ミャンマーの民主化がもたらしたものー2015年

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2015年2月、10年ぶりにミャンマーを再訪した。それはミャンマー作家協会とシャンティが共催した絵本作家を対象とした研修ワークショプに招請を受けたことによる。久しぶりのヤンゴン、⒑年前と大きく変わっていたのは、ほとんどの若者たちがスマートフォンを持っていたことだ。人々の表情がとても明るくなり、そして特に若い女性たちの表情やファッションなどもバンコクなどとほとんど変わらないぐらい快活で明るくなったような気がした。アウンサン・スーチーさんが国政に復帰し民主化がもたらしたミャンマーでは、みんなが自信をもって生きているように感じられることだった。

車は日本車がますます増えていたが、信号機が普及していないので、さらに一層交通地獄が酷くなったこと。またエレベーターに乗ったときは、突然の停電に遭遇し、真っ暗闇のエレベーター内に1時間も閉じ込められたこともあったり、帰国する際には空港で、飛行機への搭乗直前に停電が発生、空港のロビー全体が暗闇に包まれるということも起きた。現在は、日本企業の進出が著しいミャンマーで、電気のエネルギー源に「原発を輸出しよう」という動きが日本の企業体などからあるようだ。原発の推進側は、原発エネルギーは、二酸化炭素を放出しないクリーンエネルギーだと嘘を言って、日本企業が積極的に環境問題と絡ませて推進しているようだ。その先頭にたって旗を振っているのは雇われ東大教授だと噂されていた。

海岸地域でマングローブの植林を行っているミャンマー人のNGOの友人は、真剣な顔をして、「使用済みの放射性廃棄物を、日本ではどのように処理しているのか、果たして日本で処理できているのか?」と心配し、「ミャンマーへの原発輸出は絶対に認めない」と怒っていた。

軍政下ではさまざまな抑圧体制が存在したが、その中での大きな課題は、表現の自由と出版の検閲制度などであった。軍政下での出版物の検閲体制には、みんなびくびくしていたが、現在では撤廃されて自由に表現できるようになったのは実に嬉しいことです。

思い起こすと、2002年、私の寓話集「大亀ガウディの海」など3冊が、日本の文化庁の翻訳・助成を受けて、ミャンマーの著名な翻訳者マウ・スーシンの手によって翻訳出版されたことがある。ミャンマー語で翻訳された本を手にした私は大いに喜び勇みで、ミャンマーの出版関係の旧友たちに寄贈したことがある。しかしミャンマ―の友人たちは、翻訳本を手にしても余り喜ばず「もし可能なら英語版を読みたい。英語版はあるのか」という。私は驚いてしまった。「ミャンマーでも著名な翻訳者が翻訳したのに、なぜ英語版を読みたいというのだろうか?ひょっとすると翻訳者がきちんと翻訳しているかどうかを確かめたいからではないか」と疑心暗鬼に思って友人に尋ねると、「あなたは、ミャンマーの実状を少しは理解しているとは思いますが、ミャンマー軍政による出版物の検閲体制は実に厳しいのです。そこで、だれもかれもその検閲を通りやすくしようと翻訳内容を検閲官の意に添うように大きく修正してしまうことがあるのです。時にはオリジナルの意味も全く変わってしまうこともあるのです。たくさんの外国の本がそうやって翻訳を経て「死んでしまう」のです」と言った。

「子ども向けの本」にもたくさんの修正が入るので、意味が全くわからない翻訳となってしまうことがあり、そういう時には文面から真実の意を推測して読むしかないのです。これは子どもたちの教育に大きな悪影響を与えている」という。なるほど検閲体制がもたらすものは、出版ができないということだけでなく、出版されても、内容面でこういう大きな弊害があったのかと初めて検閲制度の深刻さを知ったのであった。



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