み出しているような気がします。またパキスタンからアフガンにかけての国境一帯は、識字率にしても世界で一番低いんです。アフガニスタンとの国境あたりには部族機構が7つも存在していて、順自治区となっているところもありますが、あるときそこのチーフが、「自分たちは戦車やヘリコプターでもなんでも武器は持っている」と言っていました。そうした部族たちがパキスタンからアフガン国境にかけて割拠している。

桜井 国家というより、ひとつひとつが戦国時代のナニナニ藩ですね。

田島 だからパキスタンのようなモザイク上の国では、教育にしても時間はかかるわけです。教育のストラテジーとしても、よくよくやり方を考えなければいけない。上から一方的におろしていくんじゃなくて、みんなの必要性に応じて、みんなの足元から開いていかないと・・・それが全体につながるように。

桜井 パキスタンの場合、もちろん国家主導がいいと思っているわけではないんだけれども、あまりにもNGOだとか海外のものが入りすぎて、ごちゃごちゃでプログラムがない。海外のNGOなどはある意味で自分勝手で、5年間プロジェクトを組んでインプリメンテーションして、いい結果が出るとものすごくいいレポートを書きますよね。そうすると出世して、そこにいた人たちは置いてきぼりにして、違う所へ行ってしまう。次に来るNGOは前の人が実験したところで実験したくないから、手付かずのところに行って実験を開始する。あれがよくないと思う。

田島 それはありますね。レポートだけが輝いている。NGOのような団体は得てしてプロジェクトのやりやすいところとか目新しいところだけを選択してやっていくことがあります。目に見える成果だけを気にしたり、だから本当に難しい課題とか地味な問題とか忘れられている領域など本当に援助の必要な人々には手をつけられていません。宗教間の軋轢にしても、実践的な平和教育にしても本格的に取り組んでいるようなところはほとんどないと思います。私が現在行っているNGO活動は、刑務所に収容された子どもたちの図書館というものをパキスタン各地に作ってきたのですが、塀の中の実態や子どもの人権は本当に知られていませんね。これは識字アドバイザーをやっているとき政府の女性福祉局から依頼されて始めたものですが、刑務所に非常にたくさんの子どもが捕まっている実態を知ったのです。10歳から18歳ぐらいの子どもが全国に約7千人ぐらいいました。
桜井 窃盗ですか。

田島 実際に牢獄で聞いてみたら、窃盗も含めて、喧嘩や薬物の運搬、そして人殺しなどたくさんの罪状があるんですね。ところがよく調べて聞いてみると、子どもはなんの罪も犯していない、つまり冤罪の子どもが相当数いたんです。つまり子どもたちが、大人がやった犯罪に利用されて入牢しているケースがたくさんある。
桜井 絶対そうですよ。

田島 10歳ぐらいの子どもがなにか薬物を運んだといっても、それはすべて背後にいる大人の犯罪マフィアの存在ですね。隣人との喧嘩で殺人をやったといっても、彼自身はなにも手を下していない。親戚の大人からお金を握らされ、二、三日だからといって刑務所に入れられ、気がついたら生涯刑務所から出られなくなっている場合がある。読み書き算盤の識字の力を持たないような子どもが多数だまされている。こうした10歳ぐらいから15歳ぐらいまでの子どもたちが文字の読み書きを習いたいと訴えてきた。
桜井 聞いただけでかわいそう。女の人もそうだし。

田島 女の人の場合にはさらに悲惨ですね、レイプされて、逆に入牢している女性のケースもありますね。イスラム法の刑法では、レイプの場合には四人の証人が必要だと記されているんです。ですから女性が訴えると逆に誣告罪でつかまっている。そのためムルタンという地方都市の女性刑務所内にキラン図書館というものを設置しました。社会で一番苦しんでいる子どもや女性たちを励ます知識や情報をつたえること、かれらが識字力をもつことによって、考えや想像力を鍛え、次の自分の生き方の可能性を自分で考えていくと思ったのです。喜びますね。多くの女性たちが知識や情報に飢えている。人間が生きていく一番重要な人権として「識字」を確立しないといけないと思いましたね。

