世界に広がった「コンキチ」の物語と上演

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コンキチについて

コンキチの物語を書いたのは、もう45年前。当時、ドイツのミュンヘンにあるアパートで、小雪が舞っているアルプスの方角を眺めながら、ふと思いついて書き始めた寓話です。当時私は、春になって暖かくなったら、ドイツを出発しトルコの黒海を経て、シルクロードを陸路でインドへの遊学を考えていたが、降り積もる雪を見ているうちに、ふと私は生まれ育った広島の県北部にある故郷を思い出していた。

そして私の故郷にも、同じように雪が降っているだろうなと想像したとき、不意に雪の中に一匹のキツネのイメージが浮かんできた。「そうだ!キツネの物語を書こう!それは私自身の生き方を表現するものになるかも知れない。そのキツネは、山の自然を粉々に破壊され、絶望感とともに人間へのあこがれなど複雑な気持ちを持って、人間に変身していく―そして山を下り、やがて会社人間となって夢中で働く人生。しかし、キツネを待ち受けていた人間世界とはいったいなんだったか?

それは希望を求めながらも限りなく絶望に囲まれた世界。人間は生涯をかけて、生きるために懸命に働く仕事の意味はいったい何か?生活とは?幸せとは?喜びとは?愛とは?私自身の人生を重ね合わせながら10年をかけて「コンキチ」の物語を書き上げた。この物語が初めて刊行されて、2004年に語りとなったが参加者からは実に多くのメッセージを頂いた
―「コンキチ」について。子ども向けのユーモラスなお話を勝手に想像していたのですが、とてもシリアスな内容だったんですね。最初は現代文明批評がこめられている作品なのかなと思っていたのですが、進むにつれて、そんな図式的なことではなくて、人間がもっている普遍的な問題、痛みに真正面からズンズン切り込んでいく運びに、息を呑んでしまいました。コンキチは「あなたの街」にいるだけではなく、多くの人の中に、そして自分の中にも、いるのだという気がしました。それでいながら、そんな人間に対する深いやさしさを感じます。

―何をかくそう。実は私もコンキチなのです。今日、気がつきました。私も親こそ殺した事はありせんが、子や孫を殺し続けるような現在のこの生活を続けています。本当に、みんなでこうした生活を変えていきたいと心から願っています。とても感動しました。
―どこを向いても私たちは、色々な意味の毛皮屋さんの恩恵にあずかって快適な暮らしをしています。そして、もう後戻りができません。むなしく夜空に向かって鳴くしかないコンキチの気持ちがそんなところにあるのかなあと・・・。いちばん大切なものを失いながら、社会に適応していく現代サラリーマンの悲しさを、おもしろおかしく手にとるように感じました。

21世紀に入って、人間はますます「生き物にとってかけがえのない自然」を失い「人間の心の中の無為の自然」を平気で壊してしまっている。山や海や空は細胞のレベルから汚染され、無数の科学兵器がおびただしく製造され、石油やエネルギーをめぐっての血みどろの争奪戦など、広い世界には、実に無数の「コンキチ」たちが夢中で働いているような気がする。

物語を始めたときから35年過ぎた今、「コンキチ」は、各国で翻訳出版され多くの人々に読まれるだけでなく、各国のいろいろの舞台に生きている。すべてこうした広がりは、私の友人たちによるものであるが、この「コンキチ」の物語も、中国の劉宏軍氏の手によって音楽と物語を東洋的に折衷した「楽劇という新しいジャンルが立ち上げられ、日本・中国・韓国3カ国の音楽、狂言、京劇、仮面劇の芸術家たちの、苦心惨憺によって創造的な芸術の波が世界に向けて発信されようとしている。

試行錯誤の試みの中で物語のコンキチが、生まれ変わろうとしている。日本と中国と韓国の友人たちによって、そして東龍男先生の脚本と三隅治雄先生の舞台芸術への愛によって監修された「楽劇―コンキチ」は、アジア地域だけでなく、世界へ向けて21世紀の「コンキチ」の叫びを創り出していくものと期待している。「楽劇」を主催された日本・アジア芸術協会の庄司真吾氏の弛まざる文化創造に心からの感謝を申し上げる。


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