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zoom RSS 青春時代 師に会う

<<   作成日時 : 2018/04/05 18:23   >>

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これは、私の学生時代に、友人の中林信博氏と一緒に訪れた三島市の禅寺で会った高村幸平さんと一晩中酒を飲みながら、森羅万象の話を聞いたことを記したものです。まだまだたくさんのことを聞いたのですが、印象に残ったものだけ書き遺しました。苦悶していた青春時代ー私は高村さんとの出会いによって、人生は大きく変わりました。師と記したのは、幸平さんは禅僧でもないのに、禅僧以上に大きな悟りで人生を生きておられることに大変な感銘を受けたことによるものです。


「青春時代 師に会う」


ああ、その不思議な出会いをどのように表現したらよいか。師は言われた。

ー自然であれ!自然であれ!すべての存在は、大地から生まれ出てくる。無から生まれ出てくる。

ー生かすことだ!人を生かすことだ。生きている存在は、常に生かさなければならない。人は大きな欲に惑うことがあってはならず、いつも人よりも先に取ることを考えていてはいけない。まず人には先に与えることが大切、人より決して先に取ってはいけない。

ー 死んだ言葉や偽りの言葉は、決して使ってはならない。

ー死んだ言葉とは、裏付けのない虚偽の理論や実行力のない言葉を意味している。人の人生は、過去・現在・未来にわたっているから、時間は決して無駄に使用することがあってはならず、常に自分の人生の使命を自覚し、全力を尽くして時間を使わねばならない。人生の使命とは、自分自身を徹底的に生きること。そしてさらに人間は、不動の信念を持っていなければ、決して目的を達することはできない。

ー学問とは、人間の完成をめざすためにあり、決して名誉や利権獲得のための手段としてはならない。人間の中心とはいったい何であろうか?それは真心(まごころ)である。真心(まごころ)こそ人間の中心をなすもの、この世で一番大切なものである」

師はさらに力を込めて語られた。

ー人は、並はずれた華麗な風を追ってはならず、常に地味に生きることを求めなければならない。地味に生きるとは、人や物や自然を徹底して大切にして生きることである。
ー女性を求める時には、人間的に信念のある女性を求めなければならない。それは女性でも男性でもすべての人間に言えることであるが、容姿は、ほんの一瞬にして滅びていくものである。不滅の美や永遠の美こそ真に人に求めなければならない。


ー善い原因は、必ず善い結果を導く。そして善い結果は、必ず善い原因となる」「議論を戦わしても、証拠が見事に証明するように、「議論」よりも「実践」が大切である。なんでも言うのは易しいが、行うのは至極(しごく)困難である。だがいかなる敵が待ち構えているからといっても、決して戦いを放棄したり逃げ出してはいけない。千万人の敵といっても、決して怖れてはならない。


ー物というのは、万が一の大災害などがあったときに使えるように準備しておくもので、仮にも私利私欲のために使うことがあってはならない。物の存在も、人生を最大限生かすために使うことが大切である。さらにもう一度言う。「人も物も生かして使え」ということである。

ー悪というのは非常に強力なものだ。それは蛇のようにずる賢く、末永く生きながらえる。それを打ち破るためには毒をもって毒を制するように、相手の行状をよく観察し、何が最も適切かをよく判断してから戦略を練らなければならない。それは自分の悪の心にも同じことである。

ー攻撃とは最大の防御。しかし攻撃を行う前には、先ず最初に自らの環境を整備することが大切である。この整備を整えてから攻撃を行うが、人の攻撃には、なにが一番致命的であろうか?それは信用を失わせることが最大である。攻撃するときには、敵に酒を飲ませて酔わせて意図する方向へ導くように、相手の欲望をよく掴み、相手の望むようにさせながらも破滅させるのがよい。悪に対しては、「毒をもって毒を制する」のである。

ー 師は喜びの声で言われた。
「私は今、勝利を得たということができる。なぜならその勝利を、わが子どもの行為に見ることができるからだ。私の子どもに私の真心が伝播し、意志を受け継ぐ人間が出来たとき、私はこの人生で勝利を得たといっても過言ではない。


ーところで、犬畜生でも、「自然な心を持っている人間」には怖れを感じている。自然な心こそ人を感動させ震撼させる最大の要因である。

ー原因があれば必ず結果を生む。そして些細な原因でも重大な結果を生じさせることがある。そのため人生の戦いの場では、少しの油断も隙(すき)も見せてはならない」「人を疑うことは、人から裏切られるよりもさらに悪い。幼児でもそのことを直感的に知っている。

ー山本玄峰老子が96歳の時、4歳の子どもに謝られることがあった。人はいくら歳をとって偉くなっても、尊大ぶるのではなく、率直に誰にでも謝ることができるのは偉大なことだ。


ー道というのは経済を、筋というのは政治を意味している。共に大切なものだ。権威というものは、敵にのみ用いるものであり、それ以外に使用することがあってはならない。死んだ言葉や偽りの言葉を使う者に近づいてはならない。こうした人間は真心を持たない偽りの人間である。

ー 過失というものは誰にでもある。しかしその過失を率直に認めて反省する人は少ない。また人を試すようなことをしてはならず、人には常に真剣に接しなければならない。学校を出たということは、栄誉を得るためでも出世のためでもない。それは世の中で、弱い存在に置かれている人々を導く人材になることを意味している。
ー時に感じて師は言われた。


「私は人の歩くさまを見るだけで、人を判断することができる」「早朝、家の前を車が通過すると、どんな人の車かすぐにわかる」それと同じく、家の中にいて、世界の出来事が手にとるように理解できる」
ー人生を約50年間の活動期と考えれば、人生は決して長くはないが、真剣に生きることによって、人生は十分長くしかも充実するものとなる。


ー私の師であった玄峰老師は50歳になられたとき入山(出家)された。その意気込みたるや絶大なものと言わなければならない。94歳になられた時、玄峰老師は「私はすでに死への用意が出来たが、人生では私はなにもたいしたことが出来なかった」と言われ、そして「私が死んだあと、私に出来なかったことをお前たちはやり遂げてくれ」と言い遺された。



1972年5月1日 静岡県三島市沢地
高村幸平師

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