桜井 そのときはウルドゥ語でやるんですか。

田島 そうです。パキスタンでの識字教育は、国語であるウルドゥ語でやるんですが、ぼくは常々、識字教育に必要なのは「3言語」だと考えています。パキスタンでの紙芝居などは、パシュトー語、シンドゥー語、バローチ語など7言語で製作しました。生まれた地域のいわゆる母語、それから国語としての共通語であるウルドゥ語、それから国際語としての英語というように3言語政策が多様的な国には基本的には必要だと思いますね。しかし母語を学ぶ権利は多くの国で尊重されてはいません。日本でも同じように、アイヌ語や琉球語などのように、それぞれ地方の文化や言語を人間の生きる遺産として大切にしていかなければいけないと思うのです。三つの言語を獲得し表現できる権利が、21世紀の識字教育の中には絶対に必要だと思いますね。それを獲得するのは大変な苦労ですが、パキスタンなど多様な文化と言語環境ではそれが本当に必要な文化とコミュニケーションの力でだと思うのです。

宗教と教育

桜井 パキスタンに識字を広めるということで、一度提案したことがあるんです。いろんな宗派はあるけどイスラムについてはみな篤く信じているのだから、イスラムとしての義務なんだということをもっと前面に出して、イスラム道徳として子供に識字を教える、そういうふうに宣伝してやったらいいのではないかと。

田島 イスラム教の教えの中には、「知識を学べ!」という言葉は掲げてはいるんですが。

桜井 でもあまり実際にはそのようにはやってないんですよ。

田島 そう、目標として掲げていても実際にはやられていない。知を共有すればみんなが豊かになるのに、そのような学びは共有はされていないですね。ある富裕層だけが占有した一部特権社会になっていっていますね。デジタル社会の日本でも知的な第一線級の知識や情報はみんなで奪い合うようにしますが、識字が社会的に深刻な状況では、基本的に社会を構成する知識や情報が共有されようとしていないんです。共有させないんですね。
桜井 あそこの権力者はみんな地主ばかりなんですよね。

田島 有名な話がありました。それはパキスタンのある大地主出身の教育大臣が、「自分の領地に学校を作った者がいる」と言って非常に立腹したというのです。教育が普及するのでいいのではないかと思ったら、その大臣は見せしめに、「学校を作った者の領地に、今度は俺が学校を作って復讐するから」とすごんだというんです。これはとても笑えない冗談ですが、学校を作るということがどういうことを意味しているか、識字問題の本質をよく象徴しています。地主というのはものすごい権益集団です。地主層から、政治家、高級官僚、警官、裁判官、医者、弁護士などすべての職種の人間が排出されているわけですね。つまりはそういう人間たちの集団によって自分たちの権益を守っているわけです。

桜井 アメリカがパキスタンにプレッシャーをかけるなら、そこの部分ですよ。国民皆学にしなかったら援助しないって。

田島 日本の農地解放にしても、敗戦で国民がほとんど脱力状態のときにアメリカのGHQのプレッシャーでできたわけですね。

桜井 アメリカもたまにはいいことをするんです。イランにも農地改革を強制しました。

田島 こうした農地改革ができていないということは、社会の中での最も重要な課題ですね。土地は社会の中で平等意識を生みだす一番本質的なものですから・・・・。

桜井 それからピルがあって、あれがどんどん潤っていく。

五十嵐 ピルとはなんですか?

桜井 ある特定の神秘主義教団の教主とその子孫なんです。宗教的にきわめて特殊な能力をもっていて、崇拝される人物がローカルに出てきますよね。人々がそれにすがるんです。イスラムは神様がすごく隔絶されていて見ることも聞くこともできない、命令だけを下す、極めて遠くにある存在なんです。だから人間は絶対服従で、神にこうしてくれとお願いできない。神の命令どおりに生活して、はじめて天国に受け入れられる。でも日常生活の中ではいろいろな迷いや願い事が出てきて、すがりたい気持ちがやまほどあります。字が読めないわけですから、迷信的なものにすがらなければいけない。そうすると、特殊な能力を持っている教団の教主は、その能力によって神様と通じることができ、聖者となり、その人に、たとえばこんど子供が生まれないと離縁される、どうぞ私に子供が授かりますよう神様に願いを届けてください、もし願いが叶ったら米一升、あるいは農地の一部をさしあげますとか、いろいろ願い事を言うわけです。教主はどんどん勢力を拡大して広大な領地を持ってたくさんの巡礼客を集めて巨大な建物を建てる、そうしたピル様がいたるところに出現するんです。

