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zoom RSS 25歳のときの不思議な出会いが、私の人生を変えた!

<<   作成日時 : 2018/07/30 11:37   >>

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私は25歳のとき、三島市の竜沢寺という禅寺で、不思議な1人の修行者に出会いました。初めは私はそのお寺で座禅でも組もうと思って、友人と一緒に行ったのですが、「夕方などにお寺に来るものは誰もいない。出直してこい!」と言われて、どうしようかと困っていたとき突然、寺の中から「おうよしよし、座るのは別に寺でなくてもいい。我が家へ来い」と言われて、60歳過ぎの一人の修行者のあとをついていったのでした。

そしてその人と一緒に朝まで酒をあびるほど飲んでいたとき、ある事件が起きて、明け方に突然「悟り」のような大きな世界を感得したのでした。もちろんお酒は禅寺で飲んだのではありません。禅寺のすぐそばにある彼の質素な農家で、<実は彼は禅の修行者でも僧侶でもありません>。知る人ぞ知る高村幸平さん、ただの修行者・百姓でしたが、私にとっては全く超人的な存在に見えました。また宗教者的な存在でもカルト的な存在でもなく、あえて言えば、彼から感じたのは「自然そのもの」の大きな人間存在を感じたのです。

そして同時に彼と対話しているうちに「人生や世界でわからないものが、なにもなくなったというような不思議な境地を体験し、この世にないような大きな感動を得た瞬間でもありました。不思議な出会いでした。そして同時に自分と社会に深く繋ぐ大きな使命感をも会得したのです。それはおそらく自分自身が、現実の生きざまにおいてぶつかっていた人生の壁をどうしても開けられず四苦八苦し、そして壁を飛び越えたり、地中に穴を掘ってトンネルで抜けようとした挑戦でもあった時期でした。

当時、私の変化の様を見た友人や家族たちは、気でも狂ったのかと思ったようでした。その頃私は、ベトナム反戦や学生運動にも参加しており、どのように人生を生きようか日夜悩んでいたときだけに、人生の生き方や平和の創り方などで、大きなインスピレーションを得たことは、その後の大きな針路となり、今日に至るまでその炎が燃え続けてきました。・・その当時は、余りにも高揚したその感動的な体験をどうしても人に伝えたくて、在学していた早大の大隈講堂で「現代学問破壊講座」というような滅茶苦茶な講座を開始したものでした。

そして研究室に多くの教授を訪ねて、ソクラテスの「無知の知」のような笑い話のような議論対決を行っていたのです。そして大隈講堂で話したその内容とは「現代の学問とは、人の存在を生かしていない、殺している」という根源的な問いかけでした。ギリシャの昔から、学問には「人を生かす哲学」と「人を殺す哲学」の二つの流れがあるようにも感じたのです。そして特に現代の学問は、「徹底的に人間を殺している」「現代に、知識人は存在しても、知恵者は全く存在していない」というー現代社会への根源的な批判に立ったものでした。

しかし講座や講演だけでは、その気持ちや空間をなかなか伝え切れず、やがて1か月間も過ぎていくと、その大きな感激は消えてしまいました。まるで「杜子春」に登場する主人公みたいでした。しかし大きな感激は失ったものの、その代わりにさまざまな「寓話を通じて私の思いや哲学を表現する」という才能というかスキルというようなものが、心の内に自然に芽生えてきたのです。それ以来ヨーロッパ(ドイツ)やアジア(インド)各国に遊学、やがてその後ユネスコの仕事でアジア地域のさまざまな文化・教育機関と一緒に働く体験を持ってきましたが、今でもそのときの霊的体験を物語にするのが私の大きな仕事となっていますね。

現在もアジア各国で教育の仕事を続けながら、霊的な感性に導かれたかのように、さまざまな物語や寓話も書いていますが、すべては「自然や宇宙で得た寓話」表現そのもので、「想像性と創造力」を通じての反核文明や反戦思想」が、その中心課題となっています。2001年にはベルリンで開かれた第一回ベルリン国際文学祭に招請を受け、寓話創作もアジアでは30言語で翻訳出版されて広がっています。その底には、その時の感動体験をさらに広く寓話で伝えることとアジア地域での識字教育や大学などでの教育活動につながっていますが、これはすべて若かりし頃の夢の続きですね。

霊的体験とは、私にとっては神秘的なものを言うのではなく、社会や自然の中で、さまざまな体験をしていく中で、人間や社会の進化に向けて出会った「言葉や表現」を通じて生きていくことを意味しています。若いときには、誰でも霊的体験とか神秘的な体験をすると、新たな「宗派」のような存在を作り上げようと格闘するのではないかと思いましたが、私は、宗教的な世界は拒絶しました。宗教世界とは、いつもピラミッド体制を作って、独善性に陥っていく危険性を感じたのです。瞑想体験がいいとも思ったのですが、私は1人でドイツやインドやシルクロードへの自由な遊学の旅に出ることを選択したのでした。その旅がどんなに私を鍛えてくれたことか。

その旅へ誘ってくれた三島で出会った禅の修行者は、語りつくせないほど大きな存在でしたが、彼の教えとは「、「人生には畢竟なにもない。空(くう)である。空であるからこそ、人生を雄々しく創造することが必要だ!そのためは、徹底して人や物を生かせ」という実にシンプルなものでした。

「人は殺してはならない、人や物は徹底して生かせ!」。これが私の「哲学」の根本となったものでした。

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彼が語っていたことを記してみます。

これは私の学生時代、友人の中林信博氏と一緒に訪れた三島市の禅寺で会った高村幸平さんと一晩中酒を飲みながら、森羅万象の話を聞いたことを記したものです。印象に残ったものだけ書き遺しました。師と記したのは、幸平さんは禅僧でもないのに、禅僧以上に大きな悟りで人生を生きておられることに大変な感銘を受けたことによるものです。

