文字の読み書き(識字)とヒューマン・リテラシー

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  文字というのは実に不思議なものです。文字を使うと、簡単に紙片に知識や情報を貯蔵できるのですから。例えばパピルスという植物で作った紙に記された古代エジプトの3千年前の出来事だって文字が読めれば簡単に理解できます。人間の社会は、緊密なコミュニケーションによって成り立っていますが、これは文字だけではありません。言葉や文字に加えて、記号、写真、絵図、動作、映像などたくさんの方法があります。

しかし文字が一番複雑で正確に表現したりすることができます。文字の発明は人間の発明の中でも最も素晴らしいものです。もし文字の発明がなかったら、人間の歴史は大きく異なっていたでしょう。文字があれば、何千年前に起きた出来事でも読み解くことができますし、時代を越えて伝えることも、国境を越えてどんな国々の人々にも伝えることができるのです。現代は、コンピューターで写真や映像などさらに印象を具体的に生き生きと瞬時に伝えることができますが、しかし表現の基礎にはすべて文字によるものです。文字は、詳しい事実の表現や複雑な科学知識などを正確に表現することができますが、万能ではありません。文字や言葉(言語)で表現できない世界があることから多様な視聴覚時代が始まっているともいえます。

文字が発明されていなかった時代や文字が使われていなかった時代、人間はすべての出来事を頭の中に記憶しているのでした。紙に記載して記録するということはなかったのです。ですからみんなの記憶力はとても良かったのです。日常のことや歴史の出来事はすべて口承伝承の語り手たちが、時代から時代へと語り継いでいたのです。もし語り手がうまく繋ぐことができなかったら、その時代の記録はすべて消滅してしまっていたのです。しかし、21世紀の現在といっても、世界中には文字の読み書きができない15歳以上の大人が約10億人以上、学校へ行けない子どもたちも約1億人以上もいます。戦火の続くアフガニスタンは、世界で最も低い識字率の国として知られています。女性で読み書きのできる者は、数ーパーセントしかいません。こうした子どもたちの学校へ行けない理由はほとんどが貧困です。
私は、あるときネパールの田舎の小学校の片隅で、重い荷物を背負ったまま校庭の子どもたちを羨ましそうに見ている少女の姿を見たことがあります。校庭では、同年代の子どもたちが楽しいそうに遊んでいました。その女の子は、かって学校で友だちと一緒に学んだり、一緒に遊んでいたのでしょうか?あるいは学校など全く行ったことはなかったのでしょうか、それはわかりませんでしたが、世界にはこの少女のように、学校に行けず幼いときから両親を助けて働いている子どもが1億人以上もいるのです。

両親たちは「子どもを学校に行かせたいが、もし子どもを学校に通わせたら、制服や教科書などを買わないといけないし、たくさんお金がかかる。たくさんの幼い兄弟姉妹の面倒を誰が面倒をみてくれるのか。子どもたちが働いてくれると毎日お金になるから、家族が助かる。」と言って、子どもを学校へ行かさずに家の手伝いをさせる親も多いのです。子どもの数の多い家の女の子の場合には、子守をさせられたりします。10歳を過ぎると子どもたちは、もう大人と同じ一人前の働き手として考えられているのです。ですからその子たちが親になったとき、自分の両親たちと同じような考えをして、彼らの子どもたちを学校に行かせずに働かせるようにすることがよくあります。
世界の識字問題は、ほとんどが貧しさからくるものですが、複雑な文化の問題や戦争の原因もあります。東京にある民間組織(NGO)の国際識字文化センター(ICLC)という団体は、アジア地域の途上国の子どもたちの識字教育に協力してさまざまな活動を行っています。その活動の中で、ICLCが行っている刑務所の中に設置した「キラン子ども図書館」を本紙で紹介しました。

私は、南アジアのパキスタンで、10歳から18歳の子どもたちが牢獄に入っているのを知ったのはもう20年前です。彼らはさまざまな犯罪で刑務所に入れられていたのでしたがよく話を聞いてみると、幼くして大人の犯罪者にだまされたり、家庭が貧しくて食べる物を盗んだり、浮浪罪で捕まったりして少年刑務所に入れられる冤罪のケースが多かったのです。これは全世界の国々でもたくさんあることです。あるとき、その子どもたちに「今、一番なにをしたい?」とインタビューをすると真っ先に「文字の読み書きの勉強です。家が貧しくて学校へ行けなかったのです。ですから文字が読める勉強をして、たくさんの本を読んで、たくさん知識を学びたい。出所してからも文字の読み書きが出来ないと生きていけません。」と訴えてきたのです。