田島 各地域でものすごく繁盛しています。

桜井 腹黒い感じがします。

桜井 初期の人が死ぬとその息子とかが守るんです。初代の墓にみんな触りに来る。口付けをして願いを叶えてもらう。

五十嵐 イスラムそのものにこういう形があるんですね。

桜井 でも非常に邪道だということで、サウジ系のワッハーブなどはこれを目の敵にして、攻撃・破壊の対象になっています。民間信仰や宗派間の対立がものすごくあります。シーア派はシーア派でムハマッドの子孫を崇拝している。そういう人達の絵などは描いてはいけないというんだけど、ムハマッドの幼少時代とかまで、平気で描いてしまう。そういう人達のお墓が巡礼客を集めてすごいんです。だからときどきワッハーブ派が頭に来てイラクの南部にあるような予言者の孫の墓を攻撃して、邪教だ、イスラムを汚しているとか言って、皆殺しにしたりする。いまイラクで宗派対立がものすごく激化していますが、フセイン時代はもちろんシーア派の人たちは政治的には不遇でしたけど、シーアだスンニだということで殺し合ってはいなかった。フセイン政権以前もシーアとスンニはずっと一緒にいたけども、小さな諍いはあるにしてもあんなふうに殺し合ってはいませんでした。ところがいま、あんなふうに殺し合うというのは、ワッハーブ系とかアルカイーダ系の人たちがスンナ派の人たちにシーアはいかに邪教か、叩け叩けと、お金とイデオロギー的なものをどんどん注入し、介入するから、突然内部が宗派対立の戦場になってしまったんです。シーアとスンニはもともと共存していたのに、外部の力がパキスタンに混乱をもたらそうとか、イラクを陥れようとか意図をもってどんどんお金を入れる。

五十嵐 イランの中にもそれは起こり得るということですか。

桜井 イランは人口の殆どがシーア派だから平穏なんです。ピルのようなのもいなくて、のんびりしています。しかし一歩イランを出ると、シーアであるということはなかなか大変なことなんです。ときには命がけなんてこともある。

教育における紙芝居の可能性とは?

桜井 紙芝居を通じてお話を伝えることと同時にアルファベットも教えるんですか。

田島 紙芝居では、直接アルファベットは教えるようなことはしません。基本的に文字を学ぶ前に語りや絵を通じて知識や物語の面白さを伝えることですね。文字教育の前、そして後にいろいろの世界を楽しく学ぶという段階で、それが知的なものへの誘いともなり大きな動機付けになりますね。

桜井 文字教育そのものというより、その前の段階なんですね。
田島 そうです。文字を目で読むという段階ではなくて、耳で聞くという長い人間の文明の中で育まれた口承文化の段階はとても大切ですからね。部族社会など複雑なパキスタン社会では、口承伝承などが豊かに残っています。そうした文化を豊かに取り入れて、視覚的にも識字教育を豊かで意味あるものにしていくんです。言葉を使っての文字文化は一律ですからね。現代のように、地方の人々がもっている耳の文化を切り捨てて、全部中央からもってくる「文字文化」の一色にするのではなくて、口承文化とうまくつなげると、子供どもたちが多彩で深いイメージをもったり、地方の言葉や表現を楽しく使えるようになりますね。そういう意味で多様な方言などを使っての紙芝居などは子どもにも大人にも大きな影響を与えます。