「青春時代 師に会う」

ああ、その不思議な出会いをどのように表現したらよいか。師は言われた。

ー自然であれ!自然であれ!すべての存在は、大地から生まれ出てくる。無から生まれ出てくる。
ー生かすことだ!人を生かすことだ。生きている存在は、常に生かさなければならない。人は大きな欲に惑うことがあってはならず、いつも人よりも先に取ることを考えていてはいけない。まず人には先に与えることが大切、人より決して先に取ってはいけない。

ー 死んだ言葉や偽りの言葉は、決して使ってはならない。

ー死んだ言葉とは、裏付けのない虚偽の理論や実行力のない言葉を意味している。

ー人の人生は、過去・現在・未来にわたっているから、時間は決して無駄に使用することがあってはならず、常に自分の人生の使命を自覚し、全力を尽くして時間を使わねばならない。

ー人生の使命とは、自分自身を徹底的に生きることだ。そしてさらに人間は、不動の信念を持っていなければ、決して目的を達することはできない。

ー学問とは、人間の完成をめざすためにあり、決して名誉や利権獲得のための手段としてはならない。

ー人間の中心とはいったい何であろうか?それは真心(まごころ)である。真心(まごころ)こそ人間の中心をなすもの、この世で一番大切なものである」

師はさらに力を込めて語られた。

ー人は、並はずれた華麗な風を追ってはならず、常に地味に生きることを求めなければならない。地味に生きるとは、人や物や自然を徹底して大切にして生きることである。

ー女性を求める時には、人間的に信念のある女性を求めなければならない。それは女性でも男性でもすべての人間に言えることであるが、容姿は、ほんの一瞬にして滅びていくもの。不滅の美や永遠の美こそ真に人に求めなければならない。

ー善い原因は、必ず善い結果を導く。そして善い結果は、必ず善い原因となる」「議論を戦わしても、証拠が見事に証明するように、「議論」よりも「実践」が大切である。

ーなんでも言うのは易しいが、行うのは至極(しごく)困難である。だがいかなる敵が待ち構えているからといっても、決して戦いを放棄したり逃げ出してはいけない。千万人の敵といっても、決して怖れてはならない。

ー物というのは、万が一の大災害などがあったときに使えるように準備しておくもので、仮にも私利私欲のために使うことがあってはならない。物の存在も、人生を最大限生かすために使うことが大切である。さらにもう一度言う。「人も物も生かして使え」ということだ。

ー悪というのは非常に強力なものだ。それは蛇のようにずる賢く、末永く生きながらえる。それを打ち破るためには毒をもって毒を制するように、相手の行状をよく観察し、何が最も適切かをよく判断してから戦略を練らなければならない。それは自分の悪の心にも同じことである。

ー攻撃とは最大の防御。しかし攻撃を行う前には、先ず最初に自らの環境を整備することが大切である。この整備を整えてから攻撃を行うが、人の攻撃には、なにが一番致命的であろうか?それは信用を失わせることが最大である。

ー攻撃するときには、敵に酒を飲ませて酔わせて意図する方向へ導くように、相手の欲望をよく掴み、相手の望むようにさせながらも破滅させるのがよい。悪に対しては、「毒をもって毒を制する」のである。

ー 師は喜びの声で言われた。

「私は今、勝利を得たということができる。なぜならその勝利は、わが子どもの行為に見ることができるからだ。私の子どもに私の真心が伝播し、意志を受け継ぐ人間が出来たとき、私はこの人生で勝利を得たといっても過言ではない。

ーところで、犬畜生でも、「自然な心を持っている人間」には怖れを感じている。自然な心こそ人を感動させ震撼させる最大の要因である。

ー原因があれば必ず結果を生む。そして些細な原因でも重大な結果を生じさせることがある。そのため人生の戦いの場では、少しの油断も隙(すき)も見せてはならない」

ー「人を疑うことは、人から裏切られるよりもさらに悪い。幼児でもそのことを直感的に知っている。

ー道というのは経済を、筋というのは政治を意味している。共に大切なものだ。権威というものは、敵にのみ用いるものであり、それ以外に使用することがあってはならない。死んだ言葉や偽りの言葉を使う者に近づいてはならない。こうした人間は真心を持たない偽りの人間である。

ー 過失というものは誰にでもある。しかしその過失を率直に認めて反省する人は少ない。また人を試すようなことをしてはならず、人には常に真剣に接しなければならない。学校を出たということは、栄誉を得るためでも出世のためでもない。それは世の中で、弱い存在に置かれている人々を導く人材になることを意味している。

ー時に感じて師は言われた。
「私は人の歩くさまを見るだけで、人を判断することができる」「早朝、家の前を車が通過すると、どんな人の車かすぐにわかる」それと同じく、家の中にいて、世界の出来事が手にとるように理解できる」

ー人生を約50年間の活動期と考えれば、人生は決して長くはないが、真剣に生きることによって、人生は十分長くしかも充実するものとなる。

ー私の師であった玄峰老師は50歳になられたとき入山(出家)された。その意気込みたるや絶大なものと言わなければならない。94歳になられた時、玄峰老師は「私はすでに死への用意が出来たが、人生では私はなにもたいしたことが出来なかった」と言われ、そして「私が死んだあと、私に出来なかったことをお前たちはやり遂げてくれ」と言い遺された。

ーそして山本玄峰老子が96歳の時、4歳の子どもに謝られることがあった。人はいくら歳をとって偉くなっても、尊大ぶるのではなく、率直に誰にでも謝ることができるのは偉大なことだ。

1972年5月1日 静岡県三島市沢地にて

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