そのためICLCは、多くの人々に呼びかけて、パキスタン各地の少年刑務所の中に、キラン子ども図書館を設置したのでした。子どもたちは、大喜びでした。書架には、絵本、漫画、写真雑誌、歴史、科学書などの本を並べました。子どもたちは、一生懸命に文字を学び、本を読み始め、やがてコンピューターの操作もできるようになったのです。高い塀の中に閉じ込められていた子どもたちは、必死に外の世界の出来事を知りたいと訴えていたのですから。
文字が読めないと、日常生活で困ることがたくさんあります。それは日常生活は、文字や記号などで、すべてのコミュニケーションを行っているからです。例えば買物に行っても看板や道順や商品名が読めないと大変困ります。新聞が読めないと世の中の出来事もよくわかりませんし、薬のビンのラベルにしても、もし読めなくて間違ったときには毒薬を飲んでしまうこともあります。それに大事な契約のとき、内容がよくわからずにだまされてサインして、後で大変な目にあったりするなど、文字が読めないとコミュニケーションはうまく行われないのです。これが今の、アフガニスタンやパキスタンなどが直面している最も基礎的な課題なのです。

文字はとても便利なものです。しかし文字の読み書きができれば、それでもう十分でしょうか?人間は幸せになったといえるでしょうか?いいえ、文字が読めるだけでは十分ではありません。文字の読み書きができても、文字の使い方を誤ったとき、人はとても不幸になります。誤った考えが文字によって表現されるからです。文字は人を傷つけ,文字によって世界を間違った方向へ導くことが往々にしてあるのです。これらの課題を常に意識しないと、文字が読み書きできるから世界は明るくなった「万歳、万歳」とはとても言えませんね。

つまり真実や正義についての公正な知識や報道に接していなければ、どのような文字があっても役には立ちません。文字を知ることは、コミュニケーションの道具を手に入れたにすぎません。それがどういう使われかたをするかによって、人間の運命は幸と不幸を激しく揺れ動くのです。これがヒューマン・リテラシーの根底にある考え方です。原発再稼働で揺れている日本や世界がまさにそうだとは思いませんか?ヒューマン・リテラシーの哲学とは、普遍的で公正な社会を実現するために必要な文字の読み、書き、計算能力やコミュニケーション能力の進化が絶えず必要です。それは外側から来るものと同時に内側から人間力を進展させる精神力に他なりません。

その昔、私は「びっくり星の伝説」という物語を書いたことがあります。この物語の英文名は The Legend of Planet Surprise といい、アジア地域では20ヶ国語以上に翻訳出版されましたた。私はこの物語の中で、人間という存在は「言葉と手」をもっているために他の生物とは異なって、非常にユニークな文明を築くことができたことを題材としました。とくに「言葉」は目に見えない世界や事物を容易に描写し想像させることができたが、人間の「手」はそれを実際に目に見える世界に具体化させることができ、この両者の協力によって、人間は文明を発達させたが、その使い方を誤ったために人間の文明が崩壊してしまったという物語です。

 1998年5月、私はパキスタンのパンジャブ州の農村地域でノンフォーマル(寺子屋)学校を二百校設立する式典に出席した時、連邦政府の教育大臣の口から次のような祝辞を聞きました。
「今日、我が国には10数人のカディール・ハーン博士のような能力と技術をもつ科学者が存在している。彼らの努力によって今日、我々は素晴らしい科学技術を達成することができたが、識字教育はこのように科学技術の発展に大きく貢献するものでないといけない。学校がますます増えることによって、我が国の核開発がますます進展していくことを希望している。云々」

 私はこれを聞いて怒りが込み上げてきたのです。カディール・ハーン氏とはパキスタンの原爆開発の父とも言われる有名な科学者である。しかし、識字教育が核開発のような目的のために使われるものならば、その識字教育とは完全に間違っているのではないか。そこで私は、、咄嗟にその為政者の発言した識字に関して、ヒューマン・リテラシーという新しい概念を考えついたのです。

「識字は哲学や方向性を持たなければならない。識字とはただ単に読み書き計算ができるかどうかの技術能力の問題ではなく、豊かな人間性を有し、普遍的な目的や内容をめざすものでなくてはならない。人を不幸にし、人を殺す識字がこれまでの歴史でどれだけ推進されてきたことか、そして現在もまたそれは続いている。文字によって表現される知識や技術は、人間のありかた全体に真摯なる責任をもたなければならない。識字とは人を生かし、争いをなくし、人間同士が信頼できる世界をつくるためにこそ存在するのだ。」

そう考えて、ひるがえって日本の現実を考えるとき、今の日本の文字や知識、情報や技術は人々が果たして幸せになるように使われているであしょうか。それは日本だけではありません。アメリカの識字教育はいったいどこに向かっているのでしょうか?それは人々を幸せにし、人類の平和や健康を推進させるものなのでしょうか?知識や技術は、人々を助けているのでしょうか?そのため私は、ヒューマン・リテラシーインデックス(HDI)という新しい考えを書き始めたのです。

式典が終了し、約6時間のドライブでイスラマバードへ帰宅した日の夕方、私は、パキスタンがインドに対抗して初の原爆実験をチャガイ丘陵で行ったという知らせを聞きました。1998年5月のことでした。


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