桜井 本だと一人一冊提供できないけど、紙芝居だとみんなで集まってできる。読み手はめくり方とか訓練するんですか。

田島 そうそう、それがなかなか難しいんですよ、実際に紙芝居を演ずるとなると・・・

桜井 紙芝居ってどこの国が作ったものなんですか。

田島 日本で育まれた文化遺産ですね。古くは平安時代の絵巻や物語絵、双六など視覚文化の伝統が発祥で、江戸から明治にかけては、立絵や切絵や紙人形などによって一枚一枚ゆっくりと演じられたのですが、紙芝居という形式は1920年ごろ全盛になりました。しかしテレビの普及とともに街頭紙芝居は消滅しました。しかし双方向のビジュアルメディアで、しかも生きたコミュニケーションですから現代にもいろいろな意味をもって蘇ってきていますね。絵を象徴的に見せながら語って一枚一枚を物語に応じてゆっくり抜いたり、感動をもって演ずるわけです。紙芝居がもっている国際協力の可能性は、識字教育でも、医療でも、農業教育の分野でもものすごく可能性は大きいです。特に日本の国際協力の分野では、こうした多彩な教材などを作れる専門的な訓練の場の設置が絶対に必要ですね。こうした場は、今はどこにもありません。
桜井 私もいい考えだなあと思いました。子供が保育園へ行っていたときによく保育園の先生がやっていました。親がボランティアでいろんな紙芝居を借りてきてやることもありました。とても喜びますよね。繰り返しやると覚えていて、次になにが出るかわかっていて、でも待ちきれないんですよね。

田島 紙芝居を見た子どもたちは一生忘れませんからね。数年前にタイにあるビルマの難民キャンプで製作した時は、紙のない山奥に自生している大きな竹笹を使って、眼とか口とかいろいろくり抜いて、それを繋げて物語にして一枚一枚を語っていくのです。これは非常に単純なものですが、それを見ている子どもたちには、面白がってイメージが広がっていくわけです。それは葉っぱでも新聞紙でも自由にちぎったり切り抜いたりしてなんでも作れる。エイズの深刻さを教えるにも、戦争の恐ろしさを伝えるにも、木枝を縦にしたり横にすることだけで、人間の生き方や精神を表すことも出来るのです。そういう意味では、識字教育は高価な市販された印刷物ではなくて、教材を現場で生徒たちと一緒に作っていく創造的な識字教育が重要ですね。すると簡単に、だれでも知的な欲求にめらめらと火がつくのです。知的なものへの動機付けが重要なのです。こうした試みによって、もっともっといろんな世界を知りたいという人々の気持ちを簡単に生み出せますからね。いま世界的に経済や教育の格差がものすごく広がっていますが、知識の世界の楽しさやおもしろさを表現したり、文化の相違を超えてコミュニケーションできる力をしっかり作っていかないと、経済格差などとともに情報における貧富の差が天文学的に広がっていきます。そしてこうした問題を解決する手段はテロだけになっていきます。実に危機な兆候です。

自分の手で作る

桜井 うかがっていると、たとえば文字教育の前の紙芝居の世界もものすごく豊かだけど、パキスタンの小学校をずっと見たけど黒板もないし、教科書も一人一冊はない。理科の先生が、零度になって固体になり百度になって気体になると書いてあるけどなんのことかねと言うんです。教科書もないんだったらそういう理科の教材も紙芝居で作ったらどうでしょうか。
田島 それを今、私はいまミャンマー(ビルマ)の教育大学で教えています。一枚の紙から参加者が折紙で紙箱を作ってみる。そしてそのなかに水を入れて、下からローソクの火であぶる。さてどうなるでしょう?と聞くんです。そうすると紙箱は燃えるという人と、燃えないという人、わからないという人がでてくる。この実験は、紙は燃えずに中にある水がぐらぐらと沸騰し始めるんです。水の沸騰は100度ですが、紙が燃えるのは400度ぐらいですから、紙に水がしみこんでいる限り気化熱を奪いますから、水を沸かし始めるのですが、なかなかみんなよく考えますよ。また太陽の光で虹を作ろうというものですが・・・洗面器の中に水を入れ鏡を沈めて太陽光を反射させると、部屋の天井にきれいなプリズムデのような虹が映し出されます。誰も彼もびっくりします。いま教育大学の先生たちをトレーニングしながらこういう授業をたくさんやりました。それをシャン州とかモン州とか地方での小学校でやったら子供たちはとても喜ぶんです。授業には感動や発見がいるんですね。いまのビルマの軍事政権はピンマナに首都を移したんですが、ピンマナというのは昔、日本軍がアウンサン将軍を援助して反英闘争を始めたところなんです。そのためシャン州の教育大学の教師たちが、「70年前も日本人に教えてもらい、現代も日本人に教えてもらう。われわれには少しもいいところがない」と嘆くんです。そこで「そんなことはない、シャン州にはすごく豊かな文化がある。それはがみんなの頭の中にはたくさん残っている豊かな口承文化遺産と、自然が豊かでバラエティに富んだ植物の自然遺産などがあるといって励まし、それでは自然遺産や文化遺産を授業の中で形にしてみようということで、70~80人の教師対象を対象にして、シャン州の山に自生している薬草について口承伝承の薬草について、父や母、お祖父さんやお祖母さんたちに話をしてもらいました。そうした
生きた体験に基づいてその薬草をたくさん集めてもらい、それを実物の植物を使って美しい教科書を作ったんです。それは見事です。そして薬草そのものは枯れてしまいますから、実物の植物を見ながら絵を描いていきます。写真を使ったり、青と赤と黒の絵具をうまく混ぜれば植物のこういう色もできると、そうやって一冊の本を作る。そうすると今度は百年間でも色の変わらない植物図鑑ができる。こんなふうにして百何十種類の薬草の本を共同で作ったんです。学校でのカリキュラムを考えるときに、外からいろんなものを持ってくるのではなくて、内にあるものを使い、みんなで作るという試みはとても重要ですね。
パキスタンにいたときにやったことでは、ユニークな識字教育として評価されたものに、紙漉きの技術を広めたことでした。子供がタクティという黒板のようなものをノートとして使っていたんですが、「コピーが欲しい」と。つまり書き残すために紙が欲しいという叫びを聞いて、それで紙漉きを教えることになったんですが、それは今でもいろいろの人やNGOなどが引き継いで広くやっていますね。

桜井 なにを使って紙漉きをするんですか。

田島 捨てられたバナナの幹、藁(わら)、サトウキビの残滓、木の皮、新聞紙から、ありとあらゆるものを使うのですが、現実にクリエイティブなことをやったり学ぶということをみんなものすごくみんな求めているんです。土地無し農民なども多いですから、廃棄物なども相当に使いました。イランの絵本を見たとき、感心したのですが、葉っぱをものすごくうまく使って実に美しいコラージュ絵本を作っています。ああいうコラージュなどで、感動的な紙芝居なんかやったら子供は喜ぶだろうと思いますね。

桜井 イランは、葉っぱとか石とかを組み合わせてなにかを作って賞を取ったりしてましたね

田島 そうです。イランは、絵本にしても芸術の領域までに高めているんです。ですからこうしたものを紙芝居にして、大胆に中を切り裂いたりカラフルな色をつけて語ってやればいい。イランではまだ紙芝居は始まっていませんから、そういう形で10枚ぐらいの物語を連続でやると、子供は一生憶えていますよ。大人だって忘れません。そういう感動を作っていくことが識字教育には非常に重要なんだろうと思います。

表現の自由と社会規範

田島 あるとき、パキスタンの国語であるウルドゥ語で絵本を現地の画家に依頼して作ったのですが、その中でいろいろの試みをやってみました。現地の画家がウルドゥ語のアルファベットをいろいろの動物や器物をつかって象形文字みたいに作ってみた絵文字とか、あるいは絵地図なども作りました。みんな非常に喜んだのですが、あるとき教育集会で、ターリバーンに近いような老人が立ち上がってものすごく憤慨した態度で、「我々のウルドゥ語はイスラムのカリグラフィの伝統から来るのであり、象形文字からくるものではない。実にけしからんことをやっている」と怒ったのです。これは文字文化の最も基本的なことですから、私は口を全く出さすにみんながどのような反応をするか見ていますと、他の人々が立ち上がって、彼に向かって「なにを言うか!こんなに楽しく文字をデザインした絵本は初めてみた。パキスタンの子どもたちのために新しい絵本を作ってくれてありがとう!」とみんなで擁護してくれたことがありました。絵本一つ作るにしてもすごく大変なことがありますね。

桜井 そうなんですね。ターリバーンが入っている地域なんかはウサギのマークがついたセーターを着ることが許されない、ウサギへの偶像崇拝につながるから、と言うんです。だけどイランなんかはぬいぐるみ大好きですから。特殊な思想が外から入ってきて強制するからああいうことになるのであって。

田島 あるとき、「ティンティンとトゥントゥン」という2羽の小鳥のお話をつくったんですが、これはティンティンとトゥントゥンという二羽の小鳥が出会って結ばれ、子どもが生まれ、巣から飛び立っていくまでの子育ての話なんです。ところが、結ばれるところが個人の恋愛になっているからよくないという反対に出会いました。「結婚は家と家が決めるものであって、人間は、小鳥のように個人と個人の恋愛による結婚を表現しているものではない」と主張するのですが、識字委員会の中にも反対者が出て、議長にこっそりと言いに行くんです。そこでみんなに「本音はどうだ」と聞くと、教師を初めみんな圧倒的に自由恋愛して結ばれた小鳥を擁護するんです。それで物語の筋は変更しないことになりました。絵本の表紙を決めるときも大変でした。表紙には識字委員会のロゴマークがついているんですが、そこに宗教的な文字が入っていたんです。そして、そのロゴマークが、ニワトリが喧嘩している絵の下にあったものだから、クレームがついた。ニワトリの足のところではなくて、頭の上に持っていけと言うんです。このデザインの変更には困りました。絵本を一冊作ることは大変疲れますね。だけど作ってみると、パキスタンの子どもたちが夢中になって読んで、しかも決して破らない絵本ということで有名でしたね。パキスタン全土を絵地図にして表現したり、地方の豊かな文化や水の汚染など現実と想像を織り交ぜて豊かな表現を目指した美しい絵本として仕上がったのですが、こうした取り組みはどこの国でも必要な課題ですね。
桜井 あんまり子供を自由にしてしまうと、それを許さない社会がありますから、そこで子供が苦しみますからね。そこもまた難しいんです。

田島 そうですね。そのため紙芝居や絵本のテーマや内容などはいろんなスタイルで作っています。いまアフガニスタンで使われている紙芝居は、カラーシャという少数民族が住んでいる周辺地域の山林伐採を題材として作ったものです。それをかってアフガンの難民キャンプでやったら、それを見た子供たちは、住まいの近くに早速植林をはじめたくらい大きな影響力を与えました。どうしてかというと、アフガンもパキスタンも日照りの被害がすごいんです。そういう時、人々はモスクに行って雨乞いのお祈りをするわけですが、それを子どもたちは良く見ていて知っているわけです。木を山から伐採してしまうと、自然の中でなにが起きるか?洪水や砂漠化現象が起きる過程を紙芝居で見せて考えさせる。子供たちはショックを受けて自然のつながりについて問題意識を持つんですね。
桜井 因果関係がみんなわからないですからね。

田島 物語は始まりから終わりまでのいわゆる因果を語りますね。自分だけの経験や体験で覚えたのとは違う因果体験を多数の物語や語りで習うということは、どこの世界でもそうだと思いますが、特に経済的に困窮している地域の人々は非常に必要ですね。知恵や思考を共有し創造していく手段なんです。なにが役立つかわかりません。そして自然破壊がどういうからくりになって起きているのか。
桜井 そのうちその因果を拡大して理解できるようになれば、政府がこういう政策を取るからこうなるんだと、そこまでみんなが気がつくようになれば、これはサポートしてはいけないんだとわかってくることになる。

ロケーションの問題

桜井 パキスタンのペシャワールに行って教育省で見せてもらった資料で愕然としたことがあるんです。自分たちの地域で教員不足がこれだけある、一人で5学年教えている学校がこれだけあるという。それは実体験とすごく合致しているんですが、ところが次のページをめくると、都市部を中心に余剰教員で困っている学校のリストというのが棒グラフになってずらりと出ている。これをあっちへ移せばいいじゃない、どうして余剰教員が出るのと言ったら、転勤はさせるけれどもとてもそんなところには通えないから、自分が一番行きやすい学校に籍を置いておいて、給料のときだけ転勤先に取りに行くか、自分の知り合いの役人を使って取りに行くことになっているんです。
田島 よくあることですね。それだけに教育の中では、いつも確かなモニタリング(基礎教育がきちんと行われているかどうかの実態調査)というのをやらねばならないのですが、それが実に難しい。どこでも現実を正確に把握するという能力がないと、解決能力はまず期待できませんからね。
桜井 モニタリングが能力ゼロなんですよね。
田島 あるときモニタリングレポートの内容を調べると、スタッフの人数が不足していたからといって運転手を動員して調べに行かせているんです。しかし運転手は調査方法などをよく知らないので、学校が遠く途中までしかガソリン代も出ていないからと言い訳し、調査対象の学校には行っていない。途中の学校へすべての関係者を集めて話を聞いて、美味しい昼食を食べて帰ってきたというのです。しかし報告では「学校はすべてうまく機能していた」と。すべてがこういう状況とは言えませんが、中にはこうしたいい加減なやりかたが横行しているところも多いのです。そうした対応でモニタリングの数字は大きく変わってくるんです。ですから1998年に政府が普通学校のモニタリングをやったときには、軍隊や警察を動員して実態調査を行っていたわけです。同じように、地主が地方で学校の土地を提供するときには、決まって学校の場所としては環境の悪い土地を与える。地理的にも村から遠く、辺鄙な場所に学校を置くんです。子どもが通いたくなくなるような淋しいところとか。

桜井 JICAが提供した学校は、逆に、政府の学校の真隣に作ったんです。そうすると政府の学校の生徒の半分がこっちに移動するだけで総就学数は増えないから。

田島 学校が増えないという一番の理由は政治的な意志、つまり教育に対して中央政府の政治的決断がないということです。予算が使われていません。またよく言われることなのですが二番目は学校が設置される場所が非常に悪いということです。最初この意味がよく意味がわからなかったんです。日本では学校を村の中心に置いたり、西欧では教会をその中心に置いたりしますね。

桜井 わざわざ通えないようなところに作る。

田島 それは学校に重きをおかせない。教育を普及しようとさせない地主制の問題とからんでいるわけです。
桜井 これは聞いた話ですが、政府が全部の学校を運営することは無理だからNGOなどに識字学校の運営をまかせているんですが、そういう学校をたずねると、ほとんど運営されていなくて、出勤簿を見せてよと言うと今日は鍵がないから出勤簿を開けられないとか、子供はと聞くと、いまちょっと散歩に行っているという。いかにNGOが、実際はなんにもしていないのに、年に2、3回だけ開いてお金を取っているかがわかります。現地のNGOもひどい。

田島 当時のノンフォーマルスクールは、もともと政府がやっていたのが、うまくできていないのでNGOに移管させていったところもあるのですが、NGOもいろいろの趣旨や背景で作られたものがありますね。定年退職した官僚や地方の汚濁した政治家がこうしたNGOを作ったりコントロールしているもの、あるいは海外からの援助や利権目当てに設置しただけのNGOなど、私が調査した「ゴースト・スクール」というのは、当時の地方の政治家や有力者たちがNGOを使って設置したものでした。南アジアはこうしたNGOが多くて、本当に信頼あるNGO活動が確立されるところまでいっていません。しかし、こうしたNGOを厳しく批判しながらも非常に良心的ないい活動をやっているNGOもたくさん出会いました。希望を捨てるわけにはいきません。必死に学ぼうとする子どもたちになんとか応えようとしている教師たちの必死な姿勢もいたいほどに感じましたね。

海に石ころを投げる

桜井 どうすればあの人たち自身が変わるんでしょう。外からの圧力はもちろん重要だけれども、限界がありますよ。内側からあるときなにかの形で意志が生まれないかぎり、だめです。

田島 3年半の任期中、私もたえず絶望感にかられていました。あるとき、友人に頼まれてイスラム教の金曜日の礼拝のときに大勢の人々を前に話したことがありました。   「人間はいつも自分自身のことを考えて生きています。考えてみてください。「私」という言葉は世界で最もよく使われる言葉で、いつも、誰しも自分のことや自分の家族を第一番に考えていますが、そこからもう一歩出ようとしていない利己的な「私」がいるとは思いませんか?「私」という利己的な存在ではなく、もっと私たちのためにという幅広い考えが必要ではないか」と話しながら、私が原爆の投下された日本の広島の地から来たこと、顎鬚を生やしてはいるがイスラム教徒ではなくて仏教徒であること、そして人生では一つの山頂に向かって登って誰もが幸せで豊かな生活というひとつの山頂を目指しているが、登り口はイスラム教徒、仏教徒、ヒンドゥ教徒などによってみな違う。しかし同じ山頂を目指して歩んでいるというその違いを認めあうことが相互に必要ではないか」というような話を英語で通訳を介して話したのです。大好評でした。イスラム教の偉い人が、メッカから持参したというナツメヤシをたくさん呉れましたね。パキスタンの北方地域は、昔の仏教のガンダーラ地域ですから、仏教に好感をもつ人々がまだたくさんいるように感じました。イスラム教と仏教の普遍性が融合する可能性もあるのではないかと感じたぐらいです。教育の現場では、理論としてだけ討議するのではなくて、普遍的で具体的な課題に向かってストーリーなどを一緒に作っていきながら、特に学校などの現場では子どもたちと一緒に考えながら作っていくことが必要だと感じました。しかし現実は、色彩ひとつでも国や宗教や文化によっても制限を受けたりしていますから、なかなか難しいわけです。閉鎖されている空間であればあるほど、教育関係だけでなく芸術関係とか文化関係とか、多種多様な人々と一緒になって教材や新しい教育哲学を作っていく。上からの命令だけで動かそうとしているのでは、識字教育の推進は難しいですね。
桜井 途方もない海に石ころを投げるような気がすることもあるし、だけど向こうの人たちってなんか素直でいいですよね。

田島 そうです。だれも池の水を大きく動かそうとすることはできませんね。国際的な教育協力は、広い池の中にただポチャンと小石を投げ入れるような気がしますね。初めは水の輪もすぐに消えてしまったり、あるいはなんの反応も出てこないようなことがありますが、やはり小さな波が起きたときには嬉しいし、そしてその波紋をみんなが決して忘れないこともありますからね。感動や感激から教育活動から生まれたときは、そこから必ずなにかが始まるような気がします。そして必ず生まれていますからね。

桜井 そうだと思わなかったらとてもやってられないですよね。

田島 現場で子どもたちや教師たちの顔を見ていると、みんなが必死に求めているものがわかるわけです。それはどこでも同じではないかと思います。日本の戦前や戦後には、紙芝居が子どもたちの生活文化に大きな役割を果たしましたね。私は、これまでユネスコ活動やJICA、あるいはNGO活動などで、これまで絵本や識字教材など紙芝居も含めて教材は約150種類ぐらい作った経験があるのですが、アジアで生まれた教材の中には、日本の現場で活用されると面白くて役立つ教材がたくさんあります。それぞれの社会がかかえている複雑で深刻な民族問題にかかわるものもあります。ミャンマーの幼稚園の教員が作ったある紙芝居は「ドリアンとパイナップル」というもので、果物を主人公にして作った物語でした。ドリアンとパイナップルはいつも仲良し。ところがある日、パイナップルがドリアンに、「あんたの顔はちょっと酷い。それにちょっと臭いよ」と言ったら、ドリアンはすごく怒ってドリアンを殴りつけてしまった。ドリアンが怪我をして寝込んでしまい、それ以来一緒に遊べなくなってしまった。 病気見舞いに、ドリアンは、「殴って悪かった。パイナップル君の体がそんなに柔かいとは知らなかった、」とパイナップルに謝りに行く。パイナップルもドリアンに対して「僕の方こそひどい言葉を言って」と言って双方が仲直りする単純な物語です。こうした教材を考えてみると、それぞれの国には多彩の民族がいて、それを題材にしながら寓話に昇華させて作ったものでしょうが、すごいなあと思いました。

桜井 それはなかなかすごいですね。

田島 考えてみると、日本の教室のいじめの現場には無数のドリアンやパイナップルのような存在がたくさんいるでしょう。パキスタンやミャンマーなどアジアの現場で作られたものの中には、切実なテーマを抱えて創られた背景が多いものだけに、日本の教育にとってもものすごくいい教材になると思いました。途上国の教育だと言って蔑んだりせず、アジアで学んできたものを日本の現場でも積極的に生かして使わなければいけないと。そしてどこの国にも、切実な問題に立って試行錯誤しているすごくクリエイティブな人たちや深刻な現代の課題と切実にと入り組んでいる人々がたくさんいますから、そうしたコミュニティの人たちとワークショップをやりながら、コミュニティの問題を一緒に考えていくこと、そしてあぜ道を歩きながら共同で作っていくこということがものすごく必要な気がしました。パキスタンには、核実験の行われた1998年の時期も含めて3年半滞在しましたが、矛盾や葛藤を抱えて大勢の人々が苦しんでいる時期でしたから、人々が新しい考え方を生みだそうとして四苦八苦している姿をたくさん見てきたわけです。こうした姿勢から学んだものも日本の現場にもきちんと生かして伝えていきたいですね。



アジアウエ―ブ新春対談(NO.2)

田島(国際識字文化センター代表、作家)
桜井(早稲田大学国際教養学部教授)
オブザーバー 五十嵐勉(アジア文化社代表